第22話 ホムンクルスの恋慕、魔女の苦悩

 どうして。

 ステラが示した答え、たとえ十数秒であろうと彼女なりに考えた結果の行動。夜風に当たりに行くという口実で一人になろうとした私を引き止めた彼女。その言葉が私の気をいっそう滅入らせる。


 どうして、あの子と同じことを言うのよ。


 そばにいる、誰よりもそばにいたいと私に言ってくれたあの子は、私より先に逝ってしまった。魔女だとか普通の人間だとか、そんなの関係なく、理不尽な生き死にはこの世界に付き物だ。それを過度に悲観することはない。それでも虚しさは積もっていく。やがて私自身を空虚にしてしまう。

 それでよかった。姉妹たちで仲睦まじく生きていた一族の森、そして一族から離れてあの子と暮らした街からも、遠く離れたこの島で一人やさぐれ、風塵の如く生き、人知れず死ぬ結末を迎えるのが自分の性に合っている。そのはずなのに。


「どうして……」


 私の腕を掴んだままでいるステラ、その顔を見ることなく、とうとう私は言葉にする。夜の闇の色に染まった礼拝堂で確かなものは少ない。漏れ出た小さく暗い呟きがステラに聞こえたかのは怪しかった。


「笑わないで聞いてくれますか」


 そんな前置きを彼女はする。


「いっそ笑わせて。楽しい気分にさせて」

「それはまた別の機会にしましょう」

「そんな機会は……」

「――――家族になりたいのです」


 家族。以前に私から口にしたことだ。


「あなたが読んで、教えてくれた手記の内容を信じるならば、わたしの創造者である錬金術師は、わたしが目覚める前にいなくなりました。その意味でわたしには最初から家族はいません」


 生まれてすぐに森の中に捨てられた孤児とも異なる境遇。

 錬金術師による創造物。彼女を生んだ母体や揺り籠に相当するものは何だったのか。いかにして錬金術師はこの美しい少女を創造するに至ったのか。多くのことがまだわからないまま。


 けれども、それと彼女に芽生えた意思は関係ないのかもしれない。彼女は私とヘイズと暮らし、特殊なバイオリンを弾き、サンライトベリーで働いてみて、それで「家族」を得たいと思った。きっかけを与えたのは私だ。


夕闇ダスクとヘイズからはこれまでたくさんのことを学びました。もちろん、この学習は教会に通っている子供達とのそれとは違いますが。わたし……ステラという人格はこの数カ月間でより確かなものになったのです。その上で、知りたいことがあります」

「知りたいこと、ね」

「はい。家族に必要なこと、あってほしいと思うものです」


 微笑んでいるのだろうな、と思った。

 彼女のほうを向いたってこの暗がりではその表情は上手く見えないだろうが、こうして顔を合わせることがなくても彼女が今、口許を緩ませ、何か期待しているのを察した。


「それは、あなたが読んでいる途中のシリーズ小説と関係がある?」


 冒険者とお姫様にのドラマチックな恋愛。それを現実でも得ようとするのは、妄想が過ぎる。


「ご名答です。勘違いしないでほしいのは、わたしは現実と虚構との区別がつかなくなっているわけではないということです」


 ほとんどすべての人間にとって、虚構めいた存在であるホムンクルスがそう言った。


「夕闇……わたしに愛を教えてください」

「あなたを家族として愛せと言うの」

「愛は強いるものでないでしょう」

「だったら……」

「わたしがそばにいる、そう言いました」

「つまり?」

「わたしが今以上にあなたを愛するようになれば、あなたもわたしに愛を返してくれるのではありませんか」


 彼女が世間知らずの小娘で、本の中でしか恋愛を知らないお嬢様だったのなら、笑い飛ばすこともできた。けれど、そうではない……。私は彼女に教える。


「あのね、人と人との感情の応酬は必ずしも等価交換ではないのよ。そんなこと、とっくにわかっているはず。どうして愛情が例外になり得る? いいえ、なりっこない。愛情こそ、一方的なことが多いものよ。天秤が釣り合うことってまずないの」


