5 黒猫の強がり

2000年4月


 沖夜宵と星見桜は同じ高校に通う同級生だ。小学校から一緒の幼馴染。けれど、中学の3年の時に酷いイジメが夜宵を襲い、桜は何もできず、そのせいで話すことすら無くなった。




 少なくとも、桜はそういう認識でいる。けれど、夜宵から直接そう聞いたわけではない。




「夜宵ちゃんに直接聞いてみればいいじゃない」




 母に相談したらそう言われた。それが出来れば苦労はしないと、桜は思った。けど、いつまでもこのままでいいわけがない。絶対に仲直りしてみせる!と奮起した。




 そして、4月の入学式……絶対に話しかけてやると息巻いていたのだが。




――入学式は延期になった。




 なんでも、世界中で原因不明の失踪事件が起きているとかで、安全が確認されるまでは、自宅待機となったのだ。これがニュースとかで時折流れてた「2000年問題」というやつなのかと、桜は1人ズレた考察をしていた。




(違う違う、そうじゃない、これじゃ夜宵ちゃんと話ができないじゃないですか!!)




 もどかしさのあまりジタバタする日が続き、ようやく登校できるようになったが、周りはどこかピリピリとしていて、入学おめでとう!な雰囲気があまり感じられなかった。




 桜と夜宵は同じクラスだった。夜宵が座っている席を見つけるや否や、桜は脇目も振らずに突撃した。




「や、夜宵ちゃん……!」




 勢い余って何を言うか決めておらず、頭が真っ白になる。夜宵はちょっと驚いた様子で桜の顔をまじまじと見つめ返した。




「あ、桜じゃん、クラス同じだったとはね」




「そ、そうですねぇー、私もびっくりというかなんというか、そのー、高校でもよろしくって感じです」




 全く思い通りに喋れない自分をぐーで殴りたくなる。本当は中学の時のことも話したかった。けれど、今その話を蒸し返すのが果たして正しいことなのか自信が持てなかった。




「うん、そうだね、よろしく」




 夜宵の返答はシンプルだった。やっぱり何を考えているか分からないが、夜宵の仕草もどことなくぎこちない……気がした。




 その会話きりで、2人の話が発展することはなかった。それからしばらく日数が経った。




 世間では『鬼』が人を攫う事件が話題となっていたが、あまりに現実離れしている話に、誰もが困惑していた。日数が経つにつれて「何か悪い冗談だったのではないか」となっていった。学校ではお調子者の男子生徒達が事件を茶化すくらいには、風化しだしていた。




 そんなある日のことだ。




 桜達の教室に噂の『鬼』が現れた。3メートルはあろうかという巨大な体、人間と同じように手足はあるが、まるで獣のように爪が鋭く長い。頭の天辺からは長い角が一本生えていた。




 顔は無かった。目、鼻、口がある場所は窪んで黒い影が差していて、そこから墨汁のような液体が地面へとまるで血のように滴り落ちていた。




 後で知ったことだが、教室の扉が『鬼』の住処である『彼方の世界』との入口『穴』となっていたらしい。それが出現した瞬間、扉のすぐ傍にいた女子生徒が1人消えて入れ替わりに『鬼』が出てきたのだった。だが、そんなことをこの場にいる人間正確に把握できる筈も無く。


 


 生徒達に逃げ場は無く、軽いパニックが起きていた。




「騒がないで!!」




 鋭く叫んだのは夜宵だった。『鬼』が夜宵の方を見た……ように思えた。夜宵はあまりに冷静に対応する。




「刺激したらダメだ。ボクがこいつを引き付けている間に逃げろ。ベランダからなら隣の教室に行けると思うから――いいね?」




 周りが呆気に取られている間、夜宵は鬼から視線を離さずに歩み寄る。距離を保ちながらじりじりと円を描いて、鬼が出てきた教室の扉の方へと向かう。




「夜宵ちゃん、ダメ!!」




 桜は思わず叫んでしまい、『鬼』の首がぐるっと回転し、彼女を捉えた。




「ヒッ」


 声にならない叫びが喉から絞り出される。長い腕が伸びて、少女の細い首を絞めようとしたその時。




「鬼さんこちら」




 『鬼』の足を夜宵が蹴り飛ばした。巨大な身体はびくりともしなかったが『鬼』のターゲットは再び夜宵へと移った。長い腕が鞭のようにしなり、夜宵の顔に迫るが、夜宵はしなやかな動きでそれを間一髪で避け、教室の扉へと飛び込み――その姿が闇の向こうへと消えた。




