第参拾肆話:火之巫女亭


 西の空に日が沈み、夜の帳が降りてくる。

 数多の笑い声が響く夜の城下町を、上弦を少し超えるそんな月が照らしていた。


 仕事を終えた労働者が、信濃の見張りの守衛達が、その他大勢の大人達が――今日一日の締めくくりとしてか、それとも近々行われる祭りを祝ってか、城下街の大通りで元気そうに騒いでいる。


「……これが大通り。初めてでございます」


「そっか、朧様は基本籠もってるしな」


「私もあんまりこないかな。ねぇ夜見、確かこの近くにお店があるんだよね?」


「えっと結構大きくて特徴的な店だったし、夜でもすぐ……あ、あったな」

 

 人の往来が絶えない大通りの中でも一際目立つその店。

 朝の様子しか見たことなかったから迷いそうだったが、並ぶ店の中でも一際大きく入り口の看板に火之巫女亭と大きく書かれてたので、すぐ見つけることが出来た。


「あるじあるじ、すごい賑やかだし、良い匂いだよ? 早く入ろ!」


 そしてこの中でも一番食に興味がある真神は、香る匂いに釣られて目を輝かせている。俺も今日の昼は少し抜いたし、同じくお腹が空いてるので早速だが火之巫女亭に全員で足を踏み入れた。


「あ、夜見さん! 真神ちゃんも! ――お客様は四人ですね、此方へどうぞ!」


 そして足を踏み入れた瞬間に丁度食事を運んでいた早苗さんと目が合い、少し待ってくださいと言われてすぐに俺達は後ろの方の静かな席に案内された。


 俺が最初に座ればその横に真っ先に座る真神、俺の対面には神楽が座りその横には周りを見渡しながらも朧様が座った。

 座った後は二つの献立表に加えてお冷やを渡されてから、それとにらめっこ。

 書かれるものはシンプルだけど、どれもが安定して美味しそうと思うことが出来、腹が減っていることもあってか余計に頭を悩ませる。


「ねぇねぇあるじ、真神にも見せて!」

 

 そうやって献立表と戦っていると、俺の手を少し引き真神が顔を覗かせてきた。

 しょうがないなと思いながらも、一緒にそれを見ながら決めることにしようとしたのだが、真神はすぐに指を指して、


「あるじ、猪ある。これでいい?」


「牡丹か、というか今日は自由に食べていいらしいし沢山食っていいぞ?」


「なら、あるじ焼き鳥も食べ放題?」


「あぁ龍水様に感謝だな」


「龍水、見直した」


 ぽつりと漏らしたその発言に何かあったのかと思ったりしたが、今は気にしないでいいだろうと神楽達にも何を食べたいかを聞くことにした。


わたくしはきつねうどんがいいです――あと稲荷寿司と、餅巾着を」


「……食べ過ぎじゃない? あ、私は天ぷら蕎麦がいいな鴨と山菜の」


「二人は麺類か、じゃあ俺は……まじでどうしよ」


 三人の頼む品を聞いたせいか、三十ほどある献立の中から選ぶのをさらに迷ってしまった。というか、絵付きの献立でそれがどれも美味しそうに書かれてるせいか本当に迷ってしまう。


