まずいって何?
成瀬由紀は世界トップクラスの料理人であり、各国至る場所で料理を振る舞い続けてきた。
その日も豪華客船タルサロッサ号のダイニングキッチンと言う世界のトップクラスの料理人しか立てない厨房でゲスト料理長として招待された。
波瀾も少しあったが無事に責務を全うした。
その夜に晩酌していると由紀が乗るタルサロッサ号が大きく揺れ、平穏が一変、恐怖に似た緊張感が走る。
タルサロッサ号が暗礁に接触し船体が傷つく、その影響により船が沈没。
人命救助を手伝っていた由紀は逃げ遅れ沈没する船に巻き込まれて海に落ちてしまた。
彼女は海を漂流し一つの無人島に流れ着いた。
一般的には島に流れついたら運が良いと思うだろうが・・由紀に取っては不運であった。
彼女が流れ着いた無人島には食材が一つもない砂で出来た浮島だったからである。
彼女は救助が来るまでの間懸命に生きようとしたが食材を収穫できない島に流れ着いた為に約二週間の無人島生活で餓死が原因で命を落としてしまう。
生前、命が尽きる前に『もし、この世界に生まれ変わりなんて物があれば・・次はこんな思いがしない。季節や気候関係なく育つ野菜、川や海には食べきれない程の魚の大群。そして美味しいと理由で食肉にされた動物達が沢山生息する。そんな夢のような世界に生まれ変わりたいな』と思い息を引き取った。
そんな彼女の願いを叶えるかのように彼女はストレジと言う名の地球によく似た世界に生まれ変わる事ができた。
しかし、この世界は彼女の望んだ食材は豊富に存在していたが反対に食材を美味しく頂く術がなかった。
◆◇◆◇◆
「こらー!ユウリ。あまり遠くに行かないの。」
「はーい!」
1人の幼い女の子が野原を元気よく走り回る。
肩より少し伸びた淡いピンクの癖毛がにまん丸の目は碧く光る。
見た目からして3歳程の少女の名前はユウリ。
この少女こそが成瀬由紀の生まれ変わった姿である。
「靴いらないな。」
ユウリはそう言うと靴を脱ぎ今度は裸足で野原を駆け回り始める。
あの冷静沈着で大人の女性を具現化した、成瀬由紀の生まれ変わりとは思ない少女の元気で天真爛漫な姿は想像できないだろ。
しかし、それも無理ない。
ユウリは前世である、成瀬由紀の記憶を一つも覚えていからである。
ユウリは生まれ変わりとは言え前世の記憶を忘れていれば性格も変わる。
その上容姿も大きく変わり彼女は今は別人として生きていた。
今・・この時までは。
「こら!ユウリ!今日は足を拭く布持って来てないんだから裸足はダメ。靴履いて。靴!!」
「あははは、楽しいから嫌!!」
「たく、ユウリ元気過ぎない?姉の私の元気全てユウリに吸われたのかも。・・・なんて考えてる暇はない、あの子を捕まえよう。」
ユウリの顔を美人にした様なお姉さん・・彼女の名前はオリヴィア。ユウリの7つ年上の姉である。
裸足で逃げ回るユウリを追いかけるように走り出す。
ユウリとは違い赤茶色のさらさらしたストレート髪を風に靡かせる。
「ねぇねと鬼ごっこだ。負けないよ!
」
「ふふっ。ユウリ待ちなさい。」
2人は楽しく野原を走り回る。
そんな微笑ましい状況が数分続くとオリヴィアがユウリを捕獲した。
どちらも息を切らせながら野原に寝転がり、息を整えた。
「はぁ、はぁ、ユウリは本当に元気ね。」
「へへっ、でしょ!」
ユウリは褒められてると思い自信げに満面の笑みで返事をする。その姿を見たオリヴィアは愛くるしい妹の姿に悶えるように顔を手で隠し足をバタつかせる。
「ねぇね、何してるの?」
「へ?いやぁ〜・・っと、そんな事より足の裏見せて。」
ユウリの質問に対処濁すように話題を転換した。オリヴィアはユウリの足の裏を見せる様に言う。
ユウリも大人しく言う事を聞き入れ姉に足の裏を見せる。
小さくてまだ未発達の可愛らしい足の裏は普段真っ白だと言うのに黒く汚れていた。
裸足で野原を走った影響で泥などで汚れていた。オリヴィアは困ったように頭を悩ませる。
「こんなに汚して、靴履けないじゃないの。」
「にへへ、ありがとう。」
「いや、褒めてないよ。・・確か近くに川があったからそこで足を洗おうか。」
そう言うとオリヴィアはユウリの小さな体を持ち上げ近くの川に運び足を洗ってあげた。
綺麗になった足を見てユウリは清々しい気分になった。
「綺麗になったわ。」
「ねぇね、もっかい走っていい?」
「お願いだからやめて。」
再び足を汚そうとする妹を必死に静止した。
ユウリは不貞腐れた顔のまま、サンダルを履く。
「ねぇねのイジワル。」
「いや、この状況だとユウリの方がイジワルだと思うよ。」
「ちがうもん!ちがうもん!ユウリはイジワルじゃないもん!」
オリヴィアの発言は誰が聞いても正論でかつ的を射抜いた返答であったがまだ3歳の少女にとっては正論は空論になってしまう。
ユウリは姉の発言に怒り反抗した。
「分かった、分かった。ねぇねがイジワルでした。」
「じゃあ、走って来ても・・」
「それはダメ、もう夕飯の時間だから今日は帰るよ。・・じゃないとお母さん、怒るよ。」
「うぅ〜、帰る。」