『鬼』もその後を追ってその上半身を突っ込ませ、網に掛かった魚みたいなじたばたした動きで下半身を捻じ込んで、闇の向こうへと消える。




――助かった。




 教室にいた生徒達は腰を抜かしてしまった。




「え、せ、せんせいよぶ・・・?」




「呼んでどうにかなるのかよ」




 助かったという安堵と何が起きているのか分からないという不安、『向こう側』に人間が行ってしまったという恐怖。




――そんな混乱の最中、




(……行かなきゃ)


 


 何が起きているのかなんて分からない。けれど、今行かなかったらもう二度と夜宵と会えなくなる気がした。




 気が付いたら走り出していた。周りから上がった制止の声も彼女には聞こえていない。




 扉に入った瞬間、体がふわっと浮くような感覚を覚える。体の奥底にある何かが引っ張られるような感覚。




 視界が暗転。ふと気が付くと誰もいない教室に桜はいた。




 けれど、この教室には机も椅子も無かった。それにとてつもなく広い。目の前の黒板は見上げる程高く、チョークでびっしりと公式が書き記されている。空中では無数の教科書やノートが蝶のようにページを羽ばたかせて飛び回っている。




 現実離れした空間――だが、どこかメッセージ性を感じる芸術画の中にでも迷い込んだかのような感覚に陥る。




「は! そんなことより、夜宵ちゃんは⁉」




 人の気配に振り返り――桜の頭は真っ白になった。




 夜宵が立っていた。




 先程の『鬼』と対峙している。




 その彼女の体には無数の傷がついているように見えた。




 鋭利な刃物で付けられたような傷口がいくつもいくつもあって、そこから出血している。




――だが、その姿はどこか現実味が無い。




 例えるなら抽象画とでも言おうか。視覚的な現実はそこにはない。直感に過ぎないが、桜はそう感じた。




 きっとここには何か目には見えない物を見せる力が働いているのかもしれない。




 目を擦って観ると、夜宵はまだそこにいたが、傷は無かった。傍らにクラスの子を一人抱えている。




「……夜宵ちゃん!」




 桜は叫んだ。今度は怯まない。




――1人で行かせない。




 夜宵はあまりの驚きに、信じられないというような表情を浮かべていた。




 ここしばらくで、久々に見る素の夜宵の反応。これを見れただけでも来た甲斐はあったかもしれない。




「な、桜……なんで来たんだ!」




 夜宵は周りを警戒しながら、桜の方へとにじり寄る。普段の芝居ぽさというか、からかっているような調子がまるで無い。何か返事をしようと思ったが、夜宵が抱えている女子の様態の方が気になった。固く瞳を瞑っており、呼びかけてみても、意識も曖昧な状態だった。




「あ、あの、この子は大丈夫ですか? 怪我でもしたの?」




「違う。突然のことにパニックになったのと、この世界に『合わなかった』のが原因さ」




 頭の上に沢山の「?」が浮かぶ。




(合わなかった? 夜宵ちゃんはなんか詳しそう……そういえば、中学の時もなんでも知ってたなー)




