第37話 授与式
アデルは授与式が始まるまで、アンネリーゼの私室に招かれ、チェスをしていた。ノーラはセレスティアとお茶を楽しみ、三姉妹は池の周りで遊んでいる。ストロスは勲章になど興味がないと、街をぶらついていた。
アデルのいで立ちは王宮で借りたものだ。深い紺色のアフタヌーンドレスは足首丈で、上品な光沢を持つシルク素材、ハイネックの襟元は清楚な印象を与え、長袖は手首で繊細なレースのカフスで締められていた。ウエストラインはやや絞られ、スカート部分はゆったりとしたAラインを描いている。
アンネリーゼは目を細め、温かな笑みを浮かべながら言った。「まったく馬子にも衣裳とはよく言ったものだ」
アデルは戸惑ったが、すぐにアンネリーゼの目に浮かぶ優しさを感じ取り、照れくさそうに微笑んだ。
ドレスの胸元には、控えめな銀糸の刺繍が施され、王国の紋章を思わせる星のモチーフが散りばめられていた。王国の星辰勲章に合わせたデザインだった。
髪は後ろでまとめられた上品なシニヨンスタイル。耳元には小さな真珠のイヤリングが光り、首には母から受け継いだペンダントの代わりとなる、シンプルな銀のネックレスをつけていた。
メイドが選んだ服は全体的に華美な装飾は抑えられているものの、厳粛な授与式に相応しい。
「チェックメイトです、女王陛下、じゃなくて……アンネリーゼ、さ、ま」アデルが言うと、アンネリーゼは軽く溜め息をつく。
「様、もこの部屋ではいらぬと言うに。まあ、よい。しかし、アデルに負けるとは、おぬしも成長したということだな、今回の一件で」
「どうなんでしょうか?でも、わたしたちはみんなで乗り越えたんです、それだけは確かです」
アンネリーゼはチェスの駒を元に戻しながら、ふと顔を上げる。
「そうだな……ところで、アデル。正直に言うと、この後の授与式は堅苦しくてめんどうだ」
「女王がそんなこと言ってはだめですよ」
アデルは軽く叱るように言う。
「そうか?」アンネリーゼが悪戯っぽく笑う。「なあ、魔法で私の分身を作れぬか?」
アデルは即座に首を振る。
「できません」
「つれないな、だがその生真面目さもおまえの魅力だ」アンネリーゼは肩をすくめる。「だったら……数年したら、うちにこないか?宮廷魔術師として受け入れたい」
「えー!」アデルは驚いた表情を浮かべる。「それは……」
その時、ノックの音が聞こえ、侍女が部屋に入ってくる。
「陛下、アデル様、授与式の準備が整いました」
アンネリーゼは深呼吸をし、背筋を伸ばす。その姿勢から、先ほどまでのくだけた雰囲気が一瞬で消え去り、威厳ある女王の風格が漂い始める。
「行きましょう、アデル」
彼女の声音までも、二重人格ではないかと疑うほどに。
アデルは依然としてこのような場に緊張を覚えたが、周りを見回す余裕を持てるようにはなっていた。優雅にアンネリーゼの後に続く。
(すごい...これが本当の女王の姿なんだ)アデルは心の中でつぶやいた。そして、さきほどの女王の誘いを反芻した。
「わたしが宮廷魔術師……考えもしなかった。そうだ!もし実現したら、ヒルデたちの指導もできるかもしれない。新しい生徒とも出会えるかも!」
と、期待に胸を膨らませながら会場へ向かった。
「アデル・バウムガルトナー」アンネリーゼの声が響く。「汝の勇気と知恵、そして仲間との絆によって我が国を救いし功績を称え、ここに星辰勲章を授与する」
アンネリーゼが星の軌道がデザインされた星辰勲章をアデルの胸に付ける瞬間、彼女にはこみ上げるものがあった。父親との窮屈な生活、自由への憧れ、喪失、ノーラたちとの出会い、そうしたものが全部押し寄せ、目頭が熱くなり、涙を堪えるのが大変だった。
会場を見渡すと、エレオノーラとセレスティアが勲章を受け取り、女王にかしずき、手の甲にキスをする。天使と悪魔の令嬢が人間の女王に頭を下げる、それがどれほどの大きな変化かここにいる誰も、今は気づいていなかった。
