愛なのか憎しみなのか

 昨日、まだ3時頃に急激な心拍数の増加と胸の痛みで目が覚めた。妻との夫婦喧嘩を夢で見たようだ。


 数年前の散歩中に、労作性狭心症におそわれ、カテーテル検査で3回とステント治療で2回、合計5回の入院をした。心臓リハビリ中に「Fitbit Charge 6」を購入して常に腕に巻いてる。スマホのアプリで見ると、週に数回は夜間に頻脈が見られた。たぶん昨日と同じ様な夢をみていたのだろう。



 妻の死後に、気分を変えるために食品加工会社の契約社員になった。女性のパートが中心の工場で、その中の一人と知り合い、話を聞いた。20年にも満たないが夫と死別をし、三人の娘を仕事の掛け持ちして育て上げたと言っていた。人の紹介で七回忌を終えてから付き合い始め、10年経ってから再婚をしたが、数年で別れたそうだ。自分は長女の家族と同居してるが、再婚をした相手が夕飯を食べにときどき来ると言ってた。良い人なので子供達も懐いていたが、やはり最初の亭主の温もりは何年経っても消えないと言っていた。


 別れた再婚相手の、男一人の狭いボロアパートの生活を心配して、娘達がときどき訪ねては部屋の掃除をしたり、夕飯に招いているとのこと。亡くなったご主人は、きっと良い人で、その性格の良さが三人に受け継がれて幸せな家庭を築いたのだろうね、そう言うと普段は威勢の良いオバチャンが黙ってしまった。


 相思相愛と言うけど二人の相性が良すぎて、死別という困難にあっても、もう離れられなくなったのかな、そう言うと。そうね、決して恵まれた結婚生活では無かったけど、どんなに疲れていても抱かれると、何ともいえない満足感があって、きっと身体の方も相性が良かったのかもね。冗談とも本音とも思える様なことを言って笑っていた。一緒に笑ったが、心も身体も一体に成れると云うことは、夫婦和合の境地なのかも知れない。



 結婚して36年目に入り、妻が肺癌末期の余命宣告を受けた。5ヶ月間の入院と一時退院、地元の総合病院に2ヶ月の入院、緩和病棟を進められ他の総合病院に転院して2週間で息を引き取った。この約10ヶ月間だけが夫婦二人で過ごせた時間だった。


 何となく結婚を決めて、友人達からも親戚からも反対を受け、後で知ったのだが貴子の父親が興信所に頼んで調査した分厚い書類まで持ってきた。両親ともに宗教活動や選挙応援で動いているが、実際は二人ともパチンコ依存症で近所では迷惑を掛けられてるとあった。しかも彼女は幼い頃から母親からの虐待を受け、給食費も近所の御茶屋の手伝いで稼いでいた。その給食費さえもパチンコ代に成っていた。


 結婚後直ぐに、会社の金庫で数万円が無くなるようになり、父が問いただして大喧嘩になってしまった。母親からせがまれ、毎月の食費の一部を渡し、足りなくなると金庫から出していたらしい。その後近所の内職を始め、僅かに得られたその金を渡していた。自営なのに手伝うこともしなかった。義母は生保の外務員で、妻は運転手のように使われ、しだいに家に居ることが少なくなった。そんな中、突然300万を貸してくれと言い出した。カードローンが貯まり、返済が出来なくなったという。会社事業費として小口融資を受け、全額渡した。その翌月にはまたカードローンを借りたと言って、実家で騒いだらしい。


 これを切っ掛けに義母と同じ会社で働き出した。必ず返すという約束で、会社名義で車を買って渡した。これ以降もたびたび貸して欲しいと言われ、1,000万は軽く超えた。ジェンダーが反転したようで、約30年間家には寝るために帰り、一切の家事も育児もしなかった。貸した金はもちろん返すこと無く、自分の給料を入れることさえしなかった。親のパチンコ依存症のために、かなりの給与は受けていたようだが、給与のほとんどを渡して、自分はコンビニでパン1個と牛乳で昼を過ごしていた。離婚届は3回も渡したが、渡されたときだけおとなしくなり、いつもと変わらない生活の繰り返しになった。


 死後に聞いた話では、離婚届を渡されると、どうして良いか分からなくなったらしい。子供の頃から虐待を受けてると、強い立場になれても親に逆らえないようだ。離婚が最善の手法と思いながらも、実家に暮らす事への恐怖心が強く、ただ寝に戻るだけの生活になり、申し訳ないと思いながらも、家庭内別居を続けるしかなかったと言っていたという。可哀想な気もするが、親のパチンコのために二人の新しい家庭も壊されてしまった。



 入院中に両親や親戚さえも見舞いには来なかった。仕事の同僚以外に、彼女の付き合う人もいなかったようだ。個室を用意し、夜も一緒に過ごしたが、まるで新婚生活のように互いに話す話題も少なく、二人の関係について言いたい事は沢山あったが、何の言葉も出なかった。結婚生活が間違いであったなら、ハッキリとそう言って欲しかった。長い間の家庭内別居について、ここが嫌いだったとか、嫌な事が有ったならハッキリと言って欲しかった。入院3ヶ月後辺りで確実に死ぬことが理解できたらしく、娘には親の呪縛から溶けたと言っていたと聞いた。


