19. 慈悲
鰐型の魔物に剣を突き立て、止めを刺す。
数少ない自由時間は魔物狩りに充てていた。
中間テストは来週に迫っていて、今週は午前のみ授業だった。
入学してからひと月少ししか経っていないため、授業では大したことをしていない。
今回のテストは平均点高いんだろうな。
沼の中に入る程の元気はない。
魔石もある程度溜まった。
剣を払って鞘へ納めた。
防護魔法の出力を弱め、ギルドへ向かって飛んだ。
換金を済ませ寮へ戻っていると男子生徒とすれ違った。
「テスト勉強してる?」
「してない。全然勉強してない。赤点取ったらどうしようね」
「俺もー。補習とかやっぱりあるよな」
「あるんじゃない?聞いてみないとわからないけど」
そう言った男子生徒の指にはペンだこができかけていた。
ぎこちない見栄を張り合う会話に、ああいうのが友達だというのなら友達なんていらないかもしれないなという考えが頭を過ぎる。
こうやって盗み見て勝手に評価してるやつよりも断然マシか。
ひと月。
短くて長いような期間。
入学してから特に思い出はない。
授業をして、放課後に姉か教官に襲われて、休日の前の日は夜通し犯されて。
空き時間は勉強と剣の訓練、魔物狩り。
それだけ。
図書室で調べ物をしたいんだった。
自室へ荷物を置き、鞄を肩にかけた。
木製の建付けの悪い扉を開く。
いくつかの本を手に取って窓際の端の席へ座った。
図書室から本を持ち出すことはできないため、自室に持って帰れない。
「ほら、あれ。噂になってる深窓の……」
「でもあの人って、」
「そんなこ……でもいいじゃん」
「たしかに。……こいい」
「声かけてき……」
「わたし!?いや、わたしは」
「えー……」
姉に薬を打たれるようになってから集中できないことが増えてきた。
集中はできるけれど、没頭できなくなったというかいつでも五感が働いているような、そんな感覚だった。
以前の僕ならあんな話声とっくに聞こえなくなっていたはずなのに。
防護魔法で無理やり音を遮断した。
「あいつ何の本取ってた?」
「あれは……」
一区切りつき本を閉じると夕食の時間が近づいていた。
食堂へ行こうと席を立ち、音の遮断を解除すると聞かない方がよさそうな会話が耳に入り始めたため再度遮断した。
僕が触った本はそんなに汚くなるのかな。
手袋もしてるし、この手袋だって昨日きちんと洗ってる。
……。
そういう問題じゃないのは察しているけれど、そうだとしたら僕はもう何したって無理だ。
僕という存在自体が嫌われてるなら。
両手で持っていた本を片手に寄せ、フードを被った。
本を元の位置に戻し、図書室を後にする。
食欲はない。
でも食べなければ魔力も体力も増えない。
から、味のしないパンをスープで流し込んだ。
中間テストが終わると、遅れて入学する生徒が来るという話題でクラス中が騒ぎになった。
王女殿下が来るらしい。
肩肘をついて意味もなく教科書を流し見する。
テストも終わり、ほぼ暗記している教科書を見ても目に入れた端から零れていく。
教官が入ってきたため教科書を閉じて姿勢を正す。
「本日から王女殿下がいらっしゃる。公務の都合で遅れての入学になったが……」
公務と言っているけど、実際は安全対策なんだろうな。
「本日からお世話になります。サクラと申します。よろしくお願いします」
4年振りに見る王女様は二回りくらい大人びた見えた。
一限が始まる前、王女様が僕の席へ来る。
「シオン様、お久しぶりです。お元気ではなさそうですね」
「お久しぶりです王女殿下」
「お話し中申し訳ございません王女殿下、少々お時間よろしいでしょうか」
「今シオン様とお話ししているのですが」
「お伝えしたいことがありまして、すぐに終わりますのでお時間いただけないでしょうか」
「僕のことはお気になさらず」
「重要度の高い方を優先したいのですが、わかりました。伺います」
「ここでは少し……こちらへどうぞ」
顔を伏せて見送る。
そのまま一限が始まった。
一限終わり、また王女様が来た。
「シオン様は無理やりにでも引き取るべきでした。シオン様のお父上が亡くなられた際、シオン様のお母様へお手紙を送ったのですが問題ないと返事があったためお任せしていました。やはり間違いでしたね」
「姉とはお話しましたか?」
「話しましたけど、ただの世間話です。そんなに学校生活はつまらないですか?」