ヒルデは照れて頭を掻き、エマはすまし顔、クララは女王と抱き合い、会場を沸かせた。
(ここからが、本当の始まりなのね)、アデルは拳を強く握り、静かに誓った。
授与式の後の食事会。宴会場の中央には、豪華な長テーブルが置かれていた。白い麻のテーブルクロスが敷かれ、その上に銀製のキャンドルスタンドや、繊細な模様が施された中央装飾台に何本ものキャンドルが灯され、宴の華やかさを演出している。
テーブルの中央、最も名誉ある位置にアンネリーゼ女王が座している。その右隣にはアデルが、左隣にはノーラが配置された。ノーラの隣にはセレスティアが、アデルの隣に、三姉妹と続いた。レオンは残念ながら、女王の警備に当たっている。
大きな銀の盆には、ローストした仔牛の肉が香ばしく並べられ、その隣には新鮮なサーモンのハーブ焼きが置かれていた。他にも、季節の根菜のロースト、そしてさまざまな葉物を使った彩り豊かなサラダが用意されていた。デザートには、蜂蜜とナッツをたっぷり使ったペストリー。
ノーラはワインの入ったグラスを手に、セレスティアに近づいた。
「ねえ、セレスティア。あなたもひと口どう?」ノーラが微笑みながら言った。
セレスティアは少し戸惑った表情を浮かべる。「私は……お酒は飲まないんです。どうせクソ真面目な天使とでも言うんでしょ」
「もう、そうゆう自虐はやめなさいよ。でも、ほら、こんな特別な日だもの。ちょっとだけなら平気よ、誰も見てないんだし」
ノーラが甘く誘う。
セレスティアは迷った末、小さく頷いた。
「では……ほんの少しだけ」
ノーラはにっこり笑い、セレスティアのグラスにワインを注いだ。
「ちょ、入れすぎよ!」
「たまには羽を伸ばすのもいいでしょ?まあ、あなたの場合、本当に羽が伸びるんだけどね」
セレスティアは思わず笑みがこぼれ、軽く肩をすくめた。
「まあ、ノーラったら」
二人は乾杯し、和やかな雰囲気の中で会話を続けた。
「おいしい!」
セレスティアがワインの味に感嘆し、おかわりをねだる。
「ふーん、けっこうイケる口なのね。これで帰りに飛んで帰ることはできなくなったわね」
ほろ酔い気分のふたりのところに、突然純白のスーツを着た、年の頃二十歳くらいの男性が現れた。海のように深い青の瞳、流れる金髪、逞しい長身。会場の女性の視線は釘付けである。
「セレスティア様、よろしけばダンスを申し込みたいのですが」
手を差し出す男性。
「ご、ごめんなさい、生憎、ダンスの心得がないもので……」
セレスティアが相手の顔を見ると、驚愕し、ワイングラスを落としてしまう。白いテーブルクロスに赤ワインが広がっていく。
「ガブリエル……お兄様、なんで」
セレスティアの声が恐れに震えている。
彼はまるで光そのものが人の形を取ったかのようだった。ノーラたち悪魔にとっても最も恐れるべき相手の一人であり、また同時に畏敬の念を抱かせる。悪魔界では絵本の中に出てくるほどの人物だ。
「まさか……大天使ガブリエル、ここに現れるなんて」
ノーラは小声で呟いた。彼女は状況をすぐさま理解し、傍観する。セレスティアもまたノーラと同じで偉大な血族と、自分の間で揺れていたのだ。種族は違えどもそこは何も変わらない思春期の悩みであった。
ガブリエルは厳しい眼差しでセレスティアを見つめる。
「我が妹セレスティアよ、これはどういうことだ。酒に酔い、悪魔と手を結ぶとは、お前は堕天する気なのか!」
セレスティアは言葉に窮し、我を忘れている。アンネリーゼは異変に気付き、立ち上がったが、ノーラが制止する。「ここはまかせて」と。
「お兄様、初めまして。わたくしはエレオノーラ・フォン・リッツェンシュタインと申します。セレスティアは気分がすぐれないようなので、代わりにお相手してくださる」
ノーラが差し出して手に、ガブリエルは、はじめ難色を示したが、「あなたも騒ぎにはしたくないでしょう」という彼女のささやきで、ようやく彼女の手をとった。
