第二回 高津万桜誘拐事件 〜探偵の後継者争い〜
晴坂しずか
第1話 万桜ちゃんを返して
ゴールデンウィークを過ぎた平日の朝八時五十五分。九時からの始業にそなえて、
「おはようございます」
と、習慣で声をかけたが返事がない。事務所には誰もおらず、奥にある所長のデスクに父親がいるのみだった。何故か難しい顔をして座っており、千晴は首をかしげる。
「これは、いったい……?」
小さな声でつぶやいた直後、
「父さん、いったいどういうこと? 母さんから聞いたわ、
はっとして千晴もそちらへ駆け寄った。
「何があったの?」
双子に見つめられた父親は何も言わず、ノートパソコンの画面を彼らへ向けた。開かれていたのは一通のメールだ。
娘を返してほしければ現金三千万円用意しろ
今夜八時までに用意できなければ娘の命はない
受け渡し場所は追って連絡する
千雨が両手を口へ当てて悲鳴を上げ、千晴は思わず息を詰めた。
父親は黙ったままメールに添付されていたファイルを開き、じきに動画が流れ始める。
カーテンが閉じられた薄暗い部屋の中に、縄で縛られ猿ぐつわを噛まされた状態で、椅子に座らせられている万桜がいた。
「万桜ちゃん!」
と、千雨が悲痛な声を出す。
大切な妹が誘拐されたという事実を、千晴はまだうまく理解できなかった。それでも心は痛み、どうしてこんなことになったのかと怒りがわく。
動画が終了し、父親は二人へ冷静な顔を向けた。彼もまたこの状況に動揺していないはずがないのだが――。
「第二回後継者争い、
千晴はぽかんと口を開け、千雨は無表情になった。数秒のうちに状況を理解し、双子は口々に叫び始める。
「なんてことしてくれてんだよ、親父!」
「ふざけんじゃないわよ! 万桜ちゃんを返しなさいよ!」
「何で万桜ちゃんを被害者にしてんすか!?」
「マジで寿命縮んだんですけど!? 慰謝料請求するわよ!?」
双子が妹のことを過保護なまでに溺愛しているのは知っていたものの、ここまで責められると思っていなかった父親は、苦笑いで「まあまあ、落ち着きなさい」と、両手を上げ下げして二人をなだめようとする。
しかし普段は穏やかな千晴が
「こればかりは許せませんね、正直に言って見損ないました」
「あたしも同意です。今すぐ万桜ちゃんを返して」
と、千雨も同じく冷めきった目をして父親を見下ろす。ただでさえ二人とも背が高いため、その威圧感に父親は屈した。
「すまん……いや、すみませんでした」
そして咳払いをして気を取り直す。
「今回は二人で協力して万桜が監禁されている場所を特定してほしい。犯人まで特定する必要はないが、したいなら止めない」
「黒幕は親父でしょう?」
「さっさと場所を吐きなさいよ」
「お前たち……」
さすがに苦虫を噛み潰したような表情になる父だが、かまわずに説明を続けた。
「また、今回は万桜を実際に救出することで終了となる。期限は今日の夕方六時、それまでに救出できなければ強制終了とする」
千晴はとっさに壁にかけられた時計を見た。時刻は九時十三分。
「念のために言っておくが、実際に起きた事件だと思って真剣に取り組むんだぞ? 私から情報を得ようとするのは無しだ。万桜に連絡をするのも当然無し。母さんに聞くのはいいが、事件の詳細までは話していないから無駄だ」
男女の双子ながらむすっとした顔はよく似ていて、父親は視線をそらすため立ち上がる。
「私の意図を読んで犯人の見当をつけるのもダメだよ。ちゃんと自分たちで手がかりを見つけて推理するように。――よし、九時十五分。開始だ」
千晴はすぐに千雨へ言った。
「僕が動画の解析をする」
「あたしは万桜ちゃんが出かけたのが何時だったか、母さんに聞いてくる」
それぞれ迅速に行動を開始し、父親はひとまずほっと胸を撫で下ろした。
改めて動画を見てみると、カメラは万桜を真正面から映していた。両足を縄で縛られていて、両手は椅子の背に回されているが、おそらくそちらも縛られているであろうことが想像できる。また、胴体はきっちり椅子に縛り付けられていて、身動きができないようにされていた。
万桜の噛まされている猿ぐつわは手ぬぐいか何かだろうか、あまり厚みのあるものではなさそうだ。しかし声は出せないようで、発されるのは呼吸の漏れる音ばかりだ。
カーテン越しに外光がうっすらと差してはいるものの、他に映っているものはない。ただ壁と床があるばかりの実に殺風景な部屋だ。
犯人の姿や声が入っているわけもなく、ただ万桜の姿が数十秒間にわたり収められているだけだった。
そこへ千雨が戻って来て言う。
「万桜ちゃんが家を出たのは朝八時過ぎ。メールが届いたのは?」
「八時四十三分」
「コンビニまでは徒歩で約十分。向かう途中で誘拐されたとするなら、おそらく車で三十分か三十五分圏内ね」
「動画はスマートフォンで撮られたものだろうね。使われているメールアドレスは捨てアド、いわゆる使い捨てのものだから、ここからたどるのは無理だ」
「他に分かったことは?」
「これから調べる」
二人の息はぴったりだった。説明せずともお互いに考えていることが分かっているらしい。
千晴が音量を大きくし、動画を初めから再生した。耳障りな雑音と万桜の呼吸の他に、学校のチャイムらしき音が聞こえた。
「チャイムだわ。小学校か中学校か高校」
「最後の方、車が走っていくような音がしなかった? おそらく通りに面しているんじゃないかな?」
「千晴、あの万桜ちゃんが知らない人にそうやすやすと誘拐されると思う?」
「うーん、思わないね。おそらく犯人は知り合いなんじゃないかな」
「そうよね。すぐに万桜ちゃんの交友関係をリストアップするわ」
「僕は条件に当てはまる場所を調べるよ」
千雨は再び自宅へ戻って行き、千晴は動画を一度閉じてウェブブラウザを呼び出した。
自宅から車で三十五分圏内の地図を開き、範囲内にある学校を検索する。
「うわ、思ったより範囲が広いな……」
候補となる場所は五十箇所以上ある。千晴は
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