「よろしい」
オリヴィアはユウリの手を引き帰宅する。
優里の家は少し栄えた街の中にあり、この野原は街から数分歩いて離れた場所にあった
彼女たちはそんな道のりを20分ほど掛けて帰宅した。
一般的な家のより少し大きめの家に入る。
家の前にかグラッセ魔法具店と書いていた。
グラッセはユウリ達姉妹の苗字であった。すなわちここがユウリの家であった。
看板がある下の大きな扉とは違う裏手にある少し小さなドアから家の中に入る。
正面の扉は父の魔道具店の入り口でお客様専用であった。
その為ユウリ達は奥のドアから家に入るのであった。
「「ただいま」」
「おかえりなさい」
淡いピンク色のサラサラの髪を靡かせこちらを振り向く。
彼女の名前はルイーダ、2人の母親である。
「かぁか、お姉ちゃんと鬼ごっこしたよ。」
「そう、ユウリ良かったわね。」
「にへへ、もっと撫でて。」
ユウリは嬉しそうに頭を母に傾け頭を撫でてもらう。
上機嫌である。
「オリヴィアもユウリと遊んでくれてありがとう、お母さん助かるわ。」
「別に私がユウリと好きで遊んでるだけだもん。・・あと、もぅ子供じゃないんだから頭撫でないで。」
「良いじゃないの。お母さんからしたらまだオリヴィアも子供なんだから。撫でさせなさい。」
2人の娘に愛情を注ぐ母の後ろから1人の男が近づく、男にしてはすらっとしており眼鏡を掛け赤茶の癖毛をした男。
彼の名前はポルド、ユウリの父親である。
「どうしたんだ、今日は3人とも随分仲がいいな。」
「あら、私たちはずっと仲良しよ。・・そんな事より仕事は終わったのでしょ。夕食にしましょう。」
父が食卓に腰掛けるとユウリも父の前の椅子に座ろうとした。しかしまだ体が小さいユウリは椅子に腰掛けるのも一苦労の様子であった。
それを見ていたオリヴィアがユウリの身体を持ち上げ椅子に座らせてあげ、自分のユウリの隣に座る。
みんなが席に着席したのを確認してお腹を空かせた愛すべき家族の前にどんどん食事を運ぶ。
しかし運ばれた食事全て調理されていない食材そのままの姿をしていた。
カットすらされていない野菜に果物が盛られた、野生感溢れる野菜たちに。
下処理もされずにただただ焼かれただけの味気ないパサついた肉。
この光景を見てわかる通り、この世界ストレイジには料理と言う概念が存在していなかった。
食材は豊富にあったがそれを活かす術が存在しなかった。
「さぁ、食べましょう。」
母の言葉で食事を始める。
ユウリ以外は食事を進めるが肝心のユウリ自身はあまり食事が進んでいないのであった。
ユウリはなぜ、食事を進めないのか?
その理由は純粋で端的な物であった。
「ユウリ、ご飯食べないの?」
「うぅ・・野菜嫌い。お肉も硬くて食べれない。」
何も処理がされていない野菜を子供が食べる事が苦難だろう。
子供は青臭い物や土臭い物、酸っぱい、辛い、苦いを毒と感じ反射的に拒絶する傾向がある。
肉に至っても筋などの硬い部分が取り除かれておらず幼く噛む力がまだ弱いユウリにとっては噛み切る事が苦難であった。
「もぅ、好き嫌いしないで食べなさい。・・ほらピーマン。」
「うげぇ」
ピーマンを見たユウリの顔は見るからに歪み苦悩が現れていた。
それは無理もない、
この世界には料理という概念がない、その為母から食べる様に言われたピーマンは生であった。
生のピーマンなど青臭く、苦い物であり、幼いユウリに食べれる訳もない。
しかし、そんなユウリにお構いなくピーマンを口に近づける母に怒りをあらわにする
(やだ、ピーマンなんて大っ嫌いなのにアレを食べると背筋がゾクゾクして吐き出したくなるのに、お母さんは無理やり私の口元に近づけてくる・・・本当にやめて欲しい。ピーマンなんて・・ピーマンなんて。)
その時ユウリの頭の中にある言葉が浮かび上がる。ユウリの知らない・・いや、この世界の人々は知らない単語である。
その言葉とは。
「ピーマンなんて不味くて食べれないよ。」
不味い。
それはこの世界には存在しない言葉であった。
そもそもなぜこの世界で料理が発展しなかったか?
それは美味い、不味いの認識が無かったからである。
この世界には食材が数多く存在しており栄養価の高い果物や野菜なども豊富に育っていた。
その為食事とは栄養補給する為の行動であり、そこに美味い、不味いの定義を存在させて来なかった。
しかし、ユウリは元トップ料理人の生まれ変わり。
食材に対するこの世界の待遇に我慢できずに前世の記憶のうち【料理】に関する記憶だけが思い出された。
不味いはユウリの料理の始まりであった。
が、まだ幼いユウリは自分の放った不味いの言葉の意味をいまいち理解できていない。
「ユウリ?不味いってなに?」
その為母の【不味い】の理由を聞かれた際に理由を説明できず只々、頭を悩ませる事しか出来なかった。
「不味いって・・なんだろう?」
不味い・・この言葉はユウリの料理革命の始まりであった。
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