「おばちゃん飴ちゃんやるわ」 雨を恋う/みうらさん

 6人目のU-18参加ということで、これによってU-18賞は創設されることになりました。(後日正式にアナウンスします)。


 さて、さっそく感想ですが、とても良く書けていると思います。テーマ「雨」に対して雨乞いを使ったり、淡く儚い恋心を使って心情を表現しているところなどは、大人の参加者たちにもドヤ顔してもいいくらいにナイスだと思います。またタイトルも非常に本作にマッチしているのではないかと思いました。

 何よりも、文章を一生懸命書いたんだろうなというのが伝わってきました。高校生でありながら、「背伸びをした小説表現」にもチャレンジしております。


 アドバイスということですが、文章もストーリーも高校生ならばという、一定の完成度を有しておりますので、「カクヨム甲子園」対策の即戦力的なアドバイスをしてから、本題のアドバイスに入りたいと思います。


 みうらさんたち学生さんは恐らく学校や部活などの合間の時間を作って書いているのだと思います。ですので、限られた時間の中でどう書くか(夏休みは別として)を考えなければならないと思います。いかに高効率かつ正確な文章の記述及び表現を磨いていくかが必要だということです。

 みうらさんにとって今一番必要なのは「国語辞書を手元に置いて常に引く」ということです。ネットでもいいのですが、残念ながら無料の情報には責任を問えない間違いもありますので、有料な国語辞書またはそれに相当するアプリを常に携帯してください。

 次に、それを活用するタイミングを理解してください。そのタイミングとは「背伸びした書き方をしたとき」「普段、何となく使っている語句や慣用句が正しく使えているか不安になったとき」になります。このタイミングをいかに本能的に察知できるかの頻度が、上達できるコツになります。


 みうらさんの冒頭部を見てみましょう。



水田が乾燥で割れ始めても、村一番の巫女の祈祷に効果が見られなかった。


 水田とは水を張った田んぼということになります。まずここに違和感を持ってほしいです。文意は「何度も祈祷したのに雨が降らない」ということにあります。その「何度も」という部分を「水田が乾燥で割れ始めても」に使っております。

 しかしながら、水田からのスタートになりますと、水が張ってある→日照りで水がなくなる→乾いて割れてくるという順序になります。おばちゃんは日本語が得意でも校閲さんでもないので細かいことは言えないのですが、「水田が乾燥して割れ始めても」という状態変化の表現を用いないとちょっとおかしいかなと思うのです。

 厳密には水田=田んぼでも間違いではないです。ですので、この指摘は「(言われてみれば)そうかもしれない」レベルのものですが、みうらさんの文章にはこの僅かに違和感のある個所が数か所あります。これはとても残念なことに、文章力が未熟であればそういうもんだと読み流してくれますが、ある程度の文章レベルの作品になると、読者は些細なことに目がとまってしまうからなのです。くだけたイメージとしては、優等生の些細な落ち度は気になって仕方がないという感じでしょうか。

 ということで、いかに正確な言葉の運用を辞書を引くことで達成するか。その一点においてみうらさんはとにかく辞書を持ち歩いてください。上手な文章を書きたいのであればなおさらです。他にも、「喪失感のようなものを感じた。」などの重文も、ダメってわけではないんだけどぉ、というラインが多く、モヤってしまいます。おばちゃんのような「こまけえことはいいんだよ」な人が気になるのですから、国語にうるさい人などにはマイナスイメージを与えかねません。

 言葉は「知ってる」だけではダメで、「使いこなし」てはじめて小説に使えると思ってもいいくらいです。おばちゃんにとってカクヨム甲子園は参加資格などとっくにない「他人事」ですし、運営や応援に携わっているわけでもありませんので、「カク甲」なんて略して書くと、自分自身に馴染んでいないので違和感しかありません。ですので、そうは書けるけど使用はしないわけです。言葉は自分の分身だと思ってください。(おばちゃんはズボラだから偉そうなことは言えないんですけど……)。そして、常に出典(しゅってん。故事・成語・引用語などの出所である書物。)を求めてください。


 もうひとつ、学校の国語では教えてくれない、小説ならではの点を指摘させてください。



美しく髪を結った瑠璃は、清らかな白い衣を身にまとっていた。



 小説には「言葉を尽くして説明しなければいけない単語」というものがあります。「美しく」がまさにそれです。どう美しいのか。それを表現するのが小説だからです。みうらさんが美しいと思う髪とわたしが美しいと思う髪、そして主人公が美しいと思う髪の基準は皆、一緒でしょうか?

 ですので、「美しい」「完璧」などの特に極まった表現というのは、小説では注意をしなければなりません。

 そして、ちょっと混乱するかもしれませんが、小説の文章には「読者に伝える重さ(重要性)」という要素があります。どれくらい重要とか、どれくらいストーリーと関係があるとか、そういう直接的な意味ではない、付加情報のようなものが存在しているのです。


①美しく髪を結った瑠璃は、

②清らかな白い衣を身にまとっていた。


 この場合、みうらさんは①と②のどちらを「読者により伝えたい」と考えて書いたでしょうか。またはみうらさん自身がどちらを強調したくて書いたでしょうか。

 最初おばちゃんは「髪を結い、清らかな白い衣を身にまとった瑠璃は美しかった」と言いたいのかなと思ったのですが、恐らく、髪の結い方が美しいと表現したいのだと思います。何故ならば、本文章前後に主人公の感情はなく、あくまでも瑠璃の情景描写にとどまっているからです。

