第28話 人間と悪魔と天使と

 アンネリーゼを抱えたアデルがそっと地上に着地すると、すぐに衛兵の群れが包囲し、槍をつき出した。

「女王陛下から、離れろ!妖術を使う魔女め」

 ノーラやヒルデたちは包囲網に飛び込み、戸惑うアデルの前で武器を構えた。

「そこまでだ!兵よ、我が命の恩人に刃を向けるとは何事だ、下がれ!」

 アンネリーゼはアデルの腕の中で、静かに片手を上げた。白く細い指が空を切る。その軌跡はまるで一陣の風のようにその場を静寂にした。

「もうよいぞ、少女よ、降ろせ」

 アンネリーゼはアデルの手を握って立つ。アデルより身長の低い彼女はまるで妹のようだったが、その振舞いははるかに大人びている。

「この者たちを、労い、城に招待する。衛兵長、お前たちは現場検証と、犯人の追跡を直ちにするのだ。レオン、おまえは私の傍に待機しろ、何をぼうっとしている、しっかりしろ!」

 レオンは動揺からハッと我に返り、硬い鎧をわずかに音を立て、片膝を地につけた。厳格な表情を崩さぬまま、彼は深くこうべを垂れた。鋭く整った顎が胸当てに触れるほどまでに頭を下げ、金色の刺繍が施されたマントがゆっくりと床に広がる。

 彼は王女を守れなかった後悔と、見知らぬ少女への感謝で、冷静さを保つことは困難だった。レオンは恥を感じ、まるでその場に根を張ったかのように静止したまま、ただ彼女の次の言葉を待った。


 アンネリーゼはなぜか、アデルの手を放そうとせず、彼女は困って苦笑いをした。ノーラを振り返り、視線で助けを求めると、彼女はウィンクを寄こすだけだった。無理やり離すことも憚られたし、そのうち、手の平が汗ばんできて恥ずかしくなってくる始末。

 後ろを歩く、ノーラたち一行には、へレーネ、ベルティーユ、ストロスにステラたちもずらずらと加わり、城内の者たちから奇異でぶしつけな視線を向けられた。

 「あら、素敵」とベルティーユが廊下の彫刻を触ろうとし、「いくらになるかな?」と物色するステラとルナ。「ちょっとお、悪魔の品位が疑われるから、やめなさい」とノーラが戒める。

 

 アデルは病の床に臥されている王の部屋に案内され、そこで前任の王に紹介された。彼は瘦せ衰え、声は小さく生気がない。

「このような病床にてのご挨拶を許してほしい。あなたの父上であるヴァルター・バウムガルトナーには、かつてお会いしたことがある。残念だったが彼も、こうして娘であるアデルハイト嬢が立派に成長した姿を見て、さぞ喜んでいるだろう。私の娘をお助けいただき、心より感謝申し上げる」

「なんだ、おまえの家は、我が家と知り合いなのか?」

「アンネリーゼ、おまえとはなんだね、彼女にはアデルハイトさん、という名前があるのだ。すまないな、私の教育が行き届かないばかりに」

 アデルは早くここから出たいとばかり願った。

「いいえ、父が大司教だったからだけです。私は城に入ることさえ、初めてです」

「そうか、君の父上は大司教だったのか。それなら、私も失礼を詫びるべきだろう。城の中に入るのが初めてとのこと、緊張するのも無理はないな」

 女王がアデルの背中を叩く。

 アデルは、この子は爆死する寸前だったのに、それがなかったかのような振る舞いだ。その豪胆さに驚かされた。

「いえ、お気遣いありがとうございます。父のことは、もう過去のことですから。それよりも王女殿下が無事で……」

「それだ、アデルハイト?いや、アデルお姉ちゃんと呼ぼう」

 (勘弁して、ヒルデやエマ、クララとどんどん妹が増えちゃう!お姉ちゃんみたいにしっかり者じゃないのに!)

