第14話 意外なところに居た、詳しい人

 夏休みに入って数日、7月もそろそろ終わろうとしている。 

 宿題は順調に進めているし、蓮達と遊ぶこともある。 

 それに嵐山さんとはRINEでやり取りをすることもあって、充実した日々を送っているだろう。 

  

 夏休みを満喫して楽しめているのは間違いない。 

 でも一つだけ、上手く行っていないことがあった。 

 カラオケである。 

  

 嵐山さんと約束をしたあの日以来、部屋で練習をしたり一人カラオケに行ってみたりした。 

 特に今は夏休み中で時間はたっぷりあるから絶好の練習期間だと思った。 

 だけどあまり成果は良くなくて、困っているところだった。 

  

 蓮や東川にも聞いてみたりしたけど、二人も物凄くカラオケが上手い、というわけじゃない。 

 それにカラオケの練習なんて聞いたところでやったことがないのは二人も同じで、有力な情報は得られなかった。 

 お袋も親父も、カラオケにはあまり行かないから聞いてもコツなんかは分からないだろう。 

  

 ネットで情報を漁ってみてもどれを参考にすればいいのか分からなくて、効果が出ないのに頑張っているっていう、ちょっと心に来る状態が続いていた。 

 今日もちょっと時間があったから調べてみたけど、やっぱり結果は微妙だった。 

  

「うーん……わかんねぇ……」 

  

 ポツリと呟いてモニター右下の時間を見れば、塾の時間が迫ってきていた。 

 7月初めの試験対策として夏休み前の授業は全部試験前に持ってきてもらっていたから、久しぶりに塾に行くことになる。 

 そういえば、最後の授業の時はカラオケでV系を歌う話をしたんだっけかなと、思い返した。 

  

 あの時は軽く考えていたけど、V系の曲が歌えるようになるにはまだ時間がかかりそうだ。 

 大きなため息を吐いて、俺は塾に行く準備をし始めた。 

  

  

  

 ◆◆◆ 

  

  

  

 風見先生が持ってきてくれたテキストを印刷してもらい、その説明を受ける。 

 試験前とかはともかく、それ以外の授業では受験を意識した英語の授業をしてもらっている。 

 先生が言うには、まずは英文法、そして英語長文へと移っていくらしい。 

  

 そんなわけで英文法の内、仮定法の説明を受けた俺は問題を解きながら、先生に話を振ってみた。 

  

「先生、この前俺、カラオケでV系歌うって言ってたじゃないですか?」 

  

 俺の言葉に、手元のプリントを見ていた先生は「ああ」と言って顔を上げた。 

  

「言ってたね。どうだった?」 

「……全然ダメでした。めちゃくちゃ高いですね。すぐに喉が枯れちゃいましたよ」 

  

 少し嫌なことを思い出しながら苦笑いして話すと、先生も覚えがあるのか同じように苦笑いした。 

  

「そうだろうね。普通の男性が出せる音域よりも高いから」 

「はい。結局30分くらいで限界を迎えちゃいました」 

「……あれ? 何人で行ったの?」 

「え? 2人ですけど……」 

  

 そう言うと風見先生は視線を上に向けて何かを考えて、やがて俺を、まさかという目で見た。 

  

「ひょっとして、最初からV系入れて歌ったの?」 

「え? はい……」 

「うーん、それだとあんまり良くないかもねえ」 

  

 俺が英文法の問題で間違えたときと同じ言葉を発した先生は、持っていたペンを置いて説明をしてくれる。 

  

「人間の喉って、いきなり高い音を出すのには向いていないんだよ。アーティストがライブや公演前に発声練習をするのは知ってるでしょ? あれと同じで、僕らも自分の喉をまずは慣らしていかないといけない」 

「は、はぁ……?」 

「つまり一番良いのは、比較的キーの低い曲を歌って喉を温める事。そして声が出るなと思ってきたら、高い曲を入れることだよ。急に高い曲を無理して歌うと、喉がダメージを受けちゃうんだ」 

「……なるほど」 

  

 先生の話は普段の授業と同じくらい分かりやすくて、そして納得できた。 

 確かにあの日、俺は好きになったV系の音楽をすぐに入れて、そして歌った。 

 最初の曲を歌い終わる頃には、もう喉が結構辛い感じだったけど、あれは曲の入れ方を間違えたのか。 

  

「……ということは、しっかりと順番を守れば歌えるってことですか?」 

「うーん……それでも練習はいると思うけどね。ただ見た感じ、優木君意外と高い声そのものは出るんじゃない?」 

「え? よく分かりましたね」 

  

 先生の言う通り、俺は他の人よりもちょっとだけ高い声を出すことが出来る。 

 とはいえ無理をすればこの前みたいに喉が枯れちゃうから、あまり連発は出来ないんだけど。 

  

 まあね、と呟いた先生は、机の上に肘を置いて手を組む。 

  

