第24話 メロマギア

 森での野犬の襲来を思い出し、アデルは自分の魔法が、このままでは駄目だと思った。まず発動までの時間を短縮したい。庭でゆっくりやる分にはうまくいく。だが今後の状況を鑑みるに、獣ではなく、より敵意をもった相手と対峙する可能性が高い。のろまな自分には高速詠唱魔法は難しいし、焦っている状況では必ず失敗する。もっと早く、確実に魔法を発動させるにはどうしたらいいか。得意の数学が何か役立たないかと、アデルは知恵熱を出しながら、自室にこもっていた。

 アデルは目を細めて、オイルランプの揺らめく光の下で古い魔法書に顔を近づけた。文字がぼやけて見える。彼女は思わずため息をつく。

「ああ、もう、目が疲れる……もしかして、わたしっておばあちゃんなのかな?」

 アデルは目の間を揉んだりした。その時、ノックの音が聞こえた。

「アデル、入っていい?」ノーラの声だ。

「ええ、どうぞ」

 入ってきて、しかめっつらのアデルを見てノーラは呆れた。

「また、お勉強?偉いけど、そんなに暗いところで読んでたら、もっと目が悪くなるわよ。知ってるんだから、遠くをよく見えないでしょ。だから魔弾の命中率もヒルデに負けるのよ」

「だって、仕方ないじゃない。どうせわたしはおばあちゃんですよ」

 アデルは拗ねて見せた。ノーラはクスクスと笑った。

「じゃーん!そんなアデルおばあちゃんのために、いいものを持ってきました!」

 ノーラが長方形の小箱を両手でアデルに差し出した。綺麗な朱色の箱に花が描いてある。

「え、なにが入っているの?わたしに贈り物?誕生日でもないのに」

「そうよ、いいから早く開けてみなさい」ノーラは微笑みながら言った。

 アデルは好奇心に目を輝かせる。そっと箱を開けると、中から奇妙な形の物体が現れた。

「これは……眼鏡?でも、わたしたちのモノクル(単眼鏡)とは随分違うわ」

「そう、これは悪魔界の眼鏡よ。両目用で、しかも手を使わずに済むの。ストロスも愛用しているでしょ。彼女があなたの目が悪いんじゃないかって教えてくれたの。ごめんね、もっと早く気づいていれば」

「ううん、そんなことないわ。見える世界が当たり前だって思って、生活してたから」

「さっ、さっ、かけてごらんなさいな」ノーラが促す。

「どうやって……?」

「こうするのよ」ノーラが畳まれた眼鏡を広げる。

 ノーラが優しくアデルの背後から手を取り、耳に眼鏡の弦を引っかけた。

 突然、世界が鮮明に見えた。アデルは息を呑む。振り返り、ノーラの顔を見る。

「ノーラ、いつもより綺麗……」

「なによそれ、褒めてないじゃない」

 アデルは部屋をくるくる回りながら、あまりの衝撃にめまいを覚える。ベッドに倒れこみ、天井を仰ぐ。そこへノーラが手鏡を差し出した。自分の目を囲う黒眼鏡のフレームがインクで描いたように見えて、笑ってしまった。

「変なかおー、ははっ」アデルは腹を抱えて笑った。

「あら、かわいらしいわよ」

「一生大事にするわ、ノーラ」アデルは鏡を覗き込みながら言った。

「壊れるものよ。そしたらまた買えばいいわ」

「とにかく、すばらしいわ。ありがとうノーラ、愛してる!」

 アデルはノーラに抱き着いて、ベッドに倒した。ノーラは優しくアデルの髪を撫でる。

 ひとりになり、アデルは魔法書を再び見てみた。鮮明な文字、やる気全開。

「ほどほどにしなさいよ」

 その背中にノーラがささやいた。

 その夜、遅くまでアデルの部屋は光がついていた。

 

 その日から、アデルは机に向かい、新しい眼鏡越しに新しい魔法システムを作るべく、魔法書を睨んでいた。羽ペンが羊皮紙の上を滑るように動き、複雑な呪文が徐々に数式へと姿を変えては消され、また書かれていく。

「'イグニス'は火の要素だから……これをx変数とする。'スフィア'は形状……f(x)関数で表現できるはず、うん、ここまではいい」

 彼女は熱心に書き続けた。やがて、一つの火球呪文が簡潔な数式として羊皮紙の上に現れた。

『f(x) = Ae^x * sin(πx/2)』

 アデルは数式を書いた紙を目の前に掲げ、満足げに微笑んだ。が、すぐに眉をひそめた。

「でも……これは魔法を記号に当てはめただけ。この数式をどうやって素早く詠唱に変換するか……」

 その時、隣の部屋からクララのリュート(ギターの先祖)の音色が聞こえてきた。優しく澄んだ音が空気を震わせる。この時が初めてではない。クララは出会う前から、病弱ゆえ、リュートを趣味とし、部屋で楽器の習熟に時間を費やしていたのだ。綺麗なメロディが疲れた頭をリフレッシュしてくれた。

