第16話 あの時の、リベンジを

 長かった夏休みはあっさりと過ぎ去り、9月を迎えた。 

 始業式を終えれば、蓮のように夏休み一緒に頻繁に遊んだ奴とも、会わなかったクラスメイトとも顔を合わせる。 

 嵐山さんもその一人で、挨拶をすると「ん、おはよう」と返事をしてくれた。 

  

 午前中だけの始業式と簡単なホームルームを終えて、俺は家へと帰る。 

 夏休みの内に今日の予定は嵐山さんと立てていて、着替えて前回と同じカラオケ店へと向かった。 

  

 前回と同じ私服を着てカラオケ店に向かうと嵐山さんも同じことを思ったのか、前回と同じ私服で待っていてくれた。 

 彼女に近づいて、声をかける。 

  

「嵐山さん、今日はありがとう」 

「別に構わない。入ろうか」 

  

 前回と同じように嵐山さんが主導して受付をしてくれる。 

 渡された伝票をチラリと見ると、何の運命か部屋番号まで前回と同じだった。 

  

「同じ部屋だ」 

「すごい偶然」 

  

 二人でそう言って、ドリンクバーへと移動する。 

 ここでも前回と同じようにアイスのカフェオレをグラスに注ぐ嵐山さん。 

 一方で俺は、前回とは違って林檎のジュースをグラスに注いでいた。 

  

 嵐山さんはチラリと俺のグラスを見たけど、特に何かを言うわけでも無くて部屋へと向かう。 

 扉を開けて中に入れば、当然だけど前回は悔しい思いをした一室が俺を迎えてくれた。 

  

 今度こそ、俺は……。 

  

 そう心の中で呟いて、ソファーに座る。 

 固い感触は、まるで今の俺の気持ちを表しているみたいだった。 

  

 慣れた手つきでマイクを俺の前に置く嵐山さんは、視線を向けたまま聞いてきた。 

  

「私からでいい?」 

「うん」 

  

 頷いて返事をすると、嵐山さんは「そう」と言って機器を弄り始める。 

 その様子を横目に、俺は今回歌う曲の順番をメモしたスマホを見返していた。 

 大丈夫、しっかり考えて順番を組んだし、念のために風見先生にも事前にこの順番でいいか確認をした。 

 曲の順番は次第にキーが高くなっていく順にしたから、喉へのダメージも最小限になる筈だ。 

  

 そう思っていると嵐山さんは選び終わったようで、曲を入れていた。 

 流れ出した伴奏を聞きながらモニターに目線を向ければ、前回とは違うもののV系の楽曲だった。 

  

 2か月ぶりに聞く嵐山さんの美声が、部屋中に響き渡る。 

 特にサビに関しては相変わらず圧巻の一言で、惹きつけられてしまう魅力があり、彼女やモニターをじっと見ていた。 

 やっぱり、嵐山さんは歌がすごく上手い。そう改めて思った。 

  

 彼女が丁寧に、でもカッコよく一曲を歌い終えたところで、俺は声を上げた。 

  

「嵐山さん、今回もすっごく上手かったよ!」 

「ありがとう。……でも次は、あなたの番」 

  

 無表情だけど真剣な瞳を向けられて、俺は頷く。 

 前回は曲を入れることなく聞き惚れていたけど、今回はちゃんと入れている。 

 入れたのはV系の曲じゃなくて、少し前に流行った楽曲だ。 

  

 マイクを手に、俺は歌い始める。 

 この曲は何度か歌ったこともあるし、難しくなくて、しかもキーも高くない曲だ。 

 歌いきることに問題はない。 

  

 ただ、心配だったのは嵐山さんがV系以外の曲をどう思っているかだけど。 

  

 歌唱中に嵐山さんの方をチラリと見てみる。 

 様子を確認するだけだったけど、目が合って驚いた。 

 彼女は俺の方を見て、とても驚いているようだった。 

  

 え? 俺、なんか間違えた? と思って焦ってモニターを見たけど、特にミスはしていない。 

 少し気になったけど、そのまま何の問題もなく俺は一曲を歌いきった。 

  

 ふぅ、と一息吐いてソファーに座ると、嵐山さんが声をかけてきた。 

  

「驚いた」 

「え?」 

「前回とは、まるで別人」 

「そ、そう?」 

「ん、良くなってる」 

「あ、ありがとう……」 

  

 嵐山さんに正面から褒められて、嬉しくなって視線を外してしまう。 

 まだV系を歌ったわけじゃないけど、こうして彼女に褒められるのは嬉しかった。 

  

 V系以外の曲を歌って少し心配していたけど、嵐山さんは一切気にしていないようで、次もV系を入れていた。 

 俺の2曲目、3曲目もV系ではない曲を歌ったけど、嵐山さんは真剣に聞いてくれたし、歌い終わった後には「知らなかったけど、良い曲だね」って言ってくれたこともあった。 

  

 楽しいっていう気持ちが、初めて俺の心に満ちた。 

 V系を歌ってくれる嵐山さんと一緒にカラオケで過ごす時間が、この上なく楽しい。 

 俺は自然と笑顔になって、嵐山さんも雰囲気が柔らかいものになった。 

 たまに口元が上がっているから、本当に楽しんでくれているんだと思う。 

  

 そして気づけば、前回俺がギブアップした30分はとっくに過ぎていた。 

 それに気づいて、そして喉もだいぶ温まったことを感じて気合を入れる。 

  

 いよいよか、と俺は曲を選んで、次の曲として予約した。 

 歌っていた嵐山さんが、一瞬モニターを見て目を見開いた。 

 入れたのはV系の楽曲。しかも前回俺が最初に入れてあっけなく撃沈した因縁の曲だ。 

  