「女王陛下、それは周りが誤解しますので、アデルハイトと呼びつけてください」

「それは無理だ。そんなことより、わたしを助けたときに使った術はあれはなんだ。くわしく聞きたい!わたしの部屋にこい」

 アデルの笑顔がだんだん引きつってくる。

 部屋の前には当然、守衛が立っている。女王は部屋に入るが、アデル達は槍によって十字に足止めされた。「すまぬな、決まりでな」アンネリーゼが詫びる。兵士たちは整然とした動きでアデルたちに近づいた。彼らの態度には一切の無駄がなく、規律正しさが漂っていた。

「申し訳ありません、アデルハイト様ご一行。安全確保のため、規則に従ってボディチェックを行います。」兵士の一人が、無機質に言った。

 兵士たちはまず、アデルの上着を軽く押し広げ、ポケットの中を確認し始めた。次に、彼女の衣服の下に隠れている物がないか、慎重に調べる。

「この楽器は預からせていただきます。お帰りの際、返却いたしますので」

「あの、それは王女様に見せるための……」仕方ない、とりあえず渡しておこう。

 アデルは内心で深呼吸し、できるだけ冷静を保とうとした。後ろを見ると、ルナとステラが不機嫌な顔で守衛を睨んでいた。ルナは小さく拳を握り、ステラは眉間に皺を寄せてじっと見ている。二人の態度には、明らかに不満や抵抗の気配が感じられる。察したベルティーユは、ふたりのバッグの中の武器を自分の広い縁の帽子の底に隠した。

「ナイス、ベルティーユ!」ノーラが親指を立てる。ベルティーユは喜んだ。

 ふたりの衣装はボディラインが出ている煽情的なドレス。守衛の男心をもて遊び、ルナとステラは、「今、尻触っただろう、慰謝料な」「やーん、腰つかまれて、どうなっちゃうの」とひと悶着起こさずにはいられないようで、守衛を困らせ、どぎまぎさせた。

 なんとかボディチェックを終え、女王の私室に入ることができた。 

 王女殿下改め、女王陛下アンネリーゼの私室は、まるで幻想の中に迷い込んだかのような神秘的な空間だった。まず飛び込んでくるのは、画家によって描かれたその天井画。星座や天体が精緻に再現されており、部屋全体の空間深度を大きく拡張している。銀色と金色で描かれた星座や流星が輝き、まるで本物の夜空がそのまま映し出されているかのようだ。中央には、特に目を引く巨大な天の川銀河が描かれており、その周りには幾何学的なパターンや魔法の符号が織り交ぜられている。他にも黒い羽の生えた幻想的な肖像画が、ノーラの正体を見たらさぞ喜ぶだろう。また、大きな四柱式のベッドが鎮座し、その上には漠然とした漠から垂れ下がる深紅の天蓋がかけられている。ベッドの周りには、黒いレースや金糸で装飾されたカーテンが取り囲み、まるで妖女が寝ているかのような色気が漂う雰囲気だ。

「すごーい」「綺麗……」と皆から感嘆の声が漏れる。

「さすが女王、格が違うわ」とノーラも認める。

 部屋の一角には、古びた大きな書棚があり、そこにはさまざまな魔法書やオカルトに関する書物がぎっしりと並べられている。収集癖も身分故、相当なものだ。他国の希少本も混じっている。書棚の前には、重厚な木製の机が置かれ、その上には古代の魔法具や奇妙な形状の神具が雑然と並べられている。そこは彼女の好奇心と知識欲が満たされる空間だった。

 アデルは机の上に数式の本を見つけ、女王に質問する。

「数学もお好きなんですか」

「ああ、魔法や、星座の動きを理解するには、数論が必須だからな。アデルお姉ちゃんも、数学に興味があるのか」

「はい!大好きです」

「アデルお姉ちゃん!?」

 ヒルデとエマ、クララが素っ頓狂な声で驚く。どうやら、アデルお姉ちゃんと呼ぶ特権があるのは、自分たちだけと思っているらしい。

「どうゆうことですか?」エマが問いつめる。

「ちょっと待て、アデルお姉ちゃんがお姉ちゃんなら、あたしも、女王様から、ヒルデお姉ちゃん、って呼ばれてもいいのでは?」とヒルデが意味不明な理屈を言う。

 女王はお気に入りの椅子に座り、皆の様子を眺めて楽しんだ。椅子の背もたれは高く、優雅な曲線を描いており、浜辺で収集した貝殻がいたるところにあしらわれている。薄い光沢あるカピス貝が縁を優雅に彩り、角には大きなアカホシ貝の螺旋模様がある。座面は深紅のベルベットで覆われており、座るとまるで雲の上にいるかのような柔らかさで王女を支える。

「レオン、眼帯を持ってきてくれ」

 はっ、と短くも歯切れの良い返事。調子が戻ってきたかと、アンネは安心した。眼帯は手触りの良い牛革でできており、長時間の着用にも耐えうる頑丈さがあり、王女が依頼した細かな刺繍には職人魂がこもっている。慎重に王女のもとに歩み寄り、丁寧に差し出す。

