第弐幕:信濃の国の豊穣祭
第弐拾捌話:万屋の朝
「…………朝、かぁ」
――万屋夜見の借家二階。
自分に与えられた寝室で確かな朝の日差しを感じながらも、俺の意識は覚醒する。
寝ぼけ目で横を見て時計を確認すれば、いつも俺が起床を定めている朝五時……つまりは卯ノ刻に目を覚ませたようだ。
「今日は、猫探し……三日目。そろそろ終わらせない……と」
まだはっきりと起きてないながらも依頼内容を口にすることで意識を戻していき、瞬きを数度繰り返した後に俺は布団の中から出ようとし……その時に気づく。
俺の上にかかっているのが掛け布団以外に何かあると――それは俺の胸にもたれ掛かるようにして乗っており、軽いがしっかり俺を掴んでいるせいで離さない。
甘い匂いがつんと香り……大体その正体が分かったが、一応の確認のために布団を上げる。
「真神……じゃなくて朧様?」
布団を上げればそこに居たのはすーすーと寝息を立てる新しい同居人。
いつも潜ってくる家族とは別に存在にぎょっとしたが、安らかな寝息を立てる朧様に苦笑する。
「……寝ぼけて入ってきたんだろうな」
彼女の事だし自分から入ってくるということはない。
それを考えると夜中に目を覚ましでもして、そのまま部屋を間違えたとかだろう。
でも困ったな、せっかく眠る彼女を起こさず抜け出す自信はあるけれど、九つの尾がちゃんと枕として機能しているせいか暖かくて柔らかくて、なんというか出て行く方が罪悪感を覚える……最早、この少し肌寒い秋の季節にその温もりを手放すのは馬鹿のすることで……。
「いや……駄目だろ俺、そこは落ち着けよ」
誰に何を言い訳するわけでもないが、とりあえず小声で独り言。
状況を確認すると色々不味い気がしたのだが、がっちり捕まれているせいか抜け出せそうになかった。抜け出せる自信とか言ったけど、思った数倍は朧様の力が強い。
仄かに香る甘い香りに柔らかい感触、それに照れてしまうが……この状況を誰かに見られるのは不味い。
「……んっ貴方様ぁ?」
あぁもう、まじで破壊力がやばい。
なんだこの
そんな風に悶えていると、朧様は小さく身じろぎをして俺の胸板に顔を擦りつけてきた。そして、それどころか圧倒的な質量を持つ双丘が潰れて、むぎゅっという効果音が……。
「……すまん朧様!」
そこからの動きはとても速かった。
俺は完全に彼女が殺しに来ていると判断して、加護を使って全速力でそこから抜け出して、朝の支度に取りかかった。
いまだバクバクとなる心臓を抑えるように心頭滅却しながらも朝食を作り、皆が起きてくるのに備えていると――その瞬間に俺の部屋から声にならない叫び声が聞こえてくる。
「あなっ――貴方様!? 違うのです
そしてバタバタという足音が聞こえてきて、俺が食事を作っている台所に転がり込んでくる。完全に動揺した様子で弁解をしながらも、彼女の顔はこれでもかと赤面していた。
「次から気をつけてくれ朧様」
「はい……本当に申し訳ありませぬ」
「おはよう二人とも……何かあったの? 朧が叫んでたけど」
「うぅ……なんでもないのです神楽様、掘り返さないでくださいませぇ」
「……そう、じゃあ気にしない」
「うぅ……私は、はしたなくありませぬ。違うのです……月詠様ぁ」
いつもならもう少し遅く起きる神楽は朧様の叫び声で起きたのか少し寝ぼけながらも一階の台所に降りてきた。
何があったのか気になったからか朧様に質問したようだけど、答える本人は聞かれたことで思いだしたのか完全に頭から湯気を出してしまい限界を迎えたようだ。
「夜見……今日は魚?」
「あぁそうだな、数日前に神楽達と釣ったやつだ。朧様に冷凍してて貰ったの」
「……取れたて新鮮の状態で存在ごと凍らせてるので保存はばっちりです」
それから少し時間が経ち、川魚を焼いていると正気に戻った朧様がどや顔で報告してきた。冷気の扱いに長けた彼女のおかげでこの万屋夜見の保存技術は格段に上がり、前世の冷蔵庫すら凌駕する保存能力を獲得したのが最近のことだ。
「助かるよ……ありがとうな朧様」
「私は家事が出来ないので……これくらいは役に立てればなと思いまして。それに私だけ仕事が無かったので」
「別に良いと思うけどなぁ、本業は俺の祈祷屋だし……」
「それでもです……私も万屋の一員なので」
気にしなくていいのになぁとか思いながらも確かに朧様の仕事が無いことに気がついた。実務というか体力仕事は俺と真神の領分で、事務や経理の仕事などは全部神楽がやってくれてるし……。
「だから私はこれから家事を覚えるつもりなんです! いつもは夜見様が色々やってくださいますが、私もそろそろ掃除くらいは覚えるのです!」
「夜見……私も家事覚えた方が良い?」
「いや、別に俺がやるし……」
やる気になってるところ悪いけど、それに関しては適任が俺なのでその役目を渡すつもりはない。手伝ってくれるならいありがたいが、いつも帰ってきたら定期的に片付けてるし、何より皆あんまり汚さないので掃除箇所も少ないし。
「まぁとにかく真神が起きたらご飯だな……それ終わったら猫探し行ってくる」
「分かった……依頼とか来たらまとめとくね」
それが九月の朝の一時。万屋に朧様が加わって一ヶ月、毎日依頼を熟しながらも進む日常の一コマだった。
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