「楽しいか楽しくないで言ったら楽しくないになると思います」
「それはなぜですか?」
「考えたことありませんでした」
「随分と昔から変わりましたね。良い方向に。私は好きです」
「そうですか。よかったです」
「お昼はご一緒してもいいですか?」
「はい」
食堂から戻ると教科書がなくなっていた。
授業が終わり自室へ戻ると寮の扉の前に投げ捨てられていた。
拾い上げて部屋に入る。
王女様とは釣り合ってない。
どれだけ身なりを整えても、外見をきれいにしても、一枚剝げば汚れ切っている僕がいる。
王女様とはどうこうなれないのに。
そんなこと誰に言えるわけでもなく、王女様と二人でいることが増えた。
王女様が来る前、午後は人数的に一人余っていたため教官と手合わせしたりしていたけど、王女様と組むようになり一人でいる時間が減った。
「シオン、放課後に生徒指導室へ来るように」
王女様が来てからクラスにいる内は、ビオラ教官の言葉が以前より柔らかくなっていた。
今日は教官の日らしかった。
「はい」
放課後生徒指導室へ行くと四角い黒い箱が置いてあった。
「恥ずかしながら慣れていなくてな、初めの内はそんなこと気にする余裕なかったんだ。だがこの頃、お前が私を見ているようで見ていないことに気づいた。体は満たされているのに果てても虚しくなる。それが辛くてシオリへ相談した」
そういって黒い箱を開ける。
見覚えと身に覚えのある注射器だった。
「これをくれたんだ。つまんなそうな目をしてるその目をどうすればいいかずっと考えていた。だが……」
「っ……」
「正解を引けたようだ。一回目はなしでやってやろう。満足すればこれは姉に返す」
そういいながら息の荒いビオラ教官が覆いかぶさってくる。
できるだけ意識を教官へ集中させていたつもりだったけれど、気づいた時にはあの冷たい液体が入り込んできていた。
「っう」
薬が効くまでの時間がどんどん短くなっている気がした。
その内刺されなくても見るだけで同じ状態になってしまいそうで怖かった。
亀裂が走るようにビオラ教官以外が視界から消えていく。
「そうだ。お前の前には私しかいないんだ。シオン。もっと私を見ろ」
「い、や」
「は、ははっ、なんだそれ。それで拒否しているつもりなのか?随分と可愛らしい抵抗だな、ほらっ」
引き抜かれ、叩きつけられる衝撃。
「ぁ、」
「嫌ならもっと抵抗しろ。いつもは人形みたいに短く喘ぐだけじゃないか。どうしたんだ?なぁ!抵抗するなら本気で動けよ」
今回は門限よりも四半刻早く解放された。
腰に居座る甘い快感の残滓が、鼓動の度全身に送られる。
断続的なうめき声が勝手に口から漏れていく。
「すごいな、これは。胸焼けしそうなくらい甘い気持ちで心が満たされていく。ここまで違うものだとは思わなかった。姉が夢中になるのも頷ける。本当はウチへ持って帰りたいが私にはまだ許されていない。ただ、いずれ勝ち取るさ。お前そのものか、最悪でも信頼をな」
僕は心の底から汚れ切っている。
こんな僕が王女様と?
笑いたかったのに口角は動かなかった。
「正直自慰と何も変わらないと思っていたが、おい、聞こえているのか?」
顔を向けた。
「最近王女殿下と仲がいいな。どうでもいいが身の程は弁えろよ」
そう言って出て行った。
最低限身嗜みを整え、机に突っ伏した。
体が重たい。
寮に戻らないと。
生徒指導室の扉が開く。
「ここにいましたか、シオン様。ビオラ教官が出てきてもシオン様がいらっしゃらないのでお迎えに来ました」
「このような体勢で申し訳、ありません。体調優れず、休んでおりました」
「ビオラ教官は随分と教育熱心な方なのですね。シオン様は私が護って差し上げないと。立てますか?」
「私は大丈夫です。先に寮へお戻りください」
「そんなこと言わずに。肩お貸ししますね。寮の前までなのが心苦しいですが」
「……ありがとうございます」
「私の記憶の中のシオン様はいつもお元気で、誰の助けもいらなそうでした」
「すみません」
「いえ、嬉しいのです。今のあなたは、とてもいいです。昔より。よいしょ」
「そうですか」
「少し遠回りですが階段が少ない方から帰りましょうか。人通りは多いですが、仕方ありませんね。ね?」
「……はい」
王女様の弾んだ声が疲弊した体に響いた。
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