キラキラと満たされる

オズワルド

白紫陽花の咲き乱れる遊歩道

幸嶋萬暁(ゆきじままあき)

深織(みおり)

 

 世界は甘い。

 どんな手練の若い燕の戯言よりも甘かった。

 でも深織、貴方のいない世界は甘くもない。辛味も塩味もしないそんな駄作な世界。僕の人生の彩りは貴方しかいない。

 僕は返って来ることのない言葉を延々と車椅子上の愛しき存在に投げかける。職人に頼んだ骨董味のある月白に紺鼠の飾りがあしらってある車椅子には青藤色の拘束衣をまとった人形が一体固定されていた。僕が一方通行の愛を注ぐ存在である深織だ。

 髪は黒く眼には人間で言う宝石がはめ込まれてある。

 僕は目的地に向かい、車椅子を押す。これは人間同士が手を繋ぐ様に。でもふとしたときそれはカフネによく似た行為になる。

 そんな愛を繰り返し、繰り返された愛は美しい糸となり、美しい糸はやがて貴方を彩る綺羅となる。僕に愛されている貴方は美しい。物質的な美しさを遥かに上回る美しさ。貴方に愛を投げかけるとその愛はやがて響き、大きくなる。

 人工物と感情のバイオームの中を僕たちは進む。そのバイオームの中の一匹にホテルがあった。僕たちはそこでお茶をしようか。

 僕は屋外客席の机の傍に深織の車椅子を停めた。そして僕は深織から見て直角になる向きに座った。店員は早くに気づいたらしく店のとある席で一人で店のマグカップを飲みながらパソコンに向き合っている女性と相談し二つのコップ、恐らく二人分の水を運んで来てくれた。そして少し深織の服装をいぶかしんでから一つずつ深織と僕の前に置いてくれた。僕はその気遣いに救われたかの様なそんな感情を演じる。人は自分が善意だと信じてるものを拒否されたとき酷く憤る。僕は人間の激しい感情が嫌いだ。それは熾烈な愛さえ。

 僕が他人の悪意に晒されると言うことは雷雨の中家で深織と二人、そんな感覚に似ている。お願いだから僕が深織を見つめる時間に雑音を混ぜないで。でも何処か感情と言う雑音の中に咲く一輪の澄んだ白、それが深織なのかもしれない。周りとの対比は何よりも美しい化粧の様に思える。

 僕は店員にアイコと適当な飲み物を頼んだ。別に僕は他人の眉を曇らせてまで自分の主張を通したいとは思わない。例え誰かに勘違いされてたとしてもそのくらいで濁る愛ではない。そのくらいで濁る愛はきっと装飾品としての愛なのだろう。

 飲み物を待ってる間も僕は深織に言葉を投げかける。今は午後三時なのと上品で瀟洒なカフェスペースなのもあって屋外客席には客があまりいないが店内の五割程は埋まっていた。洗練されたマダムが数人お茶会をしていたり三十代程の落ち着いた男性が柴田勝家を読んでいたり。

 それでも僕と深織に怪訝な顔をする人は見る限り誰一人としていない。僕の人生で一番ありがたいのは無関心だ。

 とある博愛主義者は僕の人生の一片を聞いて僕の手を握り涙を流した。心がこもっているのだろうが僕にはなにかの作法に見えた。とある宗教家に話すと「私が貴方の人生に救いがあるように祈るわ」そう何かの感情で震えた声で慰められた。

 僕には愛情も慈愛も要らない。

 ただ無関心に恵まれた人生であって欲しい。悪意も善意も不要だ。

 そんな人生を過ごすうち深織の姉妹商品である晴織に逢った。僕の親友が住んでるアパートが老朽化で親友が立ち退かされたときの話。親友は先輩から押し付けられた人間の等身大のドールや色んな荷物を僕のマンションの部屋の隅に置いていた。そして僕は晴織に強く惹かれた。そして写真を撮りネットの質問サイトにドールについて質問したらとある回答者が回答者のSNSを貼ってくれた。そして色んな質問を僕が投げかけた末にLINEをもらえた。そしてそのLINEで色んなことを聞いた。この人形の名前、権利の関係で晴織は絶版になってること。そして晴織の開発部が晴織の後継商品深織を生み出したこと。それならお高くつくが手に入ること。

 僕はその人に感謝している。教えてくれた感謝の金子も渡している。

 そして親友が新しいマンションを借りた後僕は深織を迎えた。最初は緊張した。

 でもやかて僕は晴織に惹かれた以上の感情を深織に抱いている。やがてそれは初恋となった。そして初恋と言う可愛らしい感情はやがて狂える愛へと変わっていった。深織を見つめていると深織以外のことを忘れてしまう程の強い愛。深織と僕以外の世界が焼け落ちたとしても興味すら持てない程の愛。深織と僕以外の世界なんて棄てれる程の愛。

