黄昏に咲く魔女は星座をなぞらない
よなが
第1部
第1話 島へとやってきた魔女は修道女と出会った
さる高名な魔女がかなわぬ恋に悶えるあまり、ついには身投げした。
あの岬にはそんな言い伝えがあるのだと年老いた船頭が遠くを指で示す。見れば、存外低い。あの高さでは普通の人間であっても上手く死ねまい。
それとも潮汐の具合によっては手ごろな岩場が現われでもするのだろうか。
鋼鉄の魔法を纏った魔女さえ貫くような。
「かなわぬ恋って?」
「さあな。相手がただの人間ってだけで、ご法度なんじゃねぇかい」
船頭は私を見ずに答えると、欠伸を噛み殺した。
では、何者であれば魔女が恋愛を成就させるのに相応しいのか。人でダメなら、悪魔や死神、もしくは魔物と呼ばれる異形の存在か。
わざわざ船頭に尋ねはしない。
彼が言い伝えを信じていないのは明らかだったから。なんとなしに話してみたに過ぎないのだ。まさか唯一の乗船客、十四、五歳の小娘の見た目をした私を、魔女だと察したわけではないはずだ。
島の南端、寂れた船着き場にて私を待っていたのは修道女だった。痩身の猫背で、顔つきからして二十代半ばと思しき彼女が、案内役たる証のアマリリスの花を一輪、その手に持って立っていた。
昼下がり、清々しい青空の下で彼女の顔色はどうにも暗い。気温も湿度も快適そのものであるから、暑さや寒さのせいではない。
ベールに収まりきっていない赤茶色の長髪はいかにも癖がある様子だった。
近寄り、私が待ち人であるのを簡潔に伝えると「ついてきてください」と、修道女はか細い声で言って歩き始めた。私は中身がすかすかのトランクを片手に提げ、ついていく。
「いくつか質問してもいい?」
船着き場を離れて
「なんでしょう」
「長から、何をどこまで聞いているか気になって」
私の言葉に修道女はきょろきょろとあたりを見回してから、ひそやかに答えた。
「――貴女が『わけあって魔力の大半を失った魔女』だと」
「他には? たとえば、この島にやってきた目的」
「教会の裏手にある薬草園、その地下に用事があるとだけ」
「そう。でも、当の私も詳しくは知らない。きっと長もね」
修道女は訝しげな顔をして、それから何か言いたそうな表情も見せたが口を閉ざすのを選んだ。しかし私にはまだ聞きたいことがいくつもある。
「私の名前は
「夕闇……さん?」
「ええ。真名ではないけれど」
一時的であっても一族を離れて活動する際には、偽名を使うのが習わしだった。私の場合、ほとんど追放や流刑に近いから、もうそれに従う必要はないかもしれないが。
「あなたの名前も教えてくれる? 念のために言っておくと、名前を知ったからといって、それだけで何か、たとえば呪うことができるわけではない。今の私であればなおさら」
「……ヘイズ、です」
「シスター・ヘイズ、参考までに長との間柄を聞いても? あなたを魔女とこれまで多く関わってきた人だとは思えない。この案内自体が非日常かつ不本意、そんな感じ」
「不本意だなんてそんな。緊張してしまっているんです」
「なぜ。あなたが言ったように今の私は、非力な少女。見た目はそう。もしかしてこの島では魔女って、それを口にするのも許されないような、忌み嫌われた存在なの?」
ここまでの旅路、すなわち一族が住処としている大陸西部の森からこの極東の島までの道のりでは、そういう一部の地域を避けて通ってきた。そして事前の調べではこの島がある一帯はその一部に該当しない。現にあの船頭だって軽々しく「魔女」と言っていた。
「いいえ、違います」
果たしてヘイズは首を横に振る。
「島の人たちにとって、魔女はおとぎ話や昔話の登場人物です。ですが私は、祖母から魔法や魔女の話を聞かされて育ったのです」
「実在しているものとして」
「はい。そして貴女方の長と、亡くなった祖母は友人だったそうです」
「なるほど。であれば、長は今回のことをあなたのおばあさまに頼もうとしたのね。でも既に亡くなっていたから、その役目が孫娘であるあなたにまわってきた」
ヘイズ自身から明かしてくれたことには、彼女の両親は早くに流行病で死んでしまい、幼い頃から祖母が親代わりだったらしい。
「長はどんなふうにあなたと接触を……待って、当てさせて。そうね、たぶん鏡。手鏡ではなく大きな姿見。あの森からこんな遠く離れた場所までだと確実な手段は限られてくるから」
私がそう言うと、ヘイズは恭しく「そのとおりです」と返してきた。
「一か月ほど前の真夜中です。私室に置いてある鏡が光って、その光の向こうから話しかけられました。驚きました」
「あなたが信仰している神様の声でなくて残念だった?」
「それは……」
「ごめんなさい、意地悪な質問だった。ええと、それであなたは一方的に私の案内を頼まれたの? それとも何か対価らしいものを得た?」
むしろこちらのほうが意地の悪い質問だろうか。とはいえ、修道士なのだから相手が魔女であっても無償で献身しろというのは傲慢を通り越して理不尽な要求だ。私の知る長はそういう魔女ではない。
「単に案内役だけではなく、お手伝いをさせていただけることになりました」
おずおずとそんな返事をよこしたヘイズに私はつい苦笑する。
「言いくるめられた? 知的好奇心を満たす、貴重な経験ができるからとでも」
「そうではありません。私からぜひにとお願いしたのです」
「どうして」
「この島での生活は……ひどく色褪せていますから」
「詳しく聞かせて」
それから、徒歩十五分余りの道程で、ヘイズが訥々と語ったのをまとめると次のようになる。
まずこの島、丸一日あれば一周できるほどの大きさの土地に教会は一つしかない。
ヘイズはその教会に属する唯一の修道士にして、おそらくは最後の修道士だ。
島民の大部分が別の宗教を信仰しており、その教えに沿った冠婚葬祭を行なっている。
ヘイズが異端視や排斥されないのは、今や教義を積極的に広めようとしていないからだ。彼女は島の子供たちの面倒を見たり、薬草園で採った薬草を売ったり、近隣住民の家事を手伝ったりして日々を過ごしている。
この平穏を、彼女は退屈とみなしているようだ。修道服を脱ぎ捨て、誰かしらと家庭を築く気はないのかと尋ねると「いえ、そんな相手は……」と口籠ったので、それ以上の詮索はしなかった。
「あの、私からも聞いていいですか」
話が一段落し、小さな丘の上に教会らしき建物が見えてきた時にヘイズがそう言った。
「もちろん。どうぞ」
「祖母からは、魔女の髪は金色か銀色だけと聞いていたんです。けれど夕闇さんの髪は真っ黒ですよね。とても綺麗ですが」
束ねずに下ろしている髪は、肩につきそうな長さだ。
「あなたのおばあさまは正しい。黒髪は、呪いや代償によって魔力を封じられている魔女の証なの。私のこれは代償」
「代償……?」
「この体もそう。実年齢はあなたと同じぐらい。とある禁術を使った代償に、魔力を失い、なぜか若返り、髪が黒く染まり、一族から叩き出されたってわけ」
笑ってそう話すと、ヘイズは納得がいっていない顔で「ですが」と口にした。
「貴女方の長は『長期療養のようなもの』だと話していました」
「へぇ、あの人がそんなふうに」
教会の前まで到着する。外壁からしてかなり古い建物だ。
「――ねぇ、シスター。もし私の目的が、薬草園の地下に眠る怪物を退治することだとしても、手伝ってくれる?」
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