 「美しい」は読者に強いイメージを与えますので、①と②の伝える重さをフラットにしたいのであれば、美しいはやや不適ではないかと思います。

 ちょっと更に混乱させてしまうかもしれませんが、伝える重さを①=②としたいときには、

 

 髪を美しく結った瑠璃は、清らかな白い衣を身にまとっていた。


 にしますと、美しいに大した意味を課しませんので、なんとか使えると思います。何が何でも「美しい」をくわしく表現しろということではなく、あくまでも「読者に伝える重さによって使い方が変わる」ということを理解してほしいと思います。このあたりは校閲さんとはいわずとも、キチンと日本語を評価してくれる先生や指導者に見てもらえると良いのですが。


 以下、せっかくなので、カクヨム甲子園対策として、細かいところを指摘させていただきます。

 再考すれば良いことばかりなので、ダメ出しなんて捉えずに、「ヒント集」だと思って読んでみてください。


・穢=みうらさんが振っている基準ですと、ルビの対象だと思います

・色素が薄い彼女の瞳=色素が薄いが文意に活かせてない?

・私は自分がここにいることを、この子にずっと気づかれていたことを悟った。=私が隠れていることの表現を、先に出した方がよいかなと。

・しかし、後が続かない。瑠璃は困ったように、くしゃりと笑った。=ここ、最高に好きです。ここでしかできない、ここのシーンに最もふさわしい表現だったと思います。これクラスをあと3、4発出せれば、大人もビビるような仕上がりに近づけると思います。

・鈴は忠彦ただひこに恋をしているのでしょう=読者から見て忠彦の登場がやや唐突かなと思います。物語の主線ではありませんので、「あたしたちの幼馴染である忠彦」くらいの補足情報を入れてあげると、読者も流して読めると思います。

・結局、私は泉を見にいかなかった。=前文で「だった」で終えてますし、読後感のために読者に想像に任せて良い部分だと思います。無しでも良いかと。


 全体を見渡してみると、文章の細部として「ここは絶対にダメ!」というところはほぼないのですが、小説としての表現をしようとして、結果的に言葉運びの雲行きが怪しくなっているところがあるかなと思います。辞書引いてしっかりと言葉の意味を理解し、後ろに繋がる表現や語句はネットでもいいので調べてみてください。そうすれば、今よりはるかに上手な文章になると思います。(ちなみに今、おばちゃんは「雲行き」を念の為に調べ直しました)。

 あと、これは非常に微妙なところですが、字下げはした方が「無難」だと思います。これはわたしというよりは、読者や審査員に対しての「作法」だと思ってください。カクヨム甲子園はweb小説とはいえ、字下げの無い文章を良く思わない審査員もいるかもしれません。賞を狙っているのであれば、万全を期してください。(※本件はみうらさんが改稿されておりましたので、ご参考までの情報として残しておきます)


 さて、最後に大きなアドバイスですが、そうですねぇ、みうらさんには「腹をくくる」という考え方を飴ちゃんとして持って帰ってもらおうかと思います。これは今すぐできることでもやれることでもないので、「おばちゃんがそう叫んでいた」とだけ覚えておいてください。


 本作、「情景をビシバシ描いたものを読んでもらいたい」のか「私と瑠璃の心情や境遇で読者を引きこみたい」のかどちらだけにするという、腹を括って書くべきだとおばちゃんは思いました。手段としては、前者であれば三人称、後者であれば一人称で書くとよいです。高校生が前者と後者をあわせたものを一人称で書くのは難度が高いですし、カクヨム甲子園に出すにはリスキーでしかありません。どちらかに特化して書いた方が、結果的に評価は高いと思います。

 おばちゃんも自分の実力的に、どちらかしか表現ができないときは、片方を潔く捨てます。それによって、捨てた方についての読者から批判を受けようとも、おばちゃんはおばちゃんのベストを尽くしたので悔いはありません。むしろ、なんとか器用に両方をこなそうとして、無難なあるいは出来の悪い小説を世に出すくらいみっともないことはないと考えております。

 みうらさんは今、可能性の塊みたいなものですから、おばちゃんみたいに割り切る必要性はすぐにはないのですが、カクヨム甲子園などの賞レースは「作家の基本姿勢」を見抜いてくる審査員ばかりです。まずは「どう書きたいか」を考えてから書くことを始めてみてください。あるいはまず書いてみて、「あ、どう書きたいかとは違うな」と思ったら思い切って捨てるか書き直してみてください。きっと芯がブレない小説を書けるようになると思います。


 小説を書くにあたり最も重要なことは「自分が何をどう書きたいか」をまず考え、そして何を書き何を捨てるのかの決断をすることです。そして同じくらいに大事なのは、「読者にどう伝えようか」を常に考えることです。ベタベタ書いていくのではなく、あくまでも考え悩んで決断したものだけを文字として残す、くらいに思ってください。

 いつかこの二つに慣れていければ、みうらさんは自由に小説を書いて読者を魅了できるでしょう。先の長い話ですが、必要なのは目指すべき場所を設定することです。高校生活で大変でしょうが、みうらさんには十分な可能性を感じますので、是非とも頑張ってください。


※補足

さいかわ賞では、字下げについては作品の評価にまったく関係ありません。好きに表現してください。あくまでもカクヨム甲子園に出す場合ならという説明をしております。

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