第33話 初日は奈良で、楽しい時間を
『まもなく、新大阪です』
新幹線のアナウンスを聞いて、もうすぐ着くかと思ったとき、隣の嵐山さんが少し身じろぎした。
そちらを見てみるとちょうど目を覚ましたようで、うっすらと目を開けている彼女が目に入った。
「おはよう嵐山さん。そろそろ新大阪駅に着くよ」
「ん……。……?」
返事をしたもののまだ完全には覚醒していないのか、目を擦る嵐山さん。
けれど自分にかかっているコートを見て、不思議そうな顔をしていた。
「あっ……。ありがとう……」
気づいたようで、彼女はコートを両手で持って俺に手渡してくる。
「気にしないで」
そう言って受け取った。
嵐山さんは少し寝たからか眠そうな様子は全くない。
2時間半の間熟睡していたし、少しでも疲れが取れていればいいんだけど、と思った。
新幹線はやがて新大阪駅に到着する。
俺と嵐山さんはほぼ同じタイミングでコートを羽織って、今度は嵐山さんから席を立って出ていく。
ちょうど栗原さんが前の席から出てきたところで、その後ろには眠そうな顔をしている蓮もいた。
目が合った栗原さんは、小さく笑って説明をしてくれた。
「藤堂君、最初は窓の外の景色に興奮していたけど、途中からぐっすりと寝ていたわ。昨日あまり寝れなかったようね」
「まあ、誰だって楽しみには思うからね」
俺も今回はたまたま眠気が来なかったけど、次のバス移動では少し怪しいかもしれない。
苦笑いをしながら栗原さんと軽く会話をして、新幹線を降りる。
生まれて初めて吸った新大阪の空気は、心なしか美味しい気がした。
◆◆◆
修学旅行一日目の目的地は奈良。
そして最初に訪れるのは日本最古の寺と言われている法隆寺だ。
新大阪から法隆寺までは観光バスに乗って移動する。
ここでも席割は行動班別に分かれていて、隣の席は新幹線と同じく嵐山さんだった。
ちなみに今回は嵐山さんが窓際で、俺が通路側だ。
新幹線と比べると流石に座席は居心地が悪いかなと思ったけど、そんなことは無くて、沈み込むような快適な座席だった。
大体一時間くらい座っていたが、そこまで体が疲れていないのが証拠だろう。
ちなみにどうしてこんな簡単な記載に留まっているかというと、寝落ちしたからだ。
速い景色とワクワクが消えきっていなかったために起きていた新幹線とは違って、バスの中ではぐっすり眠っていたと嵐山さんに教えてもらった。
ちょっと恥ずかしかったから、嵐山さんも新幹線で気持ちよさそうに寝ていたよ、と返しておいた。
そっぽを向かれてしまったけど、そんな風に気楽な話が出来るようになったのも昔では考えられない事だろう。
ちなみに観光バスが法隆寺に止まった後、そこで俺達は昼食をとった。
少し遅い昼食だったことと、そもそも朝食が早かったこと。
それに今まで来たことのない奈良の食べ物を食べて、美味しいと思った。
美味しいとは思ったけど日本であることに変わりはないし、そこまで感動しなかったのはここだけの話だ。
そうして俺は今、クラス単位で法隆寺を見学している。
歩いて回りながら、説明をしてくれるお坊さんのお話を聞いたりした。
『…………』
正直、話についてはあまり耳に入っていなかった。
聞いているときはへぇーって思うけど、帰る頃には忘れちゃっているかもしれないな、なんてことを思った。
チラリと横を見ると、嵐山さんはちょっとだけ体を揺らしながらお坊さんの話を聞いていた。
いや、聞いている……んだよな? なんか目が遠くを見ているような気がするけど。
そうしてお坊さんの説明も終わって、クラスメイト達が移動していく。
蓮や栗原さんも行ってしまったけど、嵐山さんはその場から動かなかった。
「嵐山さん? 行くよ?」
「……ん。分かった」
声をかけるとハッとしたように我に返っていた。
何か考え事をしていたのかもしれない。
そんな事を思いながら、二人して蓮達を追いかけた。
◆◆◆
修学旅行のしおりでは法隆寺、東大寺って一括で書かれていたけど、どうやらこの二つはそれなりに離れているみたいだ。
栗原さんに聞いてみると、大体一時間掛かるか掛からないか位なんだとか。
そんなわけで再びバスに乗り込んだ俺達は、やや長く揺られて次の目的地へ来ていた。
東大寺は奈良公園の中にあって、公園を探索した後にそちらへと向かうようだ。
奈良と言えば鹿が有名で、東京では考えられないけど、公園内に普通に鹿がいるみたいだった。
「なんだっけ? 鹿せんべいは与えてもいいんだよな?」
「そうそう。絶対それ以外の食べ物与えちゃダメだからな。飯島先生も強く言っていたし」
蓮の質問に強めの口調で答える。
今回の修学旅行について飯島先生はいくつかの注意をしていたけど、鹿に対しては強く注意していたことの一つだ。
飯島先生に迷惑をかけないためにも、ここは強く言っておいた。
とはいえ蓮は不真面目だけど、線引きはしっかりとしている奴だ。
変なことはしないだろう。
特に今は近くに青木や矢島さん、それに栗原さんも居るし。
「鹿せんべいって、いくらだっけ?」
「自販機で買えるみたいだけど、露店で買うともっと安くなるみたいだね。でも数百円だって」
