第3話 地下室の箱、錬金術師の手記

 薬草園の地下、私たち二人が目の前にしている扉はいかにも頑丈そうな造りをしていた。錠前もなければ取手やノブもなく、両開きであるのを示す縦一線の割れ目に内側を覗けるほどの隙間はない。


夕闇ダスクさん、鍵をお持ちなのですよね。どこにどう使うか見当もつきませんが」

「物理的な鍵はない。長から預かっているのは合言葉」


 錬金術師が遺した例の手紙に記されていたそうで、無論と言うべきか、日常的な言葉ではない。とうの昔に人々の記憶から失われた古語であり、長はその音の並びを懇切丁寧に教授したくせに意味は教えてくれなかった。

 邪推するに、かつて長と錬金術師の間で交わされた何か特別な意味を持つ言葉なのかもしれない。


 そんな説明をヘイズにしてから、私は扉に触れる。触り心地がまさしく岩壁であるそれを、試しにぐっと押してみるが動く気配はまるでない。

 

 しかし、触れたままで合言葉を唱えてみると、扉の向こうからカチリと音がして、ズズズと自動で内側に開いていく。すぐ後ろでヘイズが感嘆の声をあげた。


 扉のすぐ先は通路ではなく部屋のようだったが、このまま足を踏み入れるか考えた。

 灯の魔法――私たちを照らし出している光球はありふれた手燭よりは周囲を明るくしてくれているが、部屋全体を常に照らすには心許ない。言い換えれば、もしも闇の中から奇襲を受けると対応できないのだった。


「踏み込む前に、灯を使役して室内を確認する。集中したいから、静かにしていて」

「は、はい」


 魔力の大半が封じられているが、それぐらいの操作ならできるはずだ。私は一度、光球を自分の掌の上まで戻すと部屋の中へ目がけて飛ばした。理想的にはびゅんっと向かってほしかったが、ふわりふわりと時間をかけて飛んでいく。

 小さな部屋だ、光球が隅から隅までを確認するのにそう時間はかからなかった。


「ふぅ……。壁際に小さな書き物机、その上には本が数冊。中央には大きな白い箱。シスター、あなたは他に何か見えた?」

「いえ、何も。石の床にも壁にも、天井にも。他に目ぼしいものはないです」


 地下ゆえに窓がないのはいいとして、別の部屋につながりそうな扉も、換気口もない。高さはせいぜい大人二人分で、天井には何も吊るされていない。行き止まりの部屋だ。


「……あの白い箱、大きさからすると棺みたいですね」

「ずいぶんとはっきり言うのね。教会で使っているのと同じ形?」

「どうでしょう。最後に教会側で用意した棺は祖母のもので、作ってくださった職人は一昨年に亡くなりました。信徒ではありませんでしたから、埋葬先は教会の墓地ではないのですが」

「そう。余計なことを聞いて悪かった」


 今一度、光球で照らし、箱の外観を念入りに見てみる。そこに装飾らしい装飾は一切ない。汚れ一つないその白さはかえって不気味だ。


 私は用心しながら部屋へと入る。そして近くで床や壁を観察したが特に発見はなかった。ヘイズにも入ってきてもらい、同じように探ってもらったが新たな成果はない。


「開けて中を確かめるしかないようね」


 白い箱、それは中が空洞であるのなら人間一人がゆうに入ることのできるサイズだ。その傍らに立って見下ろす。まだ直に触れるのは早いと判断して。


「開けないという選択肢は」

「そうね、私も焦るつもりはない。まずは机の上にあった本を読んでみてからにする」

「では一旦、地上に戻るのですか」

「ええ、そうする。何も起きなくてがっかりした?」

「……ほんの少しだけ」


 と言いつつもヘイズがほっとしているのが、照らされた顔でわかった。


 


