第十一話 見てるよ

 Yさんという女性が、かつて体験した話だ。

 小さい頃、Ⅰ県にある祖父母の家に、家族で帰省した時のことだ。

 当時祖父母に懐いていたYさんは、夜、祖父母と三人で一緒に寝ることにした。

 座敷に布団を三組並べ、Yさんが真ん中になって、川の字で床に就く。Yさんはすぐに眠りに落ちた。

 ……それから、だいぶ夜が更けた頃だ。

 ふと何かの気配を感じた気がして、Yさんは目を開いた。

 明かり一つない真っ暗な天井を見上げながら、ぼんやりと耳を傾ける。聞こえるのは、ただ祖父母の静かな寝息ばかりだ。

 Yさんは仰向けのまま、そっと視線を動かしてみた。

 そうしたら――がいた。

 真っ黒な影が、祖父の枕元にうずくまり、じっと寝顔を覗き込んでいた。

 Yさんは、思わず溢れそうになる悲鳴をこらえた。

 ――に気づかれたら駄目だ。

 ――を見たら駄目だ。

 なぜだか無性にそう思え、ぎゅっと目を閉じた。

 そして、いつしかそのまま、再び眠りに落ちていった。


 翌朝、祖父は布団の中で冷たくなっていた。

 楽しかったはずのお泊まりが、一転して大騒動になった。

 その後のことは、Yさんはよく覚えていない。ただ突如大勢の親戚が集まって、通夜だ葬儀だと、バタバタと慌ただしくしていたのは記憶に残っている。

 ともあれ――Yさんが再び同じ体験をしたのは、その翌年のことだ。


 祖父の一周忌で、またI県の祖母のもとを訪ねた。

 夜はあの座敷で、祖母と二人で寝た。

 そうしたら――またが出た、という。

 夜中に目を覚まして、ふと隣で寝ている祖母を見た。すると、その祖母の枕元に、やはり真っ黒な影が蹲って、祖母の寝顔をじっと覗き込んでいる。

 Yさんは恐ろしくなって、やはりぎゅっと目を閉じた。

 ――見ては駄目だ。その一心で、懸命に堪えた。

 翌朝、祖母も亡くなっていた。


 それから三年が経った。Yさんは中学生になっていた。

 祖母の三周忌で、I県の家――今は伯父夫婦が住んでいる――に、家族で帰省した。

 Yさんは、出来れば日帰りがいいと訴えたが、遠方ということもあり、宿泊は避けられなかった。

 布団が敷かれたのは、これまでと同じ座敷だった。

 両親とYさんの三人で、川の字になった。Yさんは胸騒ぎがしたものの、疲れには勝てず、消灯後少しして眠りに落ちた。

 ……それから、どれほど時間が経っただろうか。

 ふと気配を感じて、目を覚ました。

 ――ああ、まただ。

 そう思いながら、恐る恐る闇に目を凝らす。

 視界が黒い。明かりが消えているからだろう、と思った。

 ひゅう、ひゅう、と何かの息遣いが聞こえる。両親の寝息ではない。二人の寝息は、別に聞こえている。

 Yさんは、そっと視線を左右に動かしてみた。

 父の枕元。母の枕元。どちらにも、黒い影はいない。

 安堵して、視線を天井に戻した。

 そうしたら――

 ……がいた。

 ……他ならぬ、Yさん自身の枕元に。

 Yさんは思わず強張り、もはや悲鳴も出せないまま、慌ててぎゅっと目を閉じた。

 その時だ。

「見てるよ」

「見てるよ」

 突然、男女の声が二つ、すぐそばで囁かれた。

 Yさんは――そのまま眠りに落ちた。


 翌朝、Yさんは何事もなく、無事目を覚ました。

 昨夜の声のことを両親に聞いてみたが、何も知らないという。思えばあの声は、両親のものではなかった。

 ……そう、あれは、祖父母の声だ。

 ――きっと、亡くなった祖父母が、私をから守ってくれたんだ。

 Yさんは、今でもそう信じている。


  *


 『絵本百物語』に曰く、コウモリは功を経てぶすまとなり、さらに年を経ると「やま地乳ちち」という怪異になる。「山地乳」は寝ている人の寝息を吸うが、それを誰かが見れば吸われた者は長寿になり、誰にも見られなければ、吸われた者は翌日死ぬ。

 Yさんが見た黒い影は、まさにこの「山地乳」だったのかもしれない。

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