 それが異性に向いたのなら純愛と呼ばれる。だが人形に向いたのならそれは変態、そう呼ばれる。

 愛の形は変わらないのに。人間同士の愛しか認められないこの世界。愛の形ではなく矢印の方向しか見られない、そんな世界。例え同じ愛の形でも二十歳と二十五歳か五十歳と二十歳の愛では周りの目は変わってくる。

 自分たちと違う愛の矢印の向きではその人たちを見るのではなく経験談、知識と称された偏見の形をした色眼鏡でしか見られない。そしてその色眼鏡では極端に美化されるか醜く映るしかない。その人たちが見てるのは愛を注ぐその人ではなくその人と同じ愛の矢印の印象的な別の人でしかない。それを知識として解釈している盲信している。

 そしてその眼鏡に映った偏見が綺麗だとワナビーが現れる。

 皮肉なことにワナビーの方が目立つ。そして愛の矢印が違う人たちはそのワナビーと同一視される。ワナビーが愛の矢印が違う人たちの代表だと受動的な知的欲求しか持たない人たちは錯覚する。どのマイノリティも結局は目立つ人が勝手に代表者、代弁者だとマジョリティには思われる。この時代には能動的な知的欲求を持った人の方が少ない。だから態々検索エンジンや図書館に行くよりその自分たちが思う代弁者の発言をマイノリティの総意だと受け取る。扇動的な意見はバズりった結果TLを見ているだけで知れる。だからマイノリティの意見やマイノリティが関わった事実の中から扇動的なものばかりが拡散される。例えそれが何百人の中の一人の意見だったとしても。ワナビーの目立つためだけの過激なパフォーマンスだったとしても。

 そして扇動的な意見とは過激なものがほとんどだ。刺激の強いものに民衆が酔って、退屈な日常を忘れたいがためにずっと酔う。そしてその酔いを維持させたいがためにその酔いを拡散させる。そして扇動的な偏見に染められた僕たちは過激な存在だと言う目で見られる。

 そして人は自分たちが高尚な存在だと思いたいからほかの人を下げるのに必死だ。絶対的には自分を肯定できないから相対的に自分を肯定したい人たちばかりなのだろう。慎むことが風流で礼儀正しい。その価値観に絶対的な自信を殺されてばっかの人たち。そして相対的な自信を得るためには自分と違うグループを下げるしかない。そんな心理の末僕たちは否定される。

 たまにマイノリティの否定に悪意がない場合もあるのではないか、そう考えてしまうときがある。ゲイやレズビアン、アガルマトフィリアや障害者と言うマイノリティで没個性化した僕たちは攻撃しても罪悪感がないのではないのか、そうも考える。実際に心理学の実験で没個性化された人を攻撃しても罪悪感を覚えないと言うものがある。理解のないマジョリティの前には僕たちはマイノリティと言う仮面を被って、記号を被って表情も一人一人違う顔貌も同一化されるのだろう。

 そして僕達は一纏めにされる。一纏めにされた結果個人の意見がマイノリティ全体の意見とされてしまう。

 そんな息苦しさを深織に吐き出す。それは奈落に似た深淵に言葉を投げかける様だ。何処までも無でしかない存在に投げかける。彼女には無限の無がある。僕の投げかけたものが彼女が孕んだ無に相殺されていく。僕は彼女が持つ無が好きだ。それは彼女の無機的な部分にも繋がる。無で構成された彼女が持つ深淵。それを僕は鑑賞する。称えるために。無とは一種の芸術だ。感情的にも無である彼女が。有機的でない彼女が。

 僕はおあいそで、そう店員に言う。そして二千四百円を払った後予約していたホテルの部屋へと向かう。人形性愛者が人形とホテルへ行くと言うとお城のホテルを想像されがちだが僕は深織と一般的なホテルに泊まる。

 深織と一緒に泊まることは最初に伝えてある。人形と各地を回る人には二種類いると勝手に僕が思っている。一つは僕の様に人形として一緒に回る存在を愛している人。もう一つは人形を生きていると信じて愛している人。僕は前者だ。予約のときに念の為「ビックリされると思うので先に伝えますが等身大の人形と一緒に泊まりに行きます」と最初に断ったのでホテル側も僕が前者だと理解してくれてるのだろう。