 アデルはメロディを口ずさみながら耳を傾けた。音階の上昇下降、和音の変化、転調……突然、彼女の目が大きく開いた。

「まさか……」

 彼女は急いで新しい羊皮紙を取り出し、リュートの音を聴きながら何かを書き始めた。

「A の部分は低い音、e^x の上昇は音階の上昇……sin の部分は波のような旋律……」

 音符と数式が交互に並んでいく。

「これだわ!魔法の公式を楽曲に転換できるかも!」

 興奮に顔を赤らめたアデルは、椅子から飛び上がり、クララの部屋へと駆け出した。勢いよくドアを開けたものだから、クララはリュートの音がアデルの気に障ったのかと思い、「ごめんなさい」と怒られると思って、怯えた。

「クララ!大変なことに気がついたの!複雑な呪文を覚える代わりに、メロディを奏でるだけで魔法が発動できるかも!」


「リュートを持ってきて!」 

 アデルはクララの手を引いて、中庭に出た。噴水のふちにクララを座らせて、アデルは羊皮紙に向かい、ペンを走らせた。クイッっと眼鏡を指で眼鏡を上げる仕草が様になってきた。

『CopyDEF 火球 = 火(3) + 飛翔(2)

IF 距離 < 5 THEN

SET 火力 = 4

ELSE

SET 火力 = 2

END IF

CAST 火球(火力)』

「これはね、ノーラから習った火球魔法の詠唱を数学的記号に置き換えたものなの。古代ギリシャの数学用語で『プログリム』といって、前もって準備したもの、という意味」

 アデルは人差し指を立て、あごを上げて、満足げにつぶやいた。

 クララはきょとんとした顔で「どうゆうこと?」と訴えている。そしてとりあえずコクンと頷いて見せた。アデルは彼女が理解したものとし、続けた。

「魔法を単純な命令に分解して、もっと簡単にできるようにしたの。でも、これだとただの文字でしょ。それで音楽を利用しようと思ったのよ」

 クララは好奇心に満ちた目でアデルの書いたものを覗き込んだ。

「これが新しい魔法なの?でも、これをどうやって音楽に変換するの?」

 アデルは微笑んだ。

「そこが『メロマギア』の醍醐味よ。あ、メロマギアっていうのは私が考えた名前なの。"melo" は旋律、"magia" は魔法を意味するの。ギリシャ語よ。音楽の魔法、まさにぴったりでしょう?」

 興奮気味のアデルにクララは驚く。いつも思慮深いアデルが早口で得意げに語っている。顔が少し上気して赤い。口をはさむ暇もないほどだ。

「まずはクララちゃんのリュートに、そうね、弦に直接魔力を流し込んで」

 クララは少し戸惑いながらも、アデルの指示に従った。彼女の小さな手がリュートの弦の上を軽く滑る。魔力が楽器に流れ込むと、弦が青白く光り始めた。

「すごい!」アデルは目を輝かせた。「よし、次は私の番ね」

 彼女は羊皮紙に書かれた数式を見つめ、イメージしたメロディを音符に置き換えた。かつて大司教の館で、父に強要され、パイプオルガンの練習した時期があった。退屈な時間が、今ここで役立とうとしている。無駄なことはないのだと、亡き父に感謝した。