「王女殿下、眼帯の装着をお手伝い致します」

 うむ、と鷹揚に頷き、レオンに任せる。威厳を漂わせながら、目を閉じて静かに待つ。アデル達はその様子を固唾を飲んで見守った。レオンが女王の髪をかき上げ、眼帯の紐をしばる光景には、なにか他人を寄せ付けぬ親密さがあった。レオンは皆の視線を一身に感じ、耳まで赤くなった。

 レオンは装着すると、手鏡を渡し、彼女は装着具合を確認した。そして、満足した顔でアデル達に向き直った。

「さて、我が魔眼は今回の顛末を見ていた。わたしがバルコニーに出なければよかったと思うであろう。しかし、こうしてアデルお姉ちゃんが助けてくれて、今こうして無事にいる。これが意味するところはなんだ?、レオン」

「はっ、軽卒なわたくしめには見当もつきません」

「魔眼ですって!?」

 ノーラたち悪魔は全員驚き、彼女の眼帯を見つめている。それもそのはず、悪魔で魔眼持ちは確かにいる。未来を見通す力、災害を予告する力、病気を見抜く力など。それは大公爵や皇帝、または魔王のような最上位の悪魔にしか持てない能力だ。ノーラではせいぜい短時間の催眠術が精いっぱい。それが人間に……!?

 ノーラとベルティーユは小声で相談し、女王にお願いしてみた。

「アンネリーゼ女王陛下、もしよろしければ魔眼への謁見をお許し願えますか」

 城の者はだれも魔眼に興味を持たない女王からしてみると、真剣な顔で魔眼を見たいと言ってくるノーラたちに彼女は気を良くした。わかっているのだ、女王とて、自分の魔眼が偽物であることを、しかし、偽物も真と言い続けることで、本物になると信じたかった。

「うむ、特別だぞ。だが、気を付けるが良い、深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」

「その……エレオノーラ様、実は」

 レオンが口を挟むが、女王はそれを制し、眼帯をめくった。そこには普通の眼球があるだけであった。覗き込んだふたりは、どう答えるのが正解か迷って、頭を抱えた。

 その時、部屋の扉が開き、言葉通り天の助けが来た。守衛が止めに入るも、それを見えない壁で退け、セレスティアが乱入してきた。

「離れなさい、そこの悪魔たち!女王様をたぶらかしているわね。もう、大丈夫ですよ、この天使ガブリエルの妹、セレスティアが来たからには」

「天使!」悪魔たちは一斉に上擦った声を上げ、直ちに臨戦態勢に入った。

 冷静沈着なレオンもさすがに理解が及ばず、セレスティアなる天使と、エレオノーラなる悪魔、どちらが真のことを言っているのかわからず、出方を見る。女王が仕組んだ寸劇だろうか、とさえ思った。

 セレスティアは、不可視化した羽から、羽毛を二枚とると、両手に鋭いスピアが出現した。

「おまえ、イカレてるぜ。ここでやろってのか、こっちは六人だぜ」ルナが呆れた。

 ノーラ、へレーネ、ベルティーユ、ストロス、ルナ、ステラがいる。

 ノーラは「仕方がない」と青い稲妻の剣を作り、構えた。へレーネも隠し持った日本刀に手を添え、ノーラの前に出た。

「お下がりください、女王陛下」

 ノーラが問う。

「どうゆうつもり?私たちは女王様に危害を加える気はないし、あなたと事を構える気もない」

「白々しい。さすが嘘をつくのがうまいのね」

 セレスティアは構えを崩さない。

「どうしてもというのなら、仕方がない。あなたが売った喧嘩よ、どうなっても後悔しないでよね」

「レオン、剣を抜け!」

 二人の剣が衝突するとき、女王がレオンに命ずる。

 電光石火の勢いでティアとノーラの間に剣を入れ、勢いの方向をいなした。弾かれた二人が驚く。

「天使殿、と言っていいでしょうか。なにか誤解があるようです。この方たちには、女王陛下の命を救っていただいたのです。このまま続けるのでしたら、容赦しません。どうか、剣を納め、お話し合いを……」

 天使は息を荒くし、ノーラから視線を反らさずに答えた。

「話し合いは、こやつらを排除してからです」

 アンネリーゼ女王の怒号が飛ぶ。

「いいかげんにしろ!天使かなんだか知らぬが、おぬしが天使なら、そんな天使は御免被る。茶会を台無しにしおって。わたしは悪魔のエレオノーラたちに加勢するぞ」

 アンネリーゼは、模造品の魔法の杖でドンと床を打ち、天使を黙らせた。セレスティアは女王のセリフがよほど効いたのか、「そんな……」と、その場でへなへなと崩れ落ちた。

 

