第三十話 虫

 E県で農家を営んでいる、Aさんという男性から聞いた話だ。

 かつてAさん宅の近所の草むらに、小さな池があった。

 面積は直径三メートルに満たないほどだが、深さはそれなりにあって、おかげで夏場でも常に水を湛えていた。ただ、それがかえって事故を招きやすかったようで、草深くなる季節ともなると、うっかり水に足を踏み入れてはまってしまう子供が、後を絶たなかった。

 そんな池の周りに、いつからか、奇妙なことが起こるようになった。

 虫が、湧くのだ。

 いや、池の周りに虫が湧いたところで不思議ではないだろう――と思われるかもしれない。だがAさん曰く、どうにもだった、という。

 湧くのは決まって同じ虫だった。

 真っ黒な体にいくつもの突起を生やした奇怪な芋虫で、詳しい人に聞くと、どうやらちょうの一種らしい。

 ただ蝶の幼虫であれば、だいたい暖かい季節に湧くのが一般的だろう。

 なのにこの虫は、年中池の周りにいた。

 たとえ木枯らしが吹き荒れようとも、池の水が凍りつこうとも、周囲の草の上をもそもそと這っていた。

 しかもその数が尋常ではない。遠くから池を見れば、畔が黒く縁取られているようだったという。

 この虫を餌にする動物は、まったくいなかったそうだ。

 カエルも鳥も、他の虫達も、この黒い芋虫には一切手を出さなかった。

 おかげで芋虫は際限なく増え、大きく育ったものから順番に、草の上でさなぎになった。

 妙にでこぼことした、奇怪な蛹だった。

 蛹はどれも羽化することなく、数ヶ月も経つと、腐って地に落ちていった。

 だから、池の周りを蝶が舞う様子を見た者は、一人もいなかった。

 もちろん蛹が羽化しないのなら、次の代は生まれてこないはずだ。なのに、芋虫は際限なく湧き続けた。

 池の周りは、常に芋虫と蛹でいっぱいだった。

 ある時――好奇心に駆られた子供達が数人、蛹をバケツいっぱいに集めたことがあった。

 無邪気に、池に投げ入れたり、踏んづけたりして遊んだ。

 潰れて割れた蛹の中からは、なぜか人間の髪の毛の塊が、ぞろりと出てきた。

 長くて柔らかい、女の髪の毛のようだったという。

 蛹を潰した子供達は、皆一ヶ月と経たないうちに、大きな事故に遭ったそうだ。


 土地の開発で池が埋められてからは、虫が湧くことはなくなった――ということである。


  *


 『絵本百物語』に曰く、皿屋敷の「菊虫きくむし」は、お菊の怨念が虫になったものである。

 この「於菊虫」が大発生したという記録が残っている場所が、いくつかある。この虫は、女が後ろ手に縛られて吊るされたような姿をしており、その正体はジャコウアゲハの蛹であると言われている。

 この他にも、人の怨念が虫になったという例は多い。Aさんが話してくれた虫も、そういった類のものだったのかもしれない。

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