第16話 ベル探偵事務所

 悪魔界、古びた石造りの集合住宅の三階。薄暗い廊下の突き当たりに、くすんだガラス戸がある。そこには金色の剥げかかった文字で『ベル探偵事務所』と書かれてある。

 扉を開けると、煙草の匂いが漂う狭い部屋。窓からは薄暗い悪魔界の街並みが見える。古い木製の机の上には、積み重ねられた書類や新聞。壁には地図や写真、手書きのメモが貼られている。

 隅には小さな棚があり、そこにはウィスキーのボトルと数個のグラス。ベルティーユは時折、その棚から取り出したウィスキーを一口飲みながら、足を机の上に乗せ、事件の解決に頭を使う。そして、デスクの上の写真を見つめる。笑顔で撮った卒業式のノーラとベルティーユのツーショット。

 過去の余韻に浸っていると、机の上に置かれた黒電話が突然鳴り響き、現在に意識が戻る。ベルは雑に受話器を取る。

「はい、ベル探偵事務所」

「ヴィルヘルム・フォン・リッツェンシュタインと申す」

 ベルの脳が高速で回転する。

「エレオノーラ嬢の御父上。ヴィルヘルム様」

「ああ、そうだ。学友の君なら信用できる。ぜひ君に依頼したい。娘のノーラを探してほしい。人間界に逃げたらしいんだ」

 ベルはいろいろ聞きたいことがあったが、一瞬躊躇した後、「承知いたしました」と答えた。エレオノーラの婚約が決まったという噂は、彼女の耳にも届いていた。彼女が男性に抱かれるという想像が、ベルティーユを襲い、想像以上にノーラへの恋慕を再燃させた。学生時代、共に学力を競ったライバル。そして打ち明けられなかった捨てたはずの恋心。少しは大人になったつもりでも、まだ未練があるのだと痛感させられた。

「悪魔の純情ね……笑わせてくれる」

 面談をする約束をすると、電話を切っって彼女は自虐的に笑った。

(ノーラ……一体何があったの?)

 ベルは立ち上がり、コートを羽織った。事務所を出る前、彼女は机の壁にピン止めした一枚の新聞記事をふと見た。

『「ブルーローズ」、マフィア間の抗争の火種、人間界にも』

(巻き込まれていなければいいけど……)

 ベルは記事を胸ポケットにしまうと、颯爽と事務所を後にした。


 久びりのノーラの生家、学生の時以来。初めて入った彼女の部屋にドキドキしたっけ、とベルティーユは門の前でしばし感傷に耽った。そして、チャイムを鳴らし、仕事の顔に戻る。

 彼女が豪邸の応接室に案内されると、そこには見覚えのある二つの顔があった。

「まさか……ルナとステラ?」

 緑と赤の髪をどちらもツインテールで結んだ釣り目の姉妹。髪色以外瓜二つの双子の賞金稼ぎ。仕事でかち合うことも過去に何度かあった。彼女たちは少々乱暴ごとを好むのが欠点だった。

 双子の姉妹が同時に振り向く。

「ベルティーユ!?」

 三人の視線が交錯する中、ヴィルヘルムが静かに部屋に入ってきた。

「やあ、みなさん。お待たせしました」

「ヴィルヘルム卿、わたしに依頼したのでは?」

 ベルが双子を指差しながら問う。

 ルナが冷ややかに返す。

「それはこちらの台詞よ」

 ステラが付け加える。

「そうよ、山分けなんてしないわよ」

 ヴィルヘルムが静かに言葉を挟む。

「コホン、多いに越したことはない。人間界は広い。私は最高の人材を揃えたかっただけだ」

 こうして、報酬の話がついたところで、ひとまずの必要経費をもらい、彼女らは別々に人間界に向かうこととなった。

 ベルは双子に先を越されないよう、カバンに仕事道具を詰め込むと、写真のノーラにキスをして、事務所のドアを施錠した。

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