 日没までまだ少し時間がある。

 ハーブティーをご馳走になった小部屋に戻ると、私は地下室から持ち出した本にさっそく目を通し始めた。全部で四冊あり、そのうち二冊はまるっきり読めなかった。

 察するにこれが例の古語に違いない。長に連絡をとるか、その道の専門家と会わなければ解読は無理そうだ。残りの二冊のうち、一冊は植物図鑑だった。この手の図鑑は以前に別の街で目にした覚えがある。ぱらぱらとめくってみたが、特別な書き込みや栞の類はなさそうで読み込むのは後にした。


 そして残りの一冊。


「これは錬金術師の手記のようね」


 私はその厚みのある手記から顔を上げることなく、対面に座っているヘイズに向けてそう口にした。本の内容が知りたくて、そわそわとしているのが伝わってきていた。


「そちらは古語で書かれていないのですか」

「ええ。けれど今の私たちからしたら十分に古いし、しかも筆跡はお世辞にも読みやすいとは言えない走り書き」

「第三者に読ませるのを想定されていない、と?」

「日記って基本そういうものだから。ただ、敢えてあそこに遺したのには意味があると思う。さて、肝心の地下室についてだけれど」


 顔を上げてヘイズを見やったその時、ぐぅと私のお腹の音がした。生理現象なので羞恥はさほど感じない。感じないがどうにも間が悪く、私は軽く咳払いをした。


「あの、先にお食事にしましょうか」

「待って。要点だけ共有しておく。あなたがそれを望むなら」

「えっと……危なくなさそうなら教えてください」


 ヘイズの逡巡は短かった。


「それはまだ不明瞭」


 残念ながら望む答えをあげられない状態であったが。


「ずばり、箱の中身は何だと記されているのですか?」

「――ホムンクルスよ」


 予想どおりヘイズがぽかんとする。むしろここで得心されたらこちらが戸惑う。


「あの中には人の形をした人ではない何かが入っているみたい」

「人形とも違うのですか」

「ええ、きっと」


 私とてホムンクルスに精通してはいない。それが伝説的な錬金術師によって生み出された人の形をした何かであるのを教わったことがあるというだけ。魔女の一族の中で伝えられる昔話の登場人物といったところ。高位の魔女が使役するゴーレムとは似て非なる存在。


 手記にはその「調合」を長い年月を費やして、ついに完成したという記述があった。まだ細部を読み込めていないから、あの箱に眠っていると思しき存在が、覚醒を待って眠りについているホムンクルスなのか、それとも「骸」であるかは把握できていない。


「人造人間や人工生命と表現してもいい。そう考えると、シスターが関わるべきではないわね。教義に反した存在だと思うから」

「……魔女だってそうでは?」


 ようするに「何を今更」というわけだったが、魔女とホムンクルスでは勝手が異なる。そのことについて話し合うより先に、食事の準備を願い出るのだった。


 できる範囲で調理の手伝いをして、ともに食事を終え、二人で片付けを済ませた頃には、あたりは夜の色に包まれていた。

 引き続き、小部屋で錬金術師の手記を読む私にヘイズがハーブティーを淹れてくれる。

 

 礼拝堂にある長椅子を寝床代わりにしたいから、もしあれば毛布を一枚貸して欲しいと頼むと、亡き祖母の私室を使うよう言ってくれた。地下室へと行く前に私が眠っていた時に整頓していたのだとか。


「夕闇さんの来訪で、掃除する決心がついたんです。時が止まっていたあの部屋を」

「そんな大切な場所に私を入れていいの?」

「……許してくれるでしょう。優しい人でしたから」

「ありがとう。ご厚意に甘えることにする」




 夜が深まり、どこからか鳥の鳴く声がする。日中と比べて気温が低く肌寒さを感じた。そんな中、私は部屋を出た。忍び足で礼拝堂へと行き、戸締りされている窓のひとつを解錠し、するりと外へ抜け出す。


 月光を背に私は向かう。

 一人きりで。あの地下室へ。

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