「あと嬉しいことを教えると、人間の声帯って下はともかく上にはある程度伸びる傾向にあるんだ。だから今すぐは無理でも、練習を重ねるうちに出る可能性はあると思うよ。そもそもほとんどの人は音楽を聴く経験はあっても歌う経験はないから、喉が出来上がっていないんだ。だから練習するだけで歌声は安定するし、それなりに高い声も出るようになるんじゃないかな」 

「……はぁ」 

  

 一気に説明されて理解しきれていないけど、俺もV系の曲が歌えるようになるかもしれないってことか。 

 というか、それよりも。 

  

「……先生、めっちゃ歌に詳しくないですか? 音楽系の大学出身じゃなかったですよね?」 

  

 記憶が正しければ風見先生は有名な私立大学出身の筈。 

 尋ねてみると、先生は少しだけ微笑んだ。 

  

「実は昔めちゃくちゃ音痴でさ。それで大学の頃、カラオケに通いつめたことがあるんだよ。多いときは平日毎日行ってたかなぁ。……それで色々な曲を歌えるようになったから、ちょっと分かるんだよね」 

「ちょっと……」 

  

 話を聞く限りちょっとどころの騒ぎじゃないと思うんだけど。 

  

「ちなみに……カラオケの採点とかってやったりしますか?」 

「うん、大学の3年生との時くらいに、友達とどうすれば高得点が取れるのか研究したりしたよ」 

「最高点何点ですか?」 

「昔の機種だけど、100点かな」 

「100点!?」 

  

 驚いて声を上げてしまった。 

 そんな点数、当然見たことはないけど、先生は嘘を言っているようには思えなかった。 

  

「まあでも、採点機で高得点が出る歌い方をわざとしないといけないから、その時の歌声は全然上手く聞こえないんだけどね」 

  

 苦笑いをする風見先生を他所に、俺は今ここしかないと思った。 

 まさか先生がここまでカラオケに詳しいなんて思わなかったけど、教えてもらうなら彼しかいない。 

  

「先生、お願いがあります。俺、V系の曲を歌えるようになりたいんです。だから部屋で歌ったりとか、一人でカラオケに行ったりしているんですけど、効果があるか分からなくて……出来れば練習方法、教えてくれませんか?」 

  

 俺の言葉に風見先生は少しだけ瞬きをしたけど、やがて微笑んでくれた。 

  

「いいよ。じゃあ今回はその話をしようか。でもそのプリントは残りをしっかり宿題としてやってきてね」 

「はい、必ずやってきます!」 

「うん、よろしい。じゃあ色々紙に書いていくけど、目標は高いキーが出るようになってV系の曲が歌えるようになる、でいいね?」 

「はい」 

  

 先生は紙に目標を書いてくれる。 

 普段教えるときみたいに紙に書き記して、後で渡してくれるんだろう。 

  

「優木君って、歌は上手いと自分で思う? あぁ、えっと……友達とカラオケとか行くよね? その時に周りと比べて自分がめちゃくちゃ下手だとは思わない? 君のレベルが知りたいんだけど」 

「周りと比べて……ですか?」 

「うん、もし採点を入れたことがあるなら、音程バーをある程度塗りつぶせるとかでもいいんだけど」 

  

 これまで行ったカラオケを思い返す。 

 蓮や東川、クラスメイトと何回か言ったことはあるけど、先生が言うように周りと比べて下手だと思ったことはなかった。 

 それに採点ゲームは俺もしたことがあったし、それなりに音程のバーを塗りつぶすことも出来た筈だ。 

  

「周りと同じくらいには歌えると思います。音程バーも外すこともありますけど、概ね合わせられるかなと」 

「そっか、なら特に問題はないね。だったら高音が出せるようになるような練習だけで良いかもね。それじゃあ今から練習方法を説明しながら書いていくけど、これだけは守って欲しい。もし喉が枯れたりしたら、それ以上練習せずにその日は終わること。そして数日は時間を空けること。いいね?」 

「……それを破ったらどうなりますか?」 

「最悪声が出なくなったり、喉にポリープが出来たりする。そうなったら終わりね。これはかなりマズイことだから、肝に銘じておいて」 

  

 先生の言葉を聞いて、ぞっとした。 

 そして同時に、あのとき止めてくれた嵐山さんに感謝した。 

  

「ちなみに一番いいのはボイストレーニングに通うことなんだけど……」 

「いや、流石にそこまでは……」 

  

 結構高額なのはなんとなく分かるし、お袋に頼むのもちょっとって感じだった。 

 先生は頷くと、色々な事をプリントに書き始める。 

 残りの授業時間を全てかけて、先生は俺用の練習方法を考えてくれた。 

 先生の言っていることは完全には分からなかったけど、この人がかなり歌うことに詳しいっていうのはよく分かった。 

  

 こうして俺は頼もしい先生に教えてもらった練習法を、実践していくことになる。 

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