 諭すように。同情的に。ホムンクルスの思い違いを哀れんで。


 しかし、ステラは「何を言っているんですか」と大きく溜息をつき、そして手を離したかと思えば、私の正面へと回った。


「くだらない講釈はよしてください。今はわたしとあなたという、れっきとした個人と個人の話です。一般化は不要です。いいですか、もう一度考えてみてください」


 そう言ってステラが私を抱き寄せる。ふわりと。ぎこちなさがまるでない。彼女はごく自然に私に触れてくる。


 かつて私とあの子は触れ合うのを躊躇った日々があった。一度触れあってしまえば――熱く、深く、肌を重ねてしまえば取り返しがつかなくなると二人ともが恐れていた時があったのだ……。


「あなたはまだ一人になりたいですか。わたしの愛はあなたを苦しめますか?」


 柔らかな感触も、優しい囁き声も卑怯だ。


「ねぇ、シスターにも同じ分だけの愛を与え、そして求めるつもりなんでしょ」

「そうやってまた話を逸らすのですか」

「いいえ、これって大事よ。今は二人でも、いずれあなたはこの島の人たちみんなと家族になりたいと思うかもしれない。行き着く先は信仰や崇拝。私が危惧していたとおり」


 ステラの鎖骨あたりに顔をうずめて言う。早口に。顔は見れない。見たくない。なのに離れることもできずにいる。彼女の抱擁は拘束ではなく、抜け出そうと思えば抜け出せるのに。


「ヘイズはいい人です。親しみを感じ、敬い慕うことができる、いわば姉のような存在です。ですが、夕闇に感じている気持ちはそれと違います」

「性悪な、捻くれた姉か妹ってところ?」

「いいえ。たとえば……」


 ステラが体勢を変え、私の顔を無理矢理に、いや、実際は優しくだが、とにかく彼女へと向けさせ、私の頰に口づけしてきた。


「こういうことをしたく感じます」

「……小説の悪影響ね」

「あの小説では男女間でもっと露骨な性行為に及んでいましたよ。時には複数人で。大した描写ではありませんでしたが」


 英雄色を好むを体現したストーリー展開とは恐れ入った。それを淡々と話すこの子もこの子だ。そして何より、心臓を高鳴らせっぱなしの私が一番どうかしている。


 これはあの子に対する裏切りではないか。どうしてホムンクルスにいいようにされているんだ。


 ふと、くしゃみが出る。

 夜の寒さがやっとこの身に届いたような、そんなくしゃみ。まだ顔は熱を持っていて、心音もうるさい。


「夜風に当たりに行くのはやめて、部屋に戻りませんか」

「……そうするから、離して」


 一度引き止めたステラが、今度はあっさりと解放する。


「次の満月の夜、またあの岬に行きませんか。聴いてもらいたい曲があるんです」


 前向きに検討しておく、そう私は言い残すとヘイズのもとへ一人で向かう。

 よく眠れるハーブティーを淹れてもらうため、というのが建前で、本音は少しでもステラとの距離を取りたいため。

 ついて来ようとしたステラにさっさと部屋に戻ってなさいと命令口調で言うと、彼女は無言で応じてくれた。どんな顔をしていたかはわからない。


 そっと自分の胸に手を当ててみる。これが恋や愛だと言うのなら。私は伝承の魔女のように、あの岬から飛び降りるべきなのだろうか。

 

 頬に触れると、まだ感触が残っている気がした。それから唇を指でなぞる。唇同士を重ねようとしてきたなら、拒めただろうか。


 あの血染めの夜、あの子と最後に重ねた唇、その感触には禁忌を破る躊躇を失くすだけの切なさがあった。むしろ皆に思い知らせなければと思ったのだ……。

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