 そして今、ローテーブルの周りには、人間アンネリーゼ、悪魔エレオノーラ、天使セレスティアが席に着き、茶会を催している。

 セレスティアは仏頂面で座ってお茶を啜る。黄金色の天使の輪が頭上に浮き、背中には純白の羽。夏空を思わせる紺碧色の目の片方が光っている。

「この目が偽りを見抜きますからね、嘘はつけませんよ」

 エレオノーラも正直に自分の本来の姿を晒す。カラスのような艶のある鋭い羽。鋭い爪と牙、羊の巻角。ノーラも眼光を赤く光らせ、心を覗かれないように防御を張った。

「黙っていれば、かわいらしいお嬢ちゃんなのに、天使だなんて残念」

 ノーラは優雅にカップに口をつけ、相手にしない。

「子供扱いしないでくれる。身長だって、去年より3センチ伸びたんですから」

 レオンやアデル達も、口出しできず、見守っていた。

「たしかに、そこの魔女には感謝しているわ」

「そこの魔女?アデルハイト、アデルと言うの」

 ノーラがぴしゃりと釘を刺す。

「ご、ごめんなさい。アデルハイトさんがいなかったら、アンネリーゼ女王は死んでいました。ありがとうございました」

 頭を下げる天使にアデルは手を振って恐縮した。

「そんな、ただ必死だっただけです。あの場所じゃなかったら間に合いませんでした」

「しかし、解せぬな。何でわたしが死ぬと、天使の、そうセレスティア殿がこまるのだ?」

 セレスティアは言うべきか迷った。目的は対象との絆の中で自然と気づくべきで、事前に伝えるのは未来そのものに影響を与えかねない。しかし、このままではこの風変わりな女王は納得しないだろうし、強制的に彼女の人格を奪えば、それは悪魔の所業と変わらない。彼女は慎重に、しかし力強く語り始めた。

「私たち天使には、人類の歴史を導く重要な使命があります。時として、歴史に名を残すべき英雄や偉人と融合し、人類の運命を調停する役割を担うのです。その過程で、我々は人類の発展に寄与し、時に危機から救うこともあります」

 アンネリーゼの表情が引き締まった。ノーラは興味深そうに耳を傾け、アデルは息を呑んだ。

 セレスティアは続けた。

「アンネリーゼ様、あなたにはその可能性があると見ています。だからこそ、私はあなたと融合し、共にこの国と世界の未来を導きたいのです」

 アンネリーゼは一瞬目を閉じ、ゆっくりと口を開いた。

「セレスティア、あなたの言葉はよくわかった。しかし、そう簡単に承諾するわけにはいかない。私にはまだ、自分の力で成し遂げたいことがあるのだ」

「もちろんです、常に人間の自由意志を尊重致します」

 ノーラが冷ややかな笑みを浮かべる。

「ふーん、神は人間に干渉しないと言いながら、陰でそんなことをしていたのね。アンネリーゼ女王陛下、簡単に操られてはなりません」

 アンネリーゼは真剣な表情で続けた。

「ああ、どちらの意見も留意しておこう。でだな、今この国には大きな問題がある。ブルーローズという幻覚を見せる中毒性のある薬が貴族の中に広まっている。これは看過できん」

「女王陛下、それについては我々も追っております。実は恥ずかしながら、悪魔界の者が首謀者であります。まだその背後の組織まではたどり着けておりません。こちら側の教会内部の聖職者が手引きしている模様」

 ノーラが大人びた外交モードで状況を報告する。

「そんな!私たちを支持する信徒がそのようなことをするわけ……」

 天使は口を両手で覆い、大げさに動揺した。

「セレスティアよ、残念だが聖職者も所詮は人間なのだ。嘘もつけば、欲もある。王宮にいれば、嫌でも色々な噂が耳に入ってくる。だからもし、私を補佐したいのであれば、人間をもっと勉強することだ。でなければ歴史の調停などできぬぞ」

 俯いて涙を浮かべるセレスティアにアデルが跪き、声をかける。

「天使様、私は大司教の娘です。父は悪魔に操られ、命を落としました。神のお導きか、今はノーラに師事し、魔女をしています。悪魔も人間と同じく、善なる者と悪を成す者がいます。だから悪魔だからと、嫌わないでほしいのです。すみません、私ごときが生意気言って」

