第4話
王妃陛下の私室の前には護衛騎士が二人立っていた。つまりそこにはもう警備対象がいるということ。
はやる気持ちを抑えてベアトリーチェはゆっくりと近づいた。護衛騎士がベアトリーチェの姿を認め、扉を開く。
中に入るとすぐに車椅子に乗った青年と目があった。
「ベアトリーチェ」
ただ名前を呼ばれただけなのに胸の奥がぎゅうっと締め付けられる。油断したら泣いてしまいそうだ。
「カルロ、様」
感極まったせいか喉がつっかえて変な声が出た。恥ずかしくなって口を閉じる。
久しぶりなのにこんな声を聞かせることになるなんて。できることならもう一度部屋に入るところからやり直したい。
でも、カルロは気にならなかったらしい。ベアトリーチェを手招く。
「ベアトリーチェ、こっちにおいでよ」
「は、はい」
部屋の入口で立ったままだったことに気づいて慌ててカルロが示した椅子に腰をかけた。
カルロに見つめられ、落ち着かない。
――――だ、大丈夫かしら。髪や化粧は乱れてないかしら。
こうして直接話せる距離で対面するのは何年振りだろう。ちらりとカルロの様子を窺う。
――――顔色は悪くないけど。やっぱり痩せてるわ。特に……
自然とカルロの下半身に目がいった。服の上からでもわかる程細くなっている。仕方ないことだとはいえ先程とは違う意味で胸が締め付けられた。すぐに視線を逸らす。
次いで気づいたのは、足とは反対に上半身にはしっかりと筋肉がついていることだった。現金なことに今度はドキドキしてきた。
顔立ちもすっかり男性らしくなっている。この数年でいろいろと変わってしまったのだと実感する。ただ……うぬぼれでなければカルロがベアトリーチェに向ける視線は変わっていない気がした。
見つめ合う二人。先に我に返ったのはベアトリーチェだった。
――――いけない。今はこんなことしている場合では無かったわ。
「カルロ様。積もる話はたくさんありますが、今は皆様をお待たせしているので行きましょう」
立ち上がって声をかければ、カルロは顔を曇らせた。
「カルロ様? どうかしましたか?」
「いや、大丈夫だよ。行こうか」
車椅子のロックを外し動き出そうとするカルロにベアトリーチェは制止をかけた。
「カルロ様。何か思うところがあるなら今話してください。ここには私とカルロ様しかいません。もし、カルロ様が行きたくないと言うのであれば私は」
「そんなことはないよ。ただ……マルコのことが少し気になっただけだ」
「それは……カルロ様が気にすることではありませんわ。全てはマルコ様の自業自得なんですから」
はっきりと断言したベアトリーチェを見てカルロが苦笑する。
「それはそうなんだけどね。……マルコの気持ちもわからないでもないから」
「カルロ様は相変わらずお優しいんですね」
やや皮肉めいた口調になる。
――――私は
「そうでもないよ」
カルロの自嘲するような笑みを見てベアトリーチェは口を閉じた。
少なくともベアトリーチェから見たカルロは変わっていないように見える。未だ白いまま。
この数年で自分はすっかり黒に染まってしまったというのに。でも、いい。それでいい。あなたはそのままで。
「行こうか」
「はい」
カルロの斜め後ろを歩き顔を盗み見る。相変わらず王子然とした顔立ちだ。当たり前といえば当たり前だが。歳を重ね、色んな経験を積んだせいか相応の風格もでている気がする。
だからこそ、恨めしく思う。あんな事件が起きなければ今もカルロが王太子だっただろうに。
カルロ・コスタ。この国の第一王子にして元王太子。そして、ベアトリーチェの元婚約者でもあった人物。
あの時の衝撃をベアトリーチェは今も覚えている。忘れられるわけがない。
◇
幼い頃からベアトリーチェはカルロとマルコの遊び相手として王城の出入りを許されていた。王家の血を継ぐ公爵家の一人娘。身分も血筋も充分。素養もあった。なにより、歳の近いカルロとベアトリーチェは特に気が合っている。そんな二人が婚約を結ぶのは自然な流れだった。
二人は成長とともに順調に愛を育み続けた。カルロが正式に王太子となり、ベアトリーチェの王妃教育もようやく終わりを迎え、後は結婚式を挙げるだけ。
その日がくるのを指折り数えながら待っていたベアトリーチェの元に凶報が届いた。
ベアトリーチェの手からペンがすべり落ちる。ペンは机の上を転がりそのまま床に落ちてしまった。けれど、拾い上げる余裕もない。
「今、なんて?」
立ち上がり、よろよろと伝達係に近づく。伝達係は目を伏せもう一度ベアトリーチェに告げた。
カルロの重篤を。
ぐらりと世界が揺れた気がした。倒れそうになったベアトリーチェを慌てて伝達係が支える。侍女が駆け寄り、椅子に座るように勧めた。
「ベアトリーチェ様。こちらに」
「いいえ。今はそれよりもカルロのところに行かないと」
「それはできかねます」
「なぜ?」
「国王陛下のご命令です。今はどなたも王太子殿下の私室には近づかないようにと」
「そんな」
絶句するベアトリーチェに伝達係はもう一つの件についても伝える。
「しばらくの間、ベアトリーチェ様に王太子殿下がしていた仕事のいくつかを任せたいと」
「それはかまいませんが……一目無事を確かめることもできないのですか?」
「私には何とも……失礼致します」
