第47話 彼女の過去の始まり

 家に帰ってすぐに私服に着替えた俺は嵐山さんの家へ向かった。

 初めて行った時にも驚いた高層マンションに到着し、ロビーに入って覚えていた1301の数字のボタンを押す。

 呼び出しボタンを続けて押せば、来ることが分かっていたからかすぐに入り口のロックが解除された。


 残念ながら、今回は嵐山さんの声を聞くことは叶わなかった。


 中に入り、エレベーターホールへ。

 ちょうど止まっていたエレベーターに乗り込んで13のボタンを押せば、浮遊感に襲われる。

 前回は早朝という事で外があまり見れなかったけど、今回は夕方だからエレベーターの窓から途中の階の廊下が見えた。


 それを眺めているうちにエレベーターは13階に到着。

 降りてすぐの1301の部屋のインターホンを押せば、しばらくして扉が開き、嵐山さんが出迎えてくれた。


「こ、こんばんは嵐山さん」

「うん、中に入って」


 挨拶を交わすと、嵐山さんは家の中に入れてくれる。

 玄関で靴を脱いだけど、嵐山さんの靴だけが置いてあって、相変わらずお姉さんは不在なようだ。

 嵐山さんの背中についていき、前回過ごしたリビングへ。

 前回と変わらない景色が俺を出迎えてくれた。


「ハンガーはそこ、前と同じところに座って」


 以前借りたハンガーに加えて、これまた前回と同じ席を手で示される。

 ハンガーにコートをかけていると、嵐山さんが声をかけてきた。


「何か飲む? 温かい小さなペットボトルの紅茶ならあるんだけど」

「あ、じゃあ頂いてもいいかな?」

「うん」


 嵐山さんは返事をして、キッチンの方へと向かう。

 そしてしばらくすると、コンビニで売られているような小さなペットボトルを持ってきて、俺と自分の席の前に置いていた。

 紅茶と言っていたけど、ミルクティーのようだ。


 手で触れてみると思った以上に温かくて、かじかんだ指が熱を取り戻していくみたいだった。

 こんなものもあるなんて、嵐山さんの家には高温で飲み物を保管しておく機器もあるんだろう。

 蓋を外して一口飲めば、温かさが胸に染みた。


「……あ、そういえば嵐山さんも文化祭のお化け屋敷準備、内装制作だったね。よろしくね」


 急に嵐山さんの中学時代の事を聞くのも気が引けて、とりあえず今日あったことを聞く。

 俺と同じようにミルクティに口をつけていた嵐山さんはペットボトルをテーブルに置いて、口を開いた。


「うん……よろしく」

「嵐山さんは、図工? って得意なの?」

「どうだろ? 小学校の頃にあったけど苦手でもないし、得意かと言われるとそうでもないような。……でも、何かを作るのは好きだよ」

「そっか、なら楽しめるかもね」


 やっぱり思った通り嵐山さんは何かを作るのが好きなようだった。

 文化祭の準備でも彼女に助けられることがあるかもしれないな、なんてことを思ったりした。


「あのね」


 不意に嵐山さんが声を発する。

 ついに中学の頃の話かと思って少しだけ身構えたけど、嵐山さんは小さく笑った。


「修学旅行から帰ってきた日、お姉ちゃんがたまたまここに居たの。それでお土産を渡したときに少しだけ話をしたんだ。修学旅行が楽しかった? って聞かれて、楽しかったよって返した。そしたらね、驚かれちゃった」

「驚……かれた?」


 修学旅行なんて高校生生活の中で一番楽しいといってもいい行事なのに、珍しいなと思って返す。

 すると嵐山さんは頷いた。


「お姉ちゃんは意外だったんだと思う。だから伝えたんだ。中学の頃とはもう違うから、大丈夫だよって」

「中学の……頃とは……」


 いよいよその話題が来ることを感じて、思わず背筋が伸びた。

 ペットボトルの蓋を親指で撫でながら、嵐山さんは静かに、けれど安定した声で話し始める。


「私の家族は私を含めて四人。全国や外国を飛び回っている忙しいお父さんと、家で専業主婦をやっているお母さん、そしてこの家の持ち主であるお姉ちゃんが居る。自分で言うのもなんだけど、それなりに裕福な家庭だと思う」