「近くに露店があったから、そこで買いましょうか。東大寺の案内の時間までは少しあるし、鹿と触れあいましょう」
青木、矢島さん、栗原さんが話す。
彼女達についていって露店にいくと、かなり手ごろな金額で鹿せんべいは売られていた。
ただ量は結構あるように見受けられたけど。
「優木、一個買って。半分出す」
「そうだね、二つだとちょっと多いかもしれないね。でもこのくらいなら普通に買って渡すよ」
嵐山さんの提案を断り、俺は一つ購入する。
そしてそれを半分嵐山さんに渡した。
見てみると蓮は二つ、栗原さんは一つ、青木と矢島さんは同じように二人で一つを買ったみたいだ。
「……藤堂君、多いかなって思っている私が言うのもなんだけど、それでも多くないかしら?」
「時間はあるし、大丈夫だろ。それに多くの鹿にあげればいいだけさ」
「……まあいいわ。穏やかな鹿の居る場所が近くにあるみたい。そっちに行きましょうか」
栗原さんを先頭に、俺達は移動する。
意外と近くにあって、他のお客さんが鹿達にせんべいを与えていた。
その中には、見知った姿もあって。
「あれ? 飯島先生?」
「ん? ああ、お前達か。分かっていると思うが与えるのは鹿せんべいだけだぞ」
「分かっていますって」
飯島先生が立っていた。
特に鹿せんべいを持っていないという事は、軽い監視を担っているんだろう。
修学旅行でも仕事をしていて、お疲れ様です、と内心で頭を下げた。
「優木、楽しめているか?」
「はい、初めて奈良には来ましたが、楽しめています。鹿をこの目で見るのは初めてですし」
「ふむ、それなら学校側も修学旅行をした甲斐があるというものだ。存分に楽しむと良い。ただし羽目は外さないようにな。まあ……お前は大丈夫だと思うが」
「はい」
チラリと嵐山さんに目を向けた飯島先生は何も言わず、俺達から少し離れる。
どうやら新しく来た生徒の集団に声をかけようとしているみたいだ。
「おーい夜空―。意外とむしゃむしゃ食べるから楽しいぞー」
「意外とってなんだよ」
苦笑いしながら俺は蓮の元へ行き、同じように鹿に鹿せんべいを与える。
さっきは苦笑いしたけど、実際鹿はむしゃむしゃと美味しそうに食べていて、蓮の気持ちが少し分かった気がした。
意外と鹿の数は多くて、せんべいを与えているとやがて無くなってしまう。
これなら蓮や栗原さんみたいに一人一つでもいいかと思っていたけど、蓮は蓮でまだ少し残っていて、与えきれるのかと少し不安そうな顔をしていた。
「? あれ?」
見える範囲に嵐山さんの姿がなくて、辺りを見回す。
すると少し離れた位置で鹿にせんべいをあげている嵐山さんの姿が目に映った。
静かに近づくと、気配に気づいたのか視線だけを彼女は俺に投げかけてくる。
隣に立って見てみると、嵐山さんのせんべいはまだ数枚残っていた。
「……この子、人が多いところはあまり好きじゃないみたい。ちょっと離れたところに居たから」
「そうなんだね」
「うん……だから、この子にあげたかったの」
差し出したせんべいを美味しそうに食べる鹿を見ながら、嵐山さんはそんなことを言った。
一人だけだった鹿を可哀そうだと思ったとか、何かを感じ取ったとか、そんな事を思ったけど。
「まだ食べたいの? ……うん、食べな」
静かに、穏やかに鹿にせんべいを与える嵐山さんの隣で、俺は一人と一匹をただじっと見守っていた。
×××
公園で鹿と触れあい、その後に東大寺を見終わった俺達は再び観光バスに戻る。
この後は観光バスで京都の旅館に向かい、そこで一夜を明かす予定になっている。
奈良は一日でお別れになってしまい、ちょっとだけ寂しさがあるものの仕方がないことだ。
出発し、移り変わっていく窓の外を見ていると、その間にいる嵐山さんが目に入った。
ちょっとだけ気になったことがあって、聞いてみることにする。
「嵐山さん、法隆寺の時も東大寺の時も体が揺れてたけど……」
「体? 揺れてた?」
「うん」
どうやら無意識だったようで、そうだったのかという雰囲気を出している。
けれど少しして、彼女は、ああ、と呟いた。
「あまり話に興味がなかったから、頭の中でV系の音楽を流していたの。だから体が揺れていたのかもしれない」
「あー……なるほど」
嵐山さんらしい理由に、小さく笑った。
俺も授業中の暇なときにやるから気持ちはよく分かる。
けど、あれ? と思って再び尋ねた。
「でも後日、法隆寺や東大寺で聞いた内容をレポートで提出するっていう課題があった気が……」
「パンフレットがある。大丈夫」
「聞いた内容も盛り込むようにって言われてなかったっけ」
「…………」
そうだった気がすると告げてみると、嵐山さんの動きは固まった。
そうして数秒硬直した後で、嵐山さんは俺の腕を掴む。
「優木、レポートは一緒に作ろう。二人でやった方が良いのが出来るし、助け合いは大事」
「……ははっ、うん、そうだね。一緒に作ろうか」
ちょっと面白い嵐山さんに、思わず笑顔がこぼれてしまう。
彼女には色々とお世話になっているし、今回はきちんと法隆寺と東大寺で聞いたことを彼女に伝えようと、そう思った。
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