第19話 ロミオンの求めるもの
「はぁ…………」
アリエルのため息は深い。学園の研究室の隅々にまで行き渡るほどに。
「彼の望むもの……」
彼とはロミオンのことであった。皇帝デオドロの言葉がアリエルの脳裏に響く。
『ロミオンが何を求めているのか探ってくれ。帝国はそれを与える。何としてでも、手懐けるのだ!』
ロミオンはその無限とも言える魔力量によって、彼にしか出来ない魔法【テリトリー】を完成させた。
魔人であっても、彼の領域に入れば生殺与奪を握られる。
魔法学園の評価基準では、ロミオンが上位に来ることはないだろう。しかし、実戦で彼を上回る学園の生徒などいない。
そもそも帝国中を探しても、正面からロミオンに挑んで勝利出来る者など、ほとんどいないだろう。彼は既に最強の魔法使いの一人と言える存在なのだ。
一体これ以上、ロミオンが何を望むというのか? 地位や名誉? 否。彼は目立つことを嫌う。決して欲しがらないだろう。
では金? 否。これも違う。物欲は感じないし、贅沢をしたいわけではないだろう。
あとは女か? もう少し成長すれば、考えられる。が、現状では異性に色目を使っているようなそぶりはない。
「難しい……。いっそ、本人に聞いた方が早そうね……」
アリエルは立ち上がり、背中を丸めながら研究室を後にした。フードを深く被り、周囲の目を気にしながら先へと急ぐ。
向かう先は学園から少し離れたところにある、冒険者用の宿だ。
魔人達の襲撃によってアクラム魔法学園の男子寮は全焼。建て直しまでの間、男子生徒は帝都の宿に分かれて寝泊まりすることになったのだ。もちろん、ロミオンも。
「冒険者に絡まれたりしてないかしら……」
急に降ってきた嫌な予感。アリエルは眉間に皺を寄せながら、足を速めるのだった。
#
「ちょっと出掛けてくるね」
「えっ、どうしたの? もうちょっとしたら夕食だよ?」
夕暮れ時になって外出しようとするマレーゼにキキは疑問を投げかける。マレーゼはピタリと動きを止め、俄かに額に汗を浮かべた。
「えっと! ちょっと用事を思い出して!」
問い詰められたくなかったのだろう。マレーゼはキキの視線を振り切るように小走りになり、部屋から抜け出した。そのまま女子寮の門をくぐり、帝都を駆ける。
街の至る所に崩れたり、焼け落ちた家屋があった。しかし、すれ違う人々の顔に暗さはない。帝都に混乱をもたらした存在が全て討伐されたことを知っているからだろう。
マレーゼはそんな人々を見て、少し誇らしげだ。口元が自然と緩み、目じりを下げる。彼女は確信していた。帝都に現れた魔人を一掃した仮面の男が、ロミオンであると。
「ここ……だよね……。穴熊亭」
酔っ払いの声が外まで響いてくる宿の前で、マレーゼは呟く。冒険者御用達の場所だとは聞いていたが、あまりの騒がしさに少々、気が引けていた。
「でも、ちゃんとお礼を言わないと……!」
自らを奮い立たせると、マレーゼは宿の扉を開けた。酔っ払いの声が更に大きくなって耳を打つ。
向かって右手に食堂があり、正面には受付カウンターがあった。笑みを浮かべた男が丁寧に礼をする。マレーゼは少しほっとして、受付の男に話し掛けた。
「すみません。アクラム魔法学園の生徒がここに泊まっていますよね? ロミオンって名前の」
「あぁ。あの子ね。さっきも女の人が尋ねてきたよ。たぶん食堂に居る筈だけど」
受付の言葉にマレーゼの顔が引き攣った。自分以外の女がロミオンを訪ねてくるなんて……。一体、誰……? 拍動を速めながら、受付が指差した方へとマレーゼは歩き出す。
荒くれ者が酒を飲み交わす中、フードを被った二人が食堂の隅にいた。ロミオンの顔は見えるが、女はマレーゼに背中を向けていた。
早鐘を打つ心臓を押さえながら、二人に近付く。マレーゼは大きく息を吸ってから、思い切って声を掛けた。
「あっ、ロミオン君! 偶然だね! こんなところで会うなんて……!」
マレーゼは嘘が下手だった。フードを被った女が顔を上げる。
「貴方はブルボン家の……。名前はマレーゼだったかしら?」
「えっ、あなたは――」とマレーゼが声を上げた途端、アリエルはパチンと指を鳴らしてテーブルの周りに結界を張った。
「名前を言われるの困るわ。まぁ、座って」
「はい……」
勧められたまま、マレーゼは椅子に座った。丸テーブルにロミオンとアリエル、マレーゼが揃う。
「時間制の防音結界を張ったわ。ここで話したことが周りに聞こえることはない。で、マレーゼさん。どうしてここに……?」
学園長の鋭い視線にマレーゼは小さくなる。
「その……。ロミオン君にお礼を言おうと思って。魔人から守ってもらったので……」
