第十四話 逆立つもの

 釣りが趣味だというTさんは、以前夜釣りに出かけたK県の埠頭で、奇妙なものを見たそうだ。

 夕陽が海の彼方に沈んでから、三十分ほど経ってのことだ。

 ふと、遠くに見える岬の横に、ぼおっ……と巨大な何かが浮かび上がった。

 それは、天を衝くほどの大きさの、白い人影だった。

 手足が異様に細長かった。

 なぜか、逆立ちをしていた。

 だらりと垂れた長い髪を波に浸したは、まっすぐに伸びた爪先を夜空に揺らしながら、その場でゆっくりと、ざば、ざば、と両手で海を掻き鳴らした。

 Tさんは、まるで夢でも見ているかのような心持ちで、巨大な影を眺め続けた。

 十分ほど経って、影はようやく、すぅ、と消えた。

 気がつけば、波が荒くなっていた。Tさんは、何だかこの場にいてはいけないような気がして、急いで竿を片づけ、埠頭から引き上げた。

 ……一際大きな高波が、Tさんのいた埠頭を襲ったのは、それから間もなくのことだったという。

 あの人型は、Tさんに危険を報せてくれたのだろうか。それとも――。


  *


 『絵本百物語』に曰く、三里の山をまたいで四国の入海で手を洗う者がいて、これを「あらいおに」という。「手洗鬼」は、だい太郎だらぼうという大魔の使いである。

 Tさんが海で見た巨大な影もまた、「手洗鬼」のような巨人だったのかもしれない。

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