ふたりは会場の喧騒を逃れ、バルコニーに出た。大きな満月がはっきり出た今宵、悪魔界の令嬢と大天使は、互いの胸の内を探りながら、グラスをぶつけた。
「ずいぶん厳しいお兄様なのね。セレスティア、かわしそうに、泣いていたわ」
ガブリエルは小さくため息をつく。
「立場上、あそこまでは言わねばならなかった。実は、妹の行動はずっと見ていたんだ。だから君のこともおおよそ知っている」
ノーラは驚いた表情を見せる。
「妹の成長を感じたよ。君たちのおかげだろう」ガブリエルは続ける。「実は私も外交の中で、悪魔と付き合うことがある。話せる悪魔もいるんだ」
ノーラは興味深そうに聞いている。
「あら、意外!悪魔に恐れられる大天使様が、そのような発言をしていいのかしら」
「天使の中にもいけ好かない奴はいる。今だ元老院は、悪魔を滅ぼすべきだと考えているがね。多様性は大事だ。私の意見はまだ少数派なのさ」
ガブリエルは手を差し出し、握手を求めた。ノーラは素直に握り返した。力強い握手だ。
「妹はいい友人を持てたと思う」
ガブリエルは微笑んで言った。
ノーラは少し驚いた表情を見せつつ、頷く。
「そう言ってもらえると嬉しいわ。私たちも、セレスティアがいてくれて助かっています」
「祝いの席を汚してしまい申し訳ない。これからも妹をよろしく頼む」
ノーラは微笑み、グラスを掲げる。
「人間界の月見もいいものでしょう」
二人が乾杯する。
「確かに美しい。だが君ほどじゃない」
ガブリエルがエレオノーラにウィンクした。
(とんだ女たらしじゃない!あとでセレスティアにチクってやる)
会場に戻ると、ガブリエルは項垂れるセレスティアを改めて舞踏に誘った。
ぎこちないステップで踊る兄妹を見て、ノーラとアデル、アンネリーゼはやっと安心して料理に舌鼓を打てた。
宴会が終わり、一行は懐かしきヒルデ邸への夜道を歩いていた。月明かりに照らされた石畳の上で、それぞれが受け取った褒美について話し合っていた。
ヒルデが誇らしげに胸を張る。「とうとう家も子爵かあ。父上もきっと喜んだろうに……これで民が戻ってくれば、荒れた田畑も蘇るかも」
「立派な目標ね、大地主になるのも遠い話じゃないわね」
とアデルが褒めた。
エマとクララは興奮気味に話す。
「私たちには王女様の孤児院でのお仕事をいただいたの!」
「子供たちに魔法を教えられるなんて、夢みたい」クララが付け加える。
アデルは少し照れくさそうに言う。
「私は王宮の図書館を自由に使えるようになったわ。その代わり、アンネリーゼとのチェスの相手をすることになったけど」と苦笑する。
「まあ、ずいぶん控えめな願いね。あなたらしい」
ノーラが笑う。
「私は人間界と悪魔界の自由な往来を許可されたわ。これで好きな時に皆に会いに来られるってわけ」
セレスティアはまだ少し困惑した表情で言う。
「私は……天界と人間界の架け橋になるよう命じられたわ。正直、まだどうすればいいか分からないけど……」
ノーラが優しく肩を抱く。
「大丈夫よ、私たちがいるじゃない。一緒に考えましょう」
アデルが笑顔で言う。
「そうです、みんなで力を合わせれば、きっと新しい時代を作れます」
「あ、それと」とノーラが付け加える。「私たち全員、レオンさんの剣技のトレーニングを受けることになったわ。今後の任務で危険になった時に、魔法に頼らずに自分を守れるようにね。ビシバシいくって息巻いていたわよ」
「ちょっとノーラ姉さん、いい気分に水を差さないでくれよお」とヒルデが愚痴る。
「あとはレオンさんがアンネリーゼ様にプロポーズするだけですね」とアデル。
月明かりの下、彼女たちの笑い声が静かな夜道に響く。それぞれの未来への期待と、共に歩んでいく決意が、夜空の星のように輝いていた。
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