桃山怪談

東亮太

第一話 森のお堂

 Hさんという男性が、まだ小学生だった頃のことだ。

 当時、Hさんの家では毎年お盆になると、Y県の山間部にある祖父の家に、家族揃って帰省するのが決まりになっていた。

 祖父の家には伯父の一家も来ていて、そこの子供――Hさんにとっては一つ年上の従兄が、よくHさんの遊び相手になってくれた。

 遊ぶ場所は近くの森や小川で、「探検」と称してそういう場所へHさんを連れていっては、一緒に虫やカエルを捕ったり、変わった岩を探したりしたという。

 そんな「探検」の中でも、特に忘れられない思い出がある。

 ある年の帰省時のことだ。

 昼下がり、いつものようにHさんが従兄に連れられて森の中を歩いていると、ふと樹々の奥に、古びた建物があるのを見つけた。

 お堂だ。

 どうやら寺の一部らしい。よく見れば、土道の脇から石畳が延び、雑草だらけの境内へと続いている。この辺りは今までにも何度か訪れたはずだが、寺を見たのは初めてだ。

 もっともそれは、従兄も同じだったようだ。

「こんなところに寺なんてあったかな……」

 そう言って汗に濡れた首を傾げながら、石畳を辿り始めた。Hさんが後に続く。

 せみの大合唱を聞きながら、二人して境内に足を踏み入れた。

 小さな寺だった。

 狭い境内の中央に、かわらきの崩れかけたお堂が、ひっそりと佇んでいる。

 正面の格子戸は外れかけ、柱は黒ずみ、至るところに蜘蛛くもの巣が張っている。

 当然、人の気配はない。すでに住む者がいなくなって久しいのかもしれない。

 Hさんは従兄と二人で、お堂に近づいてみた。

 軒下に蝉の死骸がいくつも転がり、その周りをありが這い回っている。踏まないように足を避けながら、格子戸の前に立つ。

 二人揃って格子越しに、遠慮なく中を覗き込んだ。

 誰もいない――と、もちろんそう思ったからだ。

 だが途端に、従兄が「ひぃ」と喉を鳴らした。

 Hさんも同じように、「ひぃ」と呻いた。

 ……中に、人がいた。

 袈裟けさころもを身に着けた坊主頭の男が、全部で六人。

 それが犬のように、ほこりだらけの床に両手をついて、お堂の中をバタバタと走り回っていた。

 あまりも異様な光景に、Hさんと従兄は揃って、無言でその場から逃げ出した。

 境内の雑草を掻き分け、石畳を蹴り、森の中を走り――。

 ……気がつくと、元の祖父の家の前に戻っていた。

 ぜいぜいと荒い息をつきながら玄関を上がると、家族が目を丸くして迎えた。

「お前達、お堂に行ったな?」

 祖父がそう言って、にやりと笑った。

 なぜ分かったのかは、教えてくれなかった。

 この年の秋に祖父は亡くなり、葬儀を終えて以降は、Hさん一家がこの地を訪ねることも、ほとんどなくなったそうだ。


  *


『絵本百物語』に曰く、狐が法師に化けたものを「はくぞう」という。Hさんが見たという六人の僧も、どことなく獣じみていたから、もしかしたら「白蔵主」だったのかもしれない。

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