「例えば……"火"は高音で、"飛翔"は上昇音階……というように」

 アデルが口ずさむ即興のメロディ。

「じゃあ、クララちゃん、このメロディを弾くことはできる?」

 クララは絶対音感が、そのメロディを再現した。リュートの弦をひく彼女の指先から、小さな火花が散った。

 キャッ、とクララが驚いてリュートを落とす。アデルがキャッチする。

「大丈夫、熱かった?」

「驚いただけ。でもメロディから、火が生まれるイメージが頭の中に浮かんだよ」

「ほんと?惜しいな、まだちょっと違うのかな?」アデルは眉をひそめる。

 クララは少し考え込んでから提案した。

「ここの和音をこうするのは?そうしたほうが、火の燃える感じが出せそう」

 彼女は弦を巧みに操り、新たな和音を奏でる。突然、リュートの前に小さな火の玉が生成された。

「すごい!プログリムが音楽を通じて実行されたのね」

 アデルは目を輝かせた。二人は興奮して顔を見合わせた。メロマギアの可能性が、今目の前で今花開いたのだ。

「そして、次の課題。私がリュートを弾けないこと。お願いします、クララ先生、教えてください」

 クララはにこっと微笑んで答えた。

「喜んで。でも厳しいですよ」

 クララは冗談を言っている自分もまた、アデルと同じようにわくわくしているのに気付いた。


 クララは部屋の隅に立てかけてあるリュートを持ってきた。それはやや古びているが、大切に手入れされているものだった。

「わたしがはじめて覚えた頃のお古です。小型なので初心者でも弦を抑えやすいですよ」クララは器用に、新しい弦に張り替えた。

 アデルは少し躊躇しながらもリュートを受け取る。

「ありがとう、クララちゃん。でも、私に音楽の素質はないと思うよ」

「大丈夫です」

 クララは優しく微笑んで手の平を重ねた。

「アデルお姉さまの魔法の才能と、わたしの音楽。きっと素敵な魔法になりますわ」 

 それから二人は試行錯誤を繰り返した。メロディを少し変えたり、演奏の強弱を調整したりしながら、様々な効果を試していく。時には予想外の結果に驚いたり、失敗して笑い合ったりしながら、少しずつ新しい魔法システムを理解していった。

 アデルのリュート習得は予想以上に困難を極めた。最初の数日間、アデルの指は痛みに悲鳴を上げていた。

「痛い……」彼女は赤く腫れた指先を見つめながら呟いた。

 クララは優しく微笑んだ。

「大丈夫よ、アデルお姉さま。楽器を習得する誰もが通る道です。私も最初はそうでした。必ず慣れていきますわ」

 日々の練習が続いた。アデルの部屋からは、不協和音や途切れがちな旋律が聞こえてくることも多かった。しかし、彼女は諦めなかった。

 半月ほどが経過し、アデルの指の腹にはようやく硬い膜が形成され始めた。

「見て、クララ!指が痛くなくなってきたわ」彼女は誇らしげに指を見せた。

「そうなれば、上達は早いですよ」

 一ヶ月後には、アデルは簡単な旋律を間違えずに弾けるようになっていた。クララの指導の下、二人の演奏は徐々に調和し始めていた。

 ついにアデルとクララは一緒に簡単な曲を合わせられるまでになった。演奏家になるわけでない、要は短い旋律で魔法を発動できればいい。しかし、単純にふたりで曲を演奏することは楽しかったし、すばらしい体験だった。そして二つのリュートの音色が完全に一致した瞬間、彼女たちの周りに美しい火の輪が現れた。

 驚きと喜びに満ちた二人の笑い声が、夕暮れの庭に響き渡った。そしてアデルの練習を密かに見守ってきたヒルデたちは、もう不協和音を聞くことがなくなると、拍手をした。もちろん、成果のすばらしさに対する賛辞がほとんどであったが。


「実際の敵を想定したいけど……」アデルがふと言った。

「森の動物さんじゃかわいそうです」クララは心配そうに答えた。

「そうだね、どうしようか」

「ふーん、面白そうなことをしてるじゃない」

 ノーラは腕を組みながら、ふたりを見下ろした。

「私がお相手しましょうか」

 アデルとクララは驚きつつも、喜んでノーラの申し出を受け入れた。

 ふたりはノーラと距離を置き、リュートを構えた。ノーラが不敵に笑う。アデルとクララは目配せし、頷いた。

「さあ、かかっていらっしゃい!」ノーラが合図を出した。

 アデルとクララのリュートから、美しくも力強いメロディが庭に響き渡る。アデルの指が和音を紡ぎ出し、クララの演奏がそれに繊細な装飾音を加えていく。

 突然、二人の前に青白い光の壁が現れる。ノーラが放った小さな炎の球が、この壁に当たって彼女に跳ね返る。

「素晴らしいわ!」ノーラは感嘆の声を上げる。「防御と反射を同時に!」

 アデルとクララは喜びに満ちた表情を交わし、さらに演奏を続けた。今度は攻撃の番だ。メロディが高揚し、リズムが激しくなる。空中に幾つもの光の矢が形成され、ノーラに向かって飛んでいく。

 ノーラは軽やかに身をかわしながら、バックステップで捌いた。

「見事な攻撃ね。ひとりの時よりも攻撃範囲が広くなってる。でも、まだまだよ!」

 ノーラが次の攻撃に向かうまでのわずかな時間、シンプルで短い低音をクララが鳴らした。ノーラの足元から氷の結晶が這い上がり、彼女の動きを止めた。アデルは追撃を試みる。

「降参よ!ストップ」

 ノーラは白旗を上げ、勝敗がついた。アデルの手は興奮と緊張で震えていた。

「やりましたよ、アデルお姉さま。わたしたちだけの魔法の完成です!おめでとうございます」クララが涙ぐんだ。

「素晴らしいわ!このメロマギア、想像以上の可能性を秘めているわね」

 驚きの表情を見せて、拍手をするノーラ。

 手合いは続き、最後には三人とも汗だくになりながらも、満足げな表情を浮かべていた。お決まりの夕食のメニューもなぜか、格別においしく感じたアデルとクララであった。

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