ある読者の主張
縁ゆかり
私の主張
最近、カクヨムさんの色々な方の作品を読む様になって思う事があります。
誤字脱字多すぎ!という読者目線での読み辛さと同時に、
作家さん自体の個性溢れる言い回し(節とも言う)を否定する動きとその自由な表現が損なわれつつある現状を。
スマホやiPadなどの端末が普及したお蔭でしょうか、本当に誰でも気軽に執筆する事が出来る様になりました。その弊害でしょうか、きちんと見直していたとしてもついつい何処かで見落としをつくってしまいます(経験談)
未だ私が十代の頃、友人達と同人活動してました。流石に大手どころか中堅にも届かなかったのですが、ある即売会で私達の作品を手に取ってくれた読者さんから「誤字脱字多すぎ」と指摘を受け、凄く落ち込んだ事があります。
出版社からのではなく、同人として出す際の誤字脱字の修正、所謂、校正なんてモノは私達自身がしないとそのまま印刷所を経由してそのまま即売会等でお客様である読者さんに直接手に渡ります。
何故にわざわざ嫌がらせの様に即売会で指摘されたのでしょうか?時間とお金を無駄にしてまで。「同人作品のご意見ご感想は〜」の宛先にハガキ一枚送れば事足りることなのに。
読者さんからの指摘で落ち込んだのですが、一緒に指摘受けた友人はというと私とは違い、凄く嬉しそうな笑顔で対応していました。
読者さんが離れた際に直ぐに友人に何故落ち込まないのか尋ねてみたところ、その理由を聞いたら、まるで嘘だったかの様に落ち込む気持ちが消えてなくなりました。
友人曰く、「誤字脱字報告受けるって嬉しい事」だというのです。間違いを指定されているんだから嫌な気持ちになるのが普通だと思うのですが。
友人の嬉しいという誤字脱字報告って、私達が生み出した作品を読者さんが物凄く読み込んでくれてるって証拠だとも受けとる事が出来るんだっていうのです。
それを聞いた私は目から鱗でした。
間違いを指摘されるのって嫌な気持ちになるし、それが何度も相次いだら嫌な気持ちを通り越して逆ギレしてもおかしくない気持ちにもなります。
でも、友人からそれを聞いてからというもの。
訳の分からない意味不明な指摘とか、作品読まずエアプなモノ以外は少しずつ受け入れようと思うようになりました。
とは言っても、ワザとしている言い回しを、間違いだと指摘されるのってイラッときますし。かといえば、たまに凄く引用して話に組み込みたくなる鋭い指摘も受けるし。そんなんだから、おかしな指摘以外は参考として読む様にしてます。
何故って?指摘受けるって事は私の作品を読み込んでくれてるって事で、無関心ではなく、読んで貰える価値があるって事だから。
感想や評価の星はおろか、誤字脱字報告すら無いって事は読者さんに興味を持たれる事もなく、読む価値無いと言われているのと同じだから。
私の場合、誤字報告受けても時間がなくて直ぐに修正出来ない事もありますが、そこを指摘されたとしても逆ギレだけはしない様に気を付けてます。
作者としての感情云々という話を抜きにしても、誤字脱字報告でも受けられるだけでも有り難いと思う気持ちって大切だと思う。
因みに他の執筆している方々に強要する気は無い。
コレは私が思う執筆者であり生産者としての覚悟だから。
誰でも面白いモノを読みたいという気持ちを持っていると思う。
だからといって、執筆側だけを責めるのもどうかと思う。
読者さんを、昔の商売人の様に、お客様は神様だ…
なんて考えは私には無いし、執筆している作家は神であるという考えもない。
より良いモノを提供できるよう頑張ることは出来る。
より良いモノを提供することが義務だとは思わない。
何故なら、私の作品は金銭のやり取りを前提として書いている訳ではなく、
私が書きたいから書いているだけ。
一つ例を挙げようか……
私は執筆者でもあるが、同時に園芸家でもあり、研究家でもある。
美味しくて、小さなお子様でも安心して食べられる野菜を作る事を目標として園芸家をしている。
それが私の信条であり覚悟だ。
園芸家、農業を辞めたいと思ったことは正直何度だってある。
頑張って育てた野菜を病害虫や自然災害がボロボロにした時、
頑張って育てた野菜を好き嫌いだけの理由で否定された時、
でも姪っ子や差し入れに行った小学校で、
子供達に「美味しかった」という言葉を戴けたから頑張ることが出来た。
知ってるかい?
野菜って思っているより作るのが難しいんだ
ただ作る“だけ”なら、下手を漕ぐ様な真似しなければ、誰でも作る事は出来る。近くの園芸店で、野菜の土と、プランターと、野菜の苗を買ってきて、日当たりの良い、そこそこ風の流れる場所で適度な水やりをして育てれば良いんだから、さほど難しい事はない。
だが作る事は出来ても、美味しくて安全性を前提として作るなら、それは話が別になってくる。
今、食の安全性が度々問題視されているのを知っているかい。
ある地域では今でもバブル時代の農業生産を続けており、消費者の口に入るのに安全性ではなく、生産性と儲けを重視して生産をしている。
農業法や毒劇物取締取り扱い法というモノで色々厳しく法的に制限を入れているにも関わらず、そんなことお構い無しの様に儲けを重視して、食の安全性を無視して生産している地域が日本に存在する。
どういうモノかというと、作物生産を農薬漬けにして病害虫の存在を無視し、
減価償却を前提で購入するはずの農薬の纏め買いを、購入した分全て使う前提で使用し、その分の税の申告を逃れるというやり口だ。
そんなやり口だから儲かる。
但し、安全性なんてある訳が無いけど。
それが罷り通る地域が日本には存在している。
対岸の火事だから、自分には無関係だ………なんて思って無い?
この農薬漬け作物を転売ヤー経由で現状、日本のあちこちにばら撒かれているという話を聞いたとしても、貴方が口にしている野菜や果物が大丈夫だし私には無関係と言い切る事が出来る?
その作物がどれだけやばいモノかというと、悪食で有名なカラスという野生の鳥が見向きもしない程のモノだ。害鳥避けなどをしなくても畑で青青した見た目美味しそうな作物に、カラスが一切見向きもしない程のモノだ。
致死級であっても少量のモノであったなら平気で口にするカラスが全く見向きもしないという考えたくない代物だ。
先程も言った通り、美味しくて安全性重視した作物生産というのは難しい。
でも儲けよりも安全性だけを前提で作るのには、コスト的に限度があるし無理があるのも現状だ。
だからこそ、生産者としての覚悟がいる。
私は昔ながらの美味しい、安全性重視した農業を伝統として受け継ぎ頑なに守っている農家さんを尊敬している。
農薬だと少しの期間で済むところを手間暇かけて作る、そんな農家さんを尊敬している。
執筆にも似た様なモノがある。
書いたモノをただ垂れ流しにするのではなく、書いたモノをより高める為に校正作業として、文字の修正や書き直しという作業がある。
貴方はどちらであろうか。
読者目線だろうか、執筆者目線だろうか。
どちらにしても考えて欲しい。
より良いモノを提供するということをーー
ある読者の主張 縁ゆかり @enishi_yukari
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