 介護の10ヶ月間、初めて夫婦になれたと感じた。愛情を感じ、痩せていくその身体を擦り労り、愛おしく思えてきたものの、残された時間は僅かで、何をすべきか迷いながら、庭に吹く風に舞う塵芥ちりあくたのように呆気あっけなく終わってしまった。


 死後に分かったことは、妻を信頼してなかったので、自分なりに多少の貯蓄を進めていたが、それら全て解約されて使われていた。親の問題から、霊能者や占い師との付き合いが多く、あなたは長生きだがご主人は64歳を過ぎると危ない、と言われていたらしい。多額の生命保険が掛けられていて、自分自身のは何も入ってなかった。退職の時にはこれだけ退職金がもらえると言って見せていた成績表も、必ず借りた金額は返すという意味だったようだが、退職金も限界まで前借りをしていた。パチンコ依存症も限度を超えると認知症に近くなり、勝ち負けよりもあの音と濁った空気の中に入りたくなるようだ。湯水のように使い、自分達の年金や妻の給料だけでは賄えずに、近所中を廻って借金をしていたようだ。それにも追われ秘密の預貯金全ても使っていた。



 ときどき、未だに思うのが、本当にこの人が好きで結婚したのだろうかと。知り合う前に年上の人が亡くなり、精神的にかなりのショックを受けていた。高校を卒業して直ぐに、妹の同級生で、しかも妹と同じ教室で3年間を過ごしていた子と知り合い、3年間付き合っていた。妹のような存在で、実の妹よりもおとなしくて小さくて痩せで、頭の良い優しい子だった。厳しい家庭で育ち、礼儀や躾がシッカリとしていて、どこに一緒に行っても恥ずかしくない子だった。たぶんこの子とずっと暮らすのだろうと、二人とも思っていた。高校の1年先輩の突然の死は、しばらくの間二人を裂いてしまった。その間に妻が友人を介して紹介され、何となく付き合いを始めた。自分の苦しかった子供の頃の話しや、誰にも気付かれずに都会に行きたいとか、そんな事を言っていた。


 最も嫌いなタイプだったのに、何となく結婚を迫られ、何となく進んでしまった。周囲からの反対が大きすぎて、天邪鬼あまのじゃくな性格が出てしまった。結婚して直ぐに間違いだったと思えたが、強引に離婚には至らなかった。離婚で実家に戻ることの恐怖が強かったらしい。それでも離婚はすべきだった。事業が上手く行かなくなったのも、子育て育児をしながらの経営は難しかった。



 介護中は、入浴を手伝い身体を拭き、弱ってからはオムツ交換も習った。トイレを汚したときには、その掃除もした。痩せて骨ばかりになった身体をさすり、軽い本を読んで聞かせた。おとなしくなった彼女を見て、やっと自分だけのモノになったと感じた。


 妻の葬儀の後、金銭だけではない夫婦間の裏切りや、義母姉妹達からも利用されていたことを知り、言いようのない怒りが湧いてきた。徹底的に裏切られ利用されていたのかと思うと、寝込んでしむほどの怒りで一杯になった。病院関係者から癌死遺族のケア活動を紹介されたが、グリーフケアで話し合われる内容が違いすぎて合わなかった。愛する人を失ったという喪失感よりも、自分の人生のほとんどが、最も身近で信頼すべき人からの裏切りや騙され利用されていたという、ぶつけようのない怒りだけに包まれて周りが見えなかった。



 10年が過ぎて、やっとあの人の気持ちも考えられるようになった。子供の頃からの虐待やネグレクトを受け、親戚や近所からも距離を置かれ、同級生達からは長い間バカにされ仲間はずれにされていた。きっと苦しかったのだろう。もう少し強く接すべきだった。強引にでも実家とは縁を切らせるべきだった。そう思いながらも、ときどき言いようのない怒りが湧いてくる。


 もう一度逢いたいと思うことがある。本当の気持ちは、自分との結婚と親を比べて、どちらが比重が大きかったのかと。痩せて、少しずつ死んでいく身体を介護しながら、もしかしたらこの人が好きだったのかも知れない、そう思えることもある。同情では無く、あのパチンコ依存症の親から切り離せば、本当は静かな性格だったのかも知れない。弱いからこそ、仕事や家庭以外で頼れる所が欲しかったのかも知れない。右脇腹の大きな赤いアザは、幼い頃にパチンコから戻った母親が、湯の煮えたぎったヤカンを投げつけて火傷をした痕だと言っていた。あの烙印が母親から一生逃れられないという、身体に焼き付けられた証だったのかもしれない。


 10年が過ぎたのに未だに夢に見て、怒りや憎しみが湧き、頻脈が起こり胸が苦しくなる。10年経って再婚しても、好きだった人の温もりは消せない。そう言っていたパートのオバチャンの言葉を想い出す。自分は幼い頃から病弱であり、多くの親族や近くの人達の見守られながら育ってきた。二十歳までは生きられないと言われながら、後期高齢者になる。多くの人達の愛情を受けてきたが、オバチャンの言うような、身体に焼き付いて忘れられないという愛情の烙印が欲しかった。


 いつまでも消せない想いは、求めても得られない愛情なのか、離れてぶつけることの出来なくなった憎しみや恨みなのか。こうして無駄な一生が終わるのだろうか。人の一生とは、平凡な時間でありながら、取り返しの出来ない事ばかりが続くモノなのだろうか。

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