 頭がパンクしそうになり、現実逃避気味に思い出に浸る。そんな桜の様子に、緊張が解れたのか、くすっと笑う夜宵。




「ほら……、そんなことより元の場所に戻ろう。あいつはなんかこっちの居場所見失ってるみたいだし」




 意識が混濁している子を2人で支える。元の場所に戻ろうと、夜宵は言ったが、どうやったら戻れるのか、桜は知らない。




「元来た時と一緒だよ。こっちの世界と繋がっている『穴』があるんだ。それを通れば元の世界に戻れる……」




 夜宵の言葉が徐々に尻すぼみになる。桜がじーっと彼女を見つめていた。そのせいだろう。




「なんで、そんなに詳しいの? それにすごく冷静だし……」




「いや、それは……」と夜宵は言い淀み、黙る。




「言えない。知ったら桜もきっと巻き込まれる」


 


 夜宵はとても苦しそうだった。再び、桜の眼には夜宵の体に傷が浮かぶのが見えた。もしかしたらこの傷は、心に浮かぶ傷なのかもしれない。




「自分から飛び込んだんですよ、夜宵ちゃんが心配だから……もう会えないと思いましたし。それに私、まだあの時の事、ちゃんとお話しできてません。夜宵ちゃんがあの時、何を考えてたのかとか、なんで1人で全部抱えちゃったのとか、なんで何も話してくれないのとか、言いたいことが沢山あります……!」




 言葉が止め処なく溢れてくる。気が付けば、全部ぶつけていた。夜宵は今、恐らくこれまで誰にも見せた事ないような弱気な顔をしていた。見られたくなかったのだろう。慌てて顔を逸らした。




「……ごめん、中学の時の事、だよね?」




 どこから話したらいいのか分からないと、夜宵は桜と対称的に言葉に詰まっているようだった。




「……私、ずっと謝りたかったんですよ、夜宵ちゃんの味方できなかったこと」




「そんなこと言い出したら、ボクは桜の事避けてた。高校でまた話しかけて貰えるなんて思わなかったよ」




 2人とも強情で、互いに譲らない。十年近く友達をやってるのだ。こうして話し始めれば互いの事など手に取るようにわかる。




「……桜は間が悪かっただけだよ。ずっと味方でいることくらい知ってた」




「夜宵ちゃんはなんでも自分でやろうとしちゃいますよねー。他の人を巻き込まずに自分だけでなんとかしようとして、馬鹿です!」




 大馬鹿ですと、付け加える。最後に折れたのは夜宵の方だった。




「……こっから出たら全部話すよ。教室のドア、探そ。そこが出口な筈――」




 広すぎる教室の壁が突き破られる。何が起きたのか桜が理解するよりも前に、夜宵は抱えていた女子ごと桜を突き飛ばし、自分も後ろへと飛んだ。長い腕が鞭のようにしなって床を割る。




「夜宵ちゃん!?」




 夜宵は腕を抑えていた。完全に避けることは出来なかったのか、抑えた手が真っ赤に染まっていた。




「こいつは抑えておくから……早く逃げ」




「そうやって、また自分で抱え込んで……!」




 この期に及んで、まだ夜宵は自分だけを犠牲にしようとしている。それが桜には許せなかった。厳密には夜宵に怒っているわけではないのかもしれない。なんで、自分の友達ばかりがこんな目に遭わないといけないのか。




 その理不尽な現実をどうにかしたいと思った。




――どうか、と。友達を助ける力をくださいと、誰にでもなく、祈った。




 何が起きても不思議ではない世界。祈りは彼女の原動力となり、具現化する。




 その祈りは『旗』の形をしていた。桜の目の前、白地に金糸銀糸で天体図の様な模様が描かれた旗が行く道を指し示すように一筋の光を放っていた。




 何かに導かれるように、桜は旗を取った。そして彼女は覚醒した。




『鬼』に怯える少女はもうそこにはいない。


『鬼』から人を護り、導く聖女の姿がそこにはあった。







豆知識

なんか雑に撒きこまれた可哀想な同級生


本名:佐藤笹子さん


とても間が悪く、『穴』の出現と同時に教室に入った。『彼方の世界』は合わなかったらしく、ひどく酔ってしまい、倒れる。助けてくれた女子2人がなんか知らん話で喧嘩してるのも全部聞こえていてちょっと気まずい。後に2人の友達になる。

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