「アデル姉さま、素敵です」とクララが感銘を受けている。

 アンネリーゼは腕を組み、鷹揚に頷く。

「その通りだ、こうして人間と天使と悪魔が一堂に介したのには大きな意味がある。三国、いや三界同盟を結ばぬか。相手が悪魔では我が兵の手には負えない。悪魔であるエレオノーラ嬢と、それに対抗してきたセレスティア殿が手を組んで、解決すればそれは歴史的快挙であろう!」

 アンネリーゼはドヤ顔で小さな胸を張り、足を組んだ。

「ちょ、ちょっと待ってください!私が悪魔と行動を共にするのですか、女王?え、何か問題でも、みたいな顔しないでください!」

「セレスティア、おまえは教義で、差別なき平等を説きながら、自分ではそれに反する行動をとっておる。気づかぬのか?それに働き次第によっては、融合とやらも考えてやってもいい」

 あたふたしているセレスティアを、顎に手を添えて余裕の笑みを見せるエレオノーラが見下ろしている。「女王陛下、これは仕事ということでよろしいですか。では、調査資金と報酬もございますね。ヒルデ、エマやクララたちは育ち盛りの年齢です。かわいそうに、両親を亡くし、それでも姉妹で力を合わせて生活しております」

 ノーラは芝居がかった憐憫を誘う演技をする。

「もちろんだ、約束しよう。私が動かせる私的財産があるからな。だが、公式の部隊として任命することはできない。ここで交わされる約束は隠密でなければならず、あくまでわたし直属の私設部隊とする。それでもいいか」

 皆はノーラに倣い、片膝をついて、忠誠を捧げるポーズをとった。セレスティアが遅れて、腰を低くする。

「歴史の表舞台に立たぬ同盟だが、ゆえに形は大事だ。ちょっと待て……」

 女王の羽ペンが上質の羊皮紙に走る音が静かに響く。書面に記された文言は、歴史の裏側でしか知られぬ盟約の証として、決して消えることのない運命を示していた。彼女の細やかな手が最後の一行を書き終え、厳粛な空気が場を包む。

「これで、全てが揃った」

 女王は書面を見つめ、満足げに頷く。

『序文:

この契約は、人間、悪魔、天使の三界の代表が、共通の敵に立ち向かうために結ばれるものである。これにより、三界は互いに手を取り合い、力を合わせ、全ての悪を打倒し、世界に平和と秩序を取り戻すことを誓う。

 

条項:

一、三界の盟約者は、互いの存在を尊重し、その領土、文化、信仰を侵さぬこと。

一、各界は、自らの力を惜しまず提供し、共通の敵に対して一致団結して立ち向かうこと。

一、盟約の下に結ばれた力は、いかなる場合においても、誓いを破ることなく維持されること。

一、もしもこの誓いが破られた場合、裏切り者は三界全ての怒りを受ける覚悟を持つべし。


結び:

我ら三界の代表は、この誓いを神聖なる血の印によって封印し、永遠の契約とする。』


 契約書を読み上げた後、女王が「この契約を不可侵のものとするために、あなた方の血による署名を求めます」と言う。

 エレオノーラが自らの爪で指先に傷をつけ、人間よりも黒い血でサインをした。セレスティアは自らの羽の先端で傷をつける。その傷口から光が漏れる。最後にアンネリーゼはまだ柔らかい小さな指に儀式刃を入れ、赤い血を見せた。こうして三つの血の署名が並んだ。三者三様の血が契約書に交わる。漆黒の闇、聖なる光、真紅の生命。それらが一つになった時、部屋中に神聖な気配が満ちる。

 セレスティアは、驚いていた。今しがたまで言い争いをしていた、異種族をまとめ上げ、同盟まで結ばせてしまった。アンネリーゼは無自覚かもしれないが、カリスマ性はこの歳で、他の英雄と比べても群を抜いている。そして、悪魔や天使をも受け入れる寛容性。その末恐ろしさに震え、また喜んだ。

「よろしく、セレスティア。改めて、エレオノーラよ。ノーラと」

 ノーラが握手を求め、手を差し出した。

「お手柔らかに。セレスティアよ。ティアでいいわ」

「では、わたしは女王陛下ではなく、同盟の下ではアンネと呼ぶように。これは命令だぞ」

 アンネは二人の握手に自分の手を重ねた。

 その光景に、アデル達、レオンも感動し、自然と拍手が広がった。 



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