第弐話:魔瘴の森

 追放が決まった翌日から一週間、俺は馬車に乗せられて運ばれていた。

 今までだったら遠出することを楽しむために乗っていたのに……今では違うものになった旅路。それが余計に悲しくて、ずっと俺は下を向いていた。


 初めて接する御者はあまりにも冷たく、一言も言葉を発しない。

 そしてそれから少し達徐々に馬車が緩やかになり始め、完全に止まった。


「……着いたぞ、降りろ姓無し」

 

 そう言って降ろされついた場所は、明らかに事前に聞かされた目的地とは違っていた。眼前に広がる暗い森、異様な気配を感じながらも俺に何かすることは出来ない。

 本来なら村に捨てるという話だったのにとそう思い御者に話を聞こうとしたのだが……。


「……どうした? 早く行くがいい、俺も暇じゃないんだ」


「あの……ここは?」


「この先に村がある……そこへ向かえと伝言を預かっている」


 しかし取り付く島もない態度で行けと言われてしまう。

 だけど霊術を鍛えた俺はこの森がおかしい事に気づいており、そこら中から妖怪の気配を感じることが出来ていた。

 そこまで分かったことでこの御者の目的も分かってしまい……無意識のうちに後ずさった。


「あーそうか確かお前は無駄に鋭かったな……やっぱり気づくか」


「……厄介払い、だよな」


「はっそんな酷い言い方ないだろ、忌み子を消すという正義だ――で、どうする? このまま森に逃げるか、俺に殺されるか選ばせてやるよ」


 与えられた選択肢はその二つだが、どちらも死ぬのと変わらない。

 それに答える暇なんて与えてもらえず、御者は霊力を練り始めて手に土の槍のようなものを作り出した。それは威嚇というより、確実な殺意を持ったものであり……完全に俺に狙いを定めている。


「ほらほら逃げろよ、姓無し! 前からお前の事は気に入らなかったんだ!」


 そして放たれたそれを受ければ死ぬと分かったので、俺は森の奥へと逃げることになった。相手の目的は俺を森の奥に送ることなのは分かってるが、あんな槍を受けてしまえば間違いなく致命傷を負う。


 思い通りになるのは嫌だけど……それならまだ森から抜けることを考えた方がいい。


「はぁ――はっ……森から出なきゃ」


 霊術による感知で森の妖怪の気配を間近に感じる。

 肌を撫でられるような程に濃密な気配に動悸が激しくなる。


 ……怖い。

 前世今世合わせた明確に迫る死。

 気づけばこの世界にいた俺は死というものをまともに経験して無くて……初めて迫るそれが確実な恐怖を与えてくる。


 そこら中から感じる粘つくような視線と殺気。

 視られてるという事だけが理解できるが、何も来ないという現実が余計に恐怖を駆り立てて――そしてそれ・・が少し遠くに姿を現した。


「ぎゃ――ケケッ!」


 現れた妖怪は……前世のそれに当てはめるとするなら妖気を放っている巨大な猿。

 身長は大人ほど、多分だが百八十センチぐらいはあるだろう。だけど目に付くのはそこじゃない、そいつは明らかに腕が発達している上に鉄を纏っていた。

 爪には血が滴り、もう片方の腕には野生の獣の死体が突き刺さっていて、狩りの途中という事を嫌にでも理解させられる。

 

 そして――そいつと眼が合ってしまった。

 逃げなきゃいけない。

 逃げろ。動け、動いてくれ。

 走らないと――俺は、死ぬ。


 極限まで加速する思考回路、死があまりにも間近に迫るせいか……あり得ない速度で興奮と冷静を繰り返しすが、この状況を好転させる方法などは何一つも浮かんでこない。


「けひゃ――」


 そして恐怖に歪む俺を見て――そいつは嗤った。

 この状況を完全に愉しんでおり、俺を獲物に定めたのを理解してしまった。答えを出す暇なんてない、ただ今は逃げろ!


「ッ――ふざ、けんな!」


 自分の使える限りの限界までの身体強化。無理な強化の反動が頭に過ったが……そんなことは生き残るのに比べたら些事だ。

 後ろからバキュ……と何かが折れたような、拉げたような音が響いた。

 本能が警鐘を鳴らした。

 ……避けろと、何も分からない状況でそれだけをしろと命じられる。


 ――そして、それに従うように本気で避ければ。

 ひゅん――と何かが飛んできて目の前に木が突き刺さった。


「ひっ――」


 悲鳴が漏れる。

 だけど足は止まらない。

 死ぬのだけは嫌で訳も分からず俺は逃げ出す。

 どこまで逃げたかなんて分からないが……とにかくたまに投げられる木を全力で避ける。


「――――――――」


 そして何分逃げたか分からないが、気づけばどこかからか歌声が聞こえてきた。

 とても綺麗な透き通るようなその歌声、歌詞なんかない鼻歌のようなものだけど……かすかに聞こえるそれに人がいるという事を理解して、俺はそっちへと進む方を変えた。


 限界の体に鞭を打ち、なんとか声のする方を目指せば――そこには石造りの鳥居があった。

 鍛えた霊術でそこには結界が張られていることに気づく、そこならば隠れられると思い俺はその鳥居の先に転がり込むように入った――いや、入ってしまった。


 鳥居を潜った途端に景色が変わる。

 先ほどまでなかった神社が突如として目の前に現れ、より歌声が鮮明に聞こえてきた。やっぱり誰かがいる――どうしてこんな場所に神社がなどという疑問はあるが、人がいるならと探そうとして境内に足を進めたときだった。


「……だれ?」


 ……誰かに声がかけられる。

 じゃらりとそんな音さえも聞こえてきて振り返れば。


「……あなたは、だれ?」


 漆黒の着物を着た白い髪をした少女がいた。

 とても綺麗な白髪の陶磁器のような白肌のその少女、だけどその少女には異常なことがあったのだ。


 その少女は黒い目隠しをされていて、手には鉄の枷を嵌められている。

 何より――その少女からは異常なまでの神威と妖気――そして俺ですら分かるほどの呪いの気配が放たれていて、それが人でないことを物語っていた。

 

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