「はぁ。やっぱり気が付いちゃったかぁ。ロミオン? 君が迂闊に声を私に掛けたからバレたのよ?」
アリエルがきつく言うと、ロミオンはフードごしに頭を掻きながら口を開く。
「気が付いているのはマレーゼだけか?」
「ルームメイトのキキも気が付いていたと思います。他のクラスメイトはロミオン君と話さないから、声を聞いても分からないと思う」
マレーゼとキキはロミオンが仮面を付けて活動していることを知っていた。しかし、わざわざこのタイミングでそれを打ち明けることはなかった。
キキの実家の力を使ってロミオンの素性を探ろうとしたことを、後ろめたく感じていたのだ。
「じゃあ、四人だけの秘密よ? 仮面の男がロミオンってことは」
「はい! 絶対に誰にもいいません!」
マレーゼは「秘密」という単語に反応して、興奮していた。
「ところで、アリエル学園長はなぜロミオン君のところに?」
興奮が収まった頃、マレーゼは当然の疑問を口にした。
「それは貴方と同じような理由よ。魔人から帝都を救ってくれたお礼をしようと思ってね。ロミオン。何か欲しいものはある?」
アリエルはじっと観察する。ロミオンは考え込んでいるようでなかなか返事をしない。沈黙が続く。
その時、赤ら顔の冒険者がフラフラと三人の横を通り抜けようとした。冒険者はマレーゼを見てニヤリと笑う。
「へへ。ずいぶんと可愛い子がいるじゃねーか。そんな暗い顔したガキと喋ってないで、俺達と飲もうぜ!」
マレーゼはまるで気が付いていないように、冒険者の方を見向きもしない。それはそうだ。防音結界が張られているのだ。
「おい! 聞いているのか……!?」
完全に無視されたことで、冒険者は赤い顔を更に赤くし、声も大きくなる。そして、マレーゼの肩に手を伸ばそうと――。
「触れるな」
さっと立ち上がったロミオンが冒険者の手首を掴んだ。
「はぁ!? 何を言ってるんだよ!? 聞こえねえぞ!!」
「触れるなと言っているんだ」
防音結界は未だに有効である。お互い、声が聞こえていない。
「口をパクパクさせてるだけじゃねえか! 舐めているのか! 俺はB級冒険者のジェックだぞ!?」
「いいから、はやく立ち去れ」と言って、ロミオンは冒険者の手首を離し、今度は肩を押した。酒が回っているので、簡単によろける。
「ガキが! やりやがったな!」
なんとか踏みとどまると、ジェックと名乗った男は腰の剣帯から短剣を抜いた。その目は血走っている。
辺りは騒然となり、食堂の客が一斉に立ち上がってロミオンとジェックから距離を置いた。
ロミオンは小声で【テリトリー】と呟き、一瞬で食堂全体を支配下に収める。
ジェックは全く気が付いた様子はなく、短剣を振り上げた。その時――。
「やめておけ」
しんとした食堂に響く低い声。丸テーブルに一人で座る男が肉を切っていたナイフをジェックに向かって動かした。すると……。
「はぁ……!? 何だこれ……?」
ジェックが振り上げていた短剣が根本から折れ、床に落下する。食堂にいる誰もが息を飲んだ。
ナイフを持っていた男は立ち上がり、ロミオン達が座るテーブルへと近付く。
男の威容に恐れをなし、ジェックは後退りを始めた。
「死にたくなかったらいけ」
「は、はいっ……!!」
赤ら顔はすっかり白くなり、ジェックは駆け足で食堂から去っていった。
「命拾いしたな」
「あっ、あの! ありがとうございます!」
マレーゼは男に向かって頭を下げる。男は「違う違う」と手を振った。
「ははは。命拾いしたってのはさっきの冒険者のことだよ。そうだろ? 少年」
男にそう言われたロミオンはフードの奥で恥ずかしそうにしている。明らかにいつもと様子が違う。アリエルは目つきを鋭くして観察を続けた。
「……貴方は?」
「俺か? リベリウスだ。剣士をやっている」
ロミオンの前に立つのは中央大陸にその名を知らぬ者はいない程の英雄。S級冒険者であり、英雄職【剣聖】を授かるリベリウスだった。俄かに食堂が騒がしくなる。
「で、君は?」
「ロ、ロミオンと言います!」
「ロミオンか。いい名前だな」
「ありがとうございます!」
アリエルはリベリウスとロミオンのやり取りを見て、ある仮説を立てつつあった。
リベリウスに向けるロミオンの視線はひどく熱っぽい。
『ロミオンが何を求めているのか探ってくれ』
皇帝デオドロの言葉が再び蘇る。
ロミオンの求めるもの……。それは地位でも名誉でも金でも女でもなく、男なのかもしれない……。しかも、強い男……。
アリエルの勘違いが加速し始めた。
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