第65話 嵐山の言葉

「……これが、俺に昔あったことだよ。俺の子供の頃の我儘のせいで朝日は居なくなった。だから俺は……俺は――」

「ありがとう」


 全てを話し終えた後で、俺は横からの衝撃に言葉を止められた。

 何が起こったのかとそっちを見ると同時に声が聞こえた。

 ありがとうと言ったのは嵐山さんで、彼女は俺を抱きしめていた。


「話してくれて……ありがとう。辛い話をさせちゃって、ごめんね」

「いや、そんな……ことは……」


 顔を上げた嵐山さんの頬を一筋の涙が流れる。


「そんなことあるよ……だって……優木、泣いてる……」

「え……」


 言われて気づいた。

 自分の頬を、冷たい何かが……いや、涙が流れていることに。


「俺……泣くつもりなんて……」

「いいんだよ……泣いて……いいんだよ……」

「あっ……」


 嵐山さんの言葉と、嵐山さんの体温がまるで俺の中の氷を溶かすようだった。

 涙が、止められない。


「自分のせいで妹さんが亡くなって、辛かったよね? 自分が我儘を言わなければ妹さんが事故に遭うこともなかった。だから優木はそれまでの性格を変えて、周りの誰かのために動くようになった。自分が疲労で倒れるとしても頑張ったんだね……」

「……うん」


 不思議と嵐山さんの言葉には正直に答えられた。

 彼女の言葉と密着した体から伝わる体温があまりにも優しくて、甘えたくなるくらい優しくて。

 涙と言葉が無意識に出てくる。


「私は優木がすごいと思う。そうやって人のために動けて優しい優木のことが、本当にすごいと思う。……でも……でもね? 私は優木に無理をしてまで誰かのために尽くして欲しくはない。それは妹さんも同じなんじゃないかな」

「でも……俺は朝日を……そんな俺が……」

「妹さんを事故に遭わせた優木は幸せになっちゃいけないの? ずっと誰かのために尽力しないといけないの? ……私は妹さんの事を知らないけど……それを妹さんが望んでいるとは思えないよ」

「…………」


 ハッとした。

 そんなこと考えたこともなかった。

 朝日が、それを望んでいない?


「優木さ、私に最初近づいたときは飯島先生の依頼だったんだよね? でもその後でV系の音楽を聴いて、それが好きになった。知ってる? あの時の優木、結構強引だったんだよ? もっとV系を知りたい、もっと誰かと語り合いたいって……今の話を聞いて、あれが本当の優木だったんだなって、そう思った」

「ご、ごめん嵐山さん……俺――」

「でもね」


 俺を抱きしめる腕に力を入れて、嵐山さんは首を横に振った。


「私、嬉しかったし楽しかった。今だってそう、こうして優木と一緒に居る時間が楽しいし、悪くない日々だった。V系について教えてって言われた時も、私達の事が噂になって、それを解消するために話しかけてくれた時も、修学旅行の班決めの時も……ちょっと強引だったけど、それがすっごく嬉しかったんだよ?」

「……嵐山さん」

「だから……きっと妹さんも私と同じように……楽しかったんじゃないかなって」


 涙を流したままで、嵐山さんは笑顔を浮かべる。

 その笑顔は俺が今まで見たことがある彼女のどの笑顔よりも綺麗で、輝いて見えた。

 泣いているのに心から微笑んでいて、目は俺を、俺の心を見てくれていて目が離せなかった。


「ねえ優木? 思い出して……妹さんは笑っていなかった? 遊んだ日々の中で、楽しそうに笑ってなかった?」

「笑って……あっ……」


 思い……だした。

 俺は妹の事がうっとおしいと感じていたけど、妹はいつも俺の後をついてきた。

 俺と同じ遊びをいつもしたいと言ってきた。


 それに仕方なく付き合ったこともあれば、そっけなく返したこともある。

 でもどんな時も朝日は楽しそうだったし、笑っていた。

 笑って……くれていた。


「妹さんの事をいつまでも思うのは良い事だと思う。でもそれなら自分を責めるんじゃなくて、妹さんの笑顔を思い出してほしい」

「朝日の……笑顔……」

「誰かのために動くのも良い事だし、誰かに優しく出来るのもとても良い事だよ……でも、それをやりすぎるのは違うと思うし、自分を蔑ろにするのはもっと違うと思う。それに妹さんも誰かに優しくしたり尽くす理由に自分を使って欲しくは……ないんじゃないかな」

「…………」


 すっと、嵐山さんの言葉が心に入ってきた。

 俺は今まで自分自身をずっと責めてきた。

 今だってあの事故は俺が原因で、俺が全部悪いって思っていて。


 でも今、昔笑顔だった朝日の事を思い出した。

 どうして今まで忘れていたんだろうっていうくらい、多くの笑顔を思いだせた。


「そう……なのかも……しれないね」


 朝日が本当はどう思っていたのかは、今はもう知る由はない。

 でも違う見方をすることは出来た。


 12月の冷たい風が俺達の間を吹き抜ける。

 嵐山さんはおのずと、俺を抱きしめる腕を離した。


「ご、ごめんなさい、私感極まっちゃって……」

「ううん、ありがとう嵐山さん……今まで誰にも話せなかったけど、話して少しだけ楽になったよ」

「で、でも私、妹さんのこと知らないのに勝手なこと言っちゃって……」

「朝日がどう思っていたのかは分からないけど、嵐山さんの言うこともよく分かるからさ。俺の事を思って言ってくれたって分かるから……だから、ありがとう」


 過去は変わらないし、俺が原因だっていうのも変わらない。

 でも朝日の笑顔をもっと思い浮かべるべきで、俺の生き方に朝日を使うべきじゃないっていうのはその通りだと思ったから。だから感謝を告げた。


「……うん」


 嵐山さんは静かに答えてくれた。

 そうして数秒間の沈黙が流れる。


「帰ろうか……」

「……そうだね」


 俺達は互いにそう言って、帰路についた。

 どちらから言う事もなく、自転車を引いて帰る。

 俺と嵐山さんの間には会話はなかったけど、これまでの気まずさは無くなっていた。


 けれど俺の心の中には、未だにもやもやが残り続けていた。

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