逃げるように伝達係は退出した。茫然と立っているベアトリーチェを心配して侍女が声をかける。
「大丈夫よ。それよりもあなた達はここにいて」
「ベアトリーチェ様?! ですがっ」
「いいから! ここにいてくれるだけでいいから」
戸惑いつつも頷いた侍女達をおいてベアトリーチェは一人で部屋から出た。咎められることを承知の上でカルロの元へと向かう。
カルロの自室の前には護衛騎士が立っていた。当然のように止められる。
「少しだけでいいの。お願い!」
「それはできません」
「どうして?!」
いつも冷静なベアトリーチェが取り乱す姿を見て護衛騎士達が戸惑いを見せる。それでも、ここを通すわけにはいかない。
ベアトリーチェは決して開かれない扉を見つめ、一度深く息を吐き護衛騎士を見た。
「わかったわ。なら、面会ができるようになったらすぐに教えてくれる?」
護衛騎士達が頷いたのを確認し、ベアトリーチェは踵を返した。
面会の許可が下りたのはそれから一週間以上経ってからだった。緊張した面持ちでベアトリーチェは部屋に入る。
カルロはベッドの上に横になっていた。意識はしっかりあるようでホッとした。思ったよりも元気そうだ。ベッド横にある椅子に腰かける。
カルロの手がベアトリーチェに伸びた。が、距離が足りない。ベアトリーチェは自分から顔を寄せた。カルロの手がベアトリーチェの頬を撫でる。
「なんだかベアトリーチェの方が重病人みたいだ」
「そう? そう見えるのだとしたらカルロのせいよ」
唇を尖らせて言えばカルロが笑った。じろりとカルロを睨みつける。
「カルロに会えない間、本当に生きた心地がしなかったんだからね」
ベアトリーチェの言葉にカルロは固まり、そして暗い顔になった。慌ててベアトリーチェが声をかける。
「どうしたの? やっぱりまだ傷が痛む?!」
「いや」
「じゃあ、どうしてそんな顔をして……」
カルロはじっとベアトリーチェを見つめる。その瞳は潤んでいる。なぜそんな顔をするのかわからないが、今はベアトリーチェも何も言わない方がいい気がした。
カルロが意を決したように口を開く。
「ベアトリーチェ。君に謝らないといけないことがある」
「うん」
「君を王太子妃にしてあげることができなくなった」
「え?」
「僕は近いうちに王太子を降ろされるだろう。王位継承権も放棄することになると思う」
「ちょ、ちょっとまって。いきなりどういうこと?」
「全ては……僕の足がもう二度と動かなくなったせいだ」
「……え?」
何を言われたのか理解できなかった。
カルロが側で控えていた主治医のウーゴを呼ぶ。ウーゴはベアトリーチェにわかりやすいように丁寧に説明した。
でも、よく頭の中に言葉が入ってこない。わかったのは今回の怪我でカルロの下半身に麻痺が残ったこと。歩けるようになる可能性はゼロに近いこと。
呆然とするベアトリーチェにカルロが申し訳なさそうに再度告げる。
「そういうことなんだ。だからもう、僕には君を王太子妃にしてあげることができない。ごめん」
その言葉を聞いてベアトリーチェは我に返った。
「そんなことどうでもいいわ! いえ、王太子妃になる為に頑張ってきたのだからどうでもいいわけではないけど。それでもカルロの命が無事だったことに比べたら些細なことよ!」
「え」
意外だという顔を浮かべるカルロ。そんなカルロをベアトリーチェは睨みつけた。
「カルロったら私のことをなんだと思っているの?! 確かに私達の始まりは政略的なものだったけど、元々私はカルロのことが好きだったし、今ではそういうのを抜きにしてもカルロと結婚したいと思うくらい愛しているわ! それなのに王太子妃になれないからって結婚止めるなんて私が言うわけないでしょう?! ……まさか、そんな理由で婚約破棄しようと思っていたわけじゃないでしょうね!」
ギクリとカルロが顔を強張らせる。
「ご、ごめ、それはそのちょっとだけ……って、え?! ベアトリーチェ泣いてるの?!」
「当たり前でしょう! 好きな人に振られそうだったんだから」
「振るってそんなつもりじゃあ」
「じゃあ、予定通り結婚しましょう!」
「……王太子妃になれないのに?」
「しつこい! 私は王太子妃になりたいんじゃなくて、カルロのお嫁さんになりたいの!」
「そっか」
照れくさそうに微笑むカルロ。
「カルロ、私決めたわ!」
「何を?」
「カルロを軽々と抱えられるくらいに鍛えるわ! だから安心してちょうだい!」
むんっと拳に力を入れるベアトリーチェ。カルロはそんなベアトリーチェを見て目を丸くし、笑った。
「むきむきになったベアトリーチェも可愛いだろうね。でも、大丈夫。僕も鍛えるから。それに、歩けるようになる可能性もゼロじゃないからね。リハビリ、頑張ってみるよ」
「そうね。ゼロに近いだけでゼロではないものね。一緒に頑張りましょう」
「うん」
微笑みあう二人を黙って見ていたウーゴは安堵した。
――――先程までのカルロ様はこの世のすべてに絶望していたような顔をしていましたが、ベアトリーチェ様がついているなら大丈夫そうですね。
けれど、無情にも二人が描いた幸せな結婚生活は訪れることはなかった。
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