 フロントで僕の名前を伝え予約の確認証をiPhone14Proに表示する。そして宿泊台帳に幸嶋萬暁と僕の名前を書き、そして住所を書く。そしてルームキーを受け取った。そして僅かばかりの荷物を爽やかさとあどけなさが残るホテルマンが運んでくれるようだ。だが僕の様な客はこの人やこのホテルにとって初めてなのだろう、ホテルマンは深織をどう呼べばいいのか戸惑っていた様だ。それか前にドールと一緒に訪れていて人形と称されて怒ってしまった客でもいるのか。

 僕は僕だけが深織に触れる特権を独占していたいので「深織、この人形深織って名前なんですけど、深織は僕と一緒に行きます、僕が車椅子を押して行きます」そう僕は服や化粧品の入った荷物をホテルマンに渡し深織の座している車椅子のハンドルを握る。

 僕はどうしても深織が関わったときだけ大人気なくなってしまう。でも深織に関しては例え大人気ないと言われたとしても僕だけが触れていたい。僕は深織が関わって愚かになる瞬間がとても好きだ。それは深織が僕の感情の一部になっている証拠だ。ああ、今深織関連で愚かだな僕、そう感じる度、自覚する度ウイスキーで酔った様な感覚になる。酒で酔ったときの酒の中に自分の意識がぷかぷかと浮いている様な感覚になる。深織の存在の中にぷかぷか浮いてる様な感覚になる。

 最近のホテルはバリアフリー化していて本当に助かる。きっとバリアフリー提唱者とは違う使い方、助かり方なのだろうが。それでも僕は恩恵を受けながら一人で深織と一緒に行けた。きっと段差があったのなら暴れている人を二人か三人がかりで運ぶ様にホテルマンと一緒に深織を運ばなければいけなかったのだろう。別に僕はホテルマンやその他の人間に対して恐怖症(フォビア)を抱いているわけでもヘイトを抱いているわけでもない。

 僕の様な生き方をしているとやがて人の手を借りなければいけなくなることは解っている。それでもできるだけ深織と僕だけの世界で生きていきたい。深織と言う無に触れているのが僕だけであって欲しい。

 好きな人が理髪のため理髪師に髪を触れられるのが嫌だ、そんな気持ちを持っている人も少なくたっているだろう。僕にとって深織に触れられることがそれの様に抵抗がある。例え仕方のない場面でもモヤモヤしてしまう。

 深織を抱えダブルベッドの左側に深織を寝かせる。そして僕は右側に座る。

 深織とのランデヴー。

 もう沢山のところを回ってきた。僕なりの深織への愛情表現だ。生まれて初めてのランデヴーを思い出す。もちろん相手は深織だ。そのときは僕も足りないところが沢山あって苦労した。TikTokやYouTubeで晒されたりもした。

 肌を虹色にペイントした格好だけでしかオリジナリティをだせない様なYouTuberにしつこく動画出演を迫られ断ったら断ったらで「女が上半身裸で暴れている」と110番通報を入れられたり。YouTuberの不自然な敬語や断った後の「お前、痛いぞ」や「お前子供産んだら虐待しそう」などの言葉を思い出す。そして男はパトカーの音が聞こえだした後「今からお前を晒すわ」と言い僕にスマホのカメラを向けだした。そして「モイリス〜」と恐らく挨拶の言葉を口に出した。僕は何もやましいことをしてないので様々な分野の人から見たハルトマンについての本を読んでいた。

 警官はYouTuberの顔を見るなり「またお前か」と言いYouTuberの方を連れて行った。僕も事情聴取を受けたがYouTuberの普段の行いから全てを察したのだろう。終始穏やかな言葉を穏やかな口調で投げかけられた。半ば同情する様な態度だった。そしてその聴取が終わるとすぐ僕は解放された。

 僕たちは理解されない。どこまでも好奇の目でしか見られない。深織との関係は「可哀想な人生の象徴」として見られないことも多い。話したくなくても隠し事しないことが友情の証拠としてしか見られないことも多い。別に嫌いだからとか信じられないから話したくないのではない。僕は僕の心を守るためだけに話したくないのに。

 それにキャラ作りとしてしか見られないこともある。

 人間と結ばれた方が幸せだと、正解だと説く人もいる。じゃあ逆に人間同士での愛では不幸せだからと不正解だからと愛おしい人との時間を諦められるのか。幸せ不幸せ、正解不正解、それすらどうでもよくなるのが恋愛ではないのか、そう僕は思ってしまう。それらより優先事項が高いのが愛ではないのか、そう考えてしまう。それ以前に僕たちの関係は不正解でもなければ不幸せでもないが。

 僕は隣に置かれている深織を抱きしめ接吻をする。僕の言葉を、思考を塞いでくれることを乞い願って。

 愛してるよ。深織。世界の誰よりも、何よりも。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る