 それはここや嵐山さんからの普段のふるまいを見ていればなんとなく分かる。

 お姉さんがすごいっていうのもあると思うけど、嵐山さん自身もたまに動きに品があるというか、綺麗と思うことがあるから。


「お母さんは結構厳しい人で、私に小さい頃からいろいろな習い事をさせてくれたの。私は大人しい子だったから、言われるままに色々な習い事をした。お姉ちゃんがそれを完璧にこなしてきたから、っていうのもあると思うけど。……中学に上がるときに辞めたものがほとんどだったけど、体操や習字、水泳にそろばんとか色々な習い事をしてたんだ。ただ、どれも続けることは出来たけど、好きって程じゃなかった」


 好きって程じゃないにせよ複数の習い事を続けられるのは純粋に凄いと思う。

 けど嵐山さんの話にはまだ続きがあった。


「中学に入ってからもいくつかの習い事は続けて、勉強も頑張った。お姉ちゃんは中学も高校も成績優秀だったから、私も出来るってお母さんは思ってくれていたみたい。習い事も勉強も、変わらずに続けられた。今だと信じられないかもしれないけど、私、中学二年くらいまですごく成績優秀だったんだよ?」

「そうなんだ……じゃあ、お姉さんと比較されたから……?」


 すぐに思いついたことを聞くと、嵐山さんは首を横に振った。


「思うことはあったけど、お姉ちゃんがすごい人なのはよく分かっているから、そこまで嫌な気分じゃなかった。でも中学二年の時に私は出会ったの。……何かはもう分かると思うけど、V系に出会ったんだ。たまたまお父さんの部屋に入ることがあって、そこで知った。本当にカッコよくて、激しくて、頭の中で音楽が鳴りやまないくらい夢中になった。スマホは中学の時には買ってもらっていたから、ずっとそれを聴いていたくらい」


 心底楽しそうに言う嵐山さんは、自分の髪を自らの右手で撫でた。


「そこから、その人達の恰好がカッコいいと思って真似をしようと思ったんだ。長かった髪を美容院で切って貰って、色を入れてもらった。私はただ、動画で見たあのカッコよさが自分にも欲しかった。欲しくて欲しくて、たまらなかったんだ。美容院で見せてもらった時は本当に嬉しかった。髪型や髪色をかえるだけでこんなに変われるんだって、そう思ったから」


 そこまで話した嵐山さんは手を下ろして、悲しげな表情を見せた。


「でもカッコいいと思っていたのは私だけ。それまで仲の良かったクラスメイトは変な人を見る目で私を見るようになったし、担任の先生は校則にはないけど、中学生らしくない髪だから直した方が良いって言った。……そしてお母さんは、私が髪を変えたその日に怒った。いったい何をしているのって。そんな髪なんか、やめなさいって」


 そうか、嵐山さんはそれで心に傷を。

 そう思ったけど、嵐山さんはため息を吐いて、強い目で俺を見た。


「だから私も怒鳴り返した。別に私がどんな髪にしようと私の勝手でしょって。それまでのストレスとかもあったかもしれないけど、自分の好きなものをすぐに否定されたことに耐えられなかったんだ」


 訂正、意外と嵐山さんは強かった。

 思い返してみれば自分の意見はしっかりと持っている人だし、冷たい目を向けることもあるから、そうなっても不思議じゃない。


「お姉ちゃんが全く反抗しなかったからだと思うけど、私の言葉にお母さんはとても驚いているようだった。お母さんとの仲がこじれ始めたのはこの時からだと思う。私は自分の好きなものを認めてくれないお母さんが受け入れられなくて、お母さんは反抗期を迎えた私にどう向き合っていいか、分からなくなってたんだと思う。でも、この頃はまだ良かった」

「まだ……?」


 俺が聞き返すと、嵐山さんははっきりと頷いた。


「お母さんとの確執は出来ちゃったし、中学でもちょっと変な目で見られることが多くなったけど、その一方でそれまで通り……とはいかないまでも、普通に付き合ってくれる子は何人か居たから中学生活はそこまで大きくは変わらなかった」


 そこまで話さされて初めて、俺は嵐山さんのペットボトルを握る手が震えはじめていることに気づいた。

 けど心配するよりも先に、嵐山さんは話の続きを口にする。


「でも大きく変わったのは中学三年生に上がったあと。一つの大きな事件が起きたんだ」

「大きな……事件」

「うん」


 嵐山さんは俺の言葉に頷いて返して、話し始めた。

 彼女さんが周りを拒絶し、一人で居ようとするきっかけになった中学時代のことを。

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