 歌い終わった嵐山さんと入れ替わるように俺は立ち上がった。 

 大きく息を吐いて、心を落ち着かせる。 

 大丈夫、あんなに夏休みに練習したし、今日の喉の調子も絶好調だ。 

 まだまだ余裕がある。だから、歌いきれる。 

  

 そして伴奏が耳に入って歌い始めようとしたとき。 

  

「頑張って」 

  

 声が、耳に届いた。 

 この部屋にいるもう一人、嵐山さんからの言葉を聞いて、心が燃え上がる。 

 やってやる。完璧に、歌いきってやる。 

  

 これまで練習したことを思い出しながら、必死に歌を歌う。 

 少し高いAメロ、Bメロを越えて、そして問題のサビへ。 

 もっともキーが高くなり、かつ盛り上がる一番のメインどころ。 

  

 そこを、力の限りに歌い上げていく。 

 大丈夫だ、声も出る。調子もいい。歌いきれる。 

 高音だっていい感じに出せた。だから最後も、しっかりと。 

  

 サビの最後に待つ長いロングトーン。 

 それを大きく息を吸って準備をして。 

 力の限りに、発声した。 

  

 1番を、歌いきった。 

 けどまだ終わりじゃない。少しの休憩を挟んですぐに2番が始まる。 

 息を大きく吸って2番に備える。 

  

 2番も同じように歌いきり、そしてメロディが変わるCパートへ。 

 ラストのサビに繋がるCメロは難しいパート。 

 だけど、それもなんとか大きなミスなく歌いきった。 

  

 そしてそのまま最後のサビを、力の限りに歌いきる。 

 途中で少し高いなと感じたところに関しては、風見先生からのアドバイス通りに目を瞑って対応した。 

 必死に声を出して、出して、出し続けて。 

  

 そうして歌が、終わる。 

 静かに、伴奏がフェードアウトしていく。 

  

「はぁ……はぁ……」 

  

 高くて息継ぎもしにくい曲だったから息は乱れているけど、心は満足していた。 

 俺は、歌いきったんだ。やりきったんだ。 

 言葉では言い表せない達成感が心を占めたとき。 

  

「おめでとう」 

  

 その言葉に、俺は嵐山さんを見た。 

 彼女はずっと俺の事を見てくれていたようで。 

  

「やるじゃん」 

  

 あっ。 

  

 そう心の中で、声をだしてしまった。 

  

 嵐山さんが、笑った。 

 雰囲気が柔らかくなったとか口元をちょっと上げるとかじゃなくて、笑った。 

 怖さなんて微塵も感じない、綺麗な笑顔だった。 

  

「あ、ありがとう……うん、良かったよ」 

  

 そう少しだけ早口で言うと、嵐山さんは立ち上がる。 

 その表情はいつもの無表情じゃなくて、少しだけ得意げで、やってやるっていう表情だった。 

  

 次の楽曲が表示されて俺は驚く。 

 その曲は以前嵐山さんと話したときに、彼女も難しいと言っていた曲だったからだ。 

  

 俺が挑戦したタイミングで、嵐山さんも挑戦してくれるという事なんだろう。 

 彼女なりの気遣いかもしれないと思って、俺は嵐山さんの姿を見守った。 

  

 頑張れ、嵐山さん。 

  

 心の中で彼女を応援して、嵐山さんの歌唱を見守った。 

  

 俺の応援のお陰、なんてことはないと思うけど、嵐山さんはほぼ完ぺきにその曲を歌いきった。 

 相変わらず聞き惚れてしまうような歌声で、歌手にだってなれるんじゃないかって思ったくらいだ。 

 歌い終わった時には思わず拍手をしてしまって、嵐山さんは顔を背けていたけど、きっと疲れたんだと思う。 

 すごく難しい曲だったから、無理もないだろう。 

  

 その後、俺達は時間の許す限りカラオケを楽しんだ。 

 二人交互に、V系の楽曲や、それ以外の楽曲を入れたりする。 

 後半は喉も酷使したのか少し枯れてきて、カラオケ機種の方でキーの設定を下げて対応したりした。 

  

 それでも嵐山さんはこのカラオケの場を楽しんでくれたようで、本当に良かった。 

 もちろん俺も思う存分に楽しんだ。 

 この時間がずっと続けばいいのに、とさえ思っていた。 

  

 けど楽しい時間は一瞬で終わるもので。 

 部屋に設置された電話が鳴り響き、受話器を取った嵐山さんが応える。 

 歌いながら会話を聞いていたけど、もう終わりの時間みたいだ。 

  

 嵐山さんが受話器を置くのと、俺が歌い終わるのはほぼ同時だった。 

  

「時間終わりだから、そろそろ出てだって」 

「うん、分かったよ」 

  

 名残惜しくはあるけど、満足の方が上回った。 

 俺は帰りの支度を済ませて立ち上がる。 

 嵐山さんは既に準備を済ませていたみたいで、伝票をもって俺を待ってくれていた。 

  

「優木」 

「……?」 

  

 初めて名前を呼ばれたな、なんて思いつつも、なんだろうと思って首をかしげると、嵐山さんは得意げな顔で言った。 

  

「楽しかった。また、来ようね」 

「っ……う、うん……俺もすっごく楽しかったよ! またV系の曲、聞かせてほしい」 

「ん、ぜひ」 

  

 踵を返して部屋を出ようとする嵐山さんの背中を追う。 

 部屋を出て受付に向かう前に、さっきまで居た部屋を振り返った。 

 入った時には緊張の場だったその部屋は、楽しい思い出のある部屋に変わっていた。

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