 いつもなら予算相談して選べるのだが、今回は自由ということあり……貧乏根性が抜けない俺には難しい問題だった。


「夜見さん迷ってるんですか?」


「いや……あーうん、まじで迷ってる。おすすめって何かあるか?」


「そうですねー前にも言いましたが、山菜の天ぷらとかは美味しいですし味噌料理はここら一帯の店では一番の自信がありますよ? ……それに」


 こそっと耳打ちするように顔を近づけた早苗さんは、俺にだけ聞こえる最低限の声量で詞を続けてくる。


「今日は特別に反本丸へんぽんがんもあるんです、よければどうですか?」


 ……なんだろうそれはと思ったが、記憶の中に引っかかるものがあった。

 それは十歳頃に養生薬として出されたもので、ドシンプルに言えば牛肉の味噌漬け。一度しか食べたことしかないが、かなり美味しかった記憶があった。


「え、あるのか。じゃあそれで頼む……あと真神の分も頼めるか?」


「はい――反本丸二つですね、あとの皆様はどうしますか?」


 そう聞いてくれたので残る神楽達も料理を頼み、俺達は少しの間周りを見ながら雑談しながら料理を待った。

 それから蕎麦が来たりうどんが来たりと料理が揃い、上手に焼かれた牡丹肉とお米……そして秘薬である反本丸が机に揃った。

 

「注文はこれで全部ですよね? 九頭竜様からの伝言も預かってるので、今日はじゃんじゃん食べてください!」


 そうして始まった食事会……各々食事をとりながら相変わらず神楽の所作が綺麗だなと少し見る。真神を見れば最初は茶色に包まれた肉を警戒していたようだが、口に入れた瞬間に尻尾すら揺らして目を輝かせ、俺の方を見てきた。

 

 真神のその反応に期待値を上げながらも俺も食べてみれば、自然と言葉が漏れてしまう。


「うまっ――いや、まじでうめぇ」


「でしょう? ここの味噌料理は本当に美味しいんです、信濃一を舐めないでください? ……とまぁ冗談は置いておいて、楽しんでいるようで何よりです夜見さん」


 貴重なものだしと味わって食べれば、自然とそんな感想が漏れる。

 そしてそんな俺達の所に早苗さんがやってきて持ってきた椅子をおいて、自然な流れで話に入ってくる。


「そうだな、ご飯は美味しいし賑やかだし……あと皆が笑顔なのがいい」


「まだ関わって短いですが、私夜見さんの事分かってきました」


「……急になんだよ早苗さん、変なこと言ったか?」


「ふふふ、なんでもないでーす」

 

 笑顔で誤魔化され腑に落ちなかったが、悪い意味ではないのは分かるのでそれ以上は追求しない……決して神楽の目が据わったからではないし、真神の爪が食い込んだとかはない。

 そして、俺達がそのまま食事を続け皆が食べ終わりそうになった頃――急に店の扉がバンと開き、城兵のような格好をした男達が数人店に入ってきた。


「この店の中に姫様がいるという報告を受けた!」


 かなり険しい表情と怒声。

 楽しかった食事処の空気は変わり、ずかずかと店を捜索する城兵達。


 客達は怖がりながらも誰も喋れない中――早苗さんが妙に顔を青くして、俺の後ろに隠れるようにしてたのが気掛かりだった。

 かなり怯えているのか俺の服を掴み、震えすら伝わってくる。


「…………ッやはりいましたか早苗姫! 漸く見つけました祭事のためにも戻ってきてください!」


 そして――兵士達が顔を隠す早苗様を見つけた途端に、俺を挟みながらも膝をつき城兵達がそんなことを放つ。


「――私は、戻りません」


「何故ですか!? 貴方がいなければ祭事が行えず――凪沙様にも連れ戻せと」


「嫌です――だって、私には戻れない理由が」


「祭事よりも大事なことなどあるのですか!?」


 そう言われて、視線を左右に動かしながらもこっちに視線を送る早苗さん。

 ――俺は俺で混乱の極みにいるが、それでも助けないと城兵を止めようとした瞬間の事、あろうことか彼女は……早苗さんはこんなことを言い放った。


「だって私は、この方と――夜見さんと婚約の約束をしたんですから!」


「え、夜見様?」


「……あるじ?」


「――は?」


 ……なにそれ、俺も知らないんだけど?

 唐突に落とされた爆弾、それはこの場を混沌で埋め――振られた当事者すら分からぬ中、俺に城兵達の殺気と視線が、それどころか神楽が神威を解放しそれが一身に向けられた。

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