第4話

「やっと着いたぁ……」


 


 山道を歩くことおよそ三時間半。


 途中休憩を挟んだとはいえ、最早登山の域に達するその旅路はひたすらに長かった。


 


 こんな山奥で行商なんて出来るのか、との疑問が頭をもたげるが今はそんなことを気にしている余裕はなかった。


 


 本来なら二時間以上は早く着いている手筈だったのに、随分と遅くなってしまった。きっと識はお冠だろう。


 怒られる前にさっさと連絡してしまうべきだったのだが、山道は圏外で電波は一切届いていない。


 


 住環境の整う農村地区まで来れば連絡出来るだろうとたかをくくっていたのだが、まさかここまで時間がかかるとは。


 


 ポケットからスマートフォンを取り出す。


 


 あれ。


 


 当たりは田んぼだらけとはいえチラホラと民家も見えている。


 だというのに依然として圏外だった。


 


 携帯の不調だろうか。


 識に連れ回されるようになって以降、半ば無理やり持たされる形で渡されたこの携帯はもう4年モノになる。


 


 最近は充電の減りもやや気になり出してきた。


 電波を拾わなくても仕方ないといえば仕方ない。


 


 しかしこうなってしまっては死活問題。


 識に早く連絡を取らなければ危険な目にあってしまうかもしれない(俺が)


 


 マズイ…!早くなんとかしないと!


 


 しかし思い返してみると別に俺だけが悪い訳じゃないような気もしてくる。


 突然出発と言われてきちんと着いてきたのはむしろ褒めて欲しい。


 山道の説明がなかったのは監督責任じゃないか!


 


 俺はバスを乗り過ごしたことを完全に頭の隅に追いやり、スタイリッシュに責任転嫁すると、ストレス解消とばかりに声を上げる。


 


 


 「あのわがままお嬢様めぇ……!!」


 


 「誰がわがままか、詳しく聞かせて貰いましょうか」


 


 「うわああああああああ!!!」


 


 


 振り返ると、そこには俺の名探偵、朝陽 識がそこにいた。


 彼女はいかにも私怒ってますと言わんばかりに腰に手を当て、頬を膨らませる。


 


 


 「きっと、あなたのことですからバスを逃して登山する羽目になったんだろうと、水を用意してあげている私にそんな態度ですか」


 


 「え」


 


 本当に心配してくれてたのか。


 あの識がわざわざ俺のために尽くしてくれるなんて想像もしていなかった。


 


 「頭でも打ったか……?」


 


 「本当に怒りますよ」


 


 識は後ろ手に隠していたスポーツドリンクを俺に見せる。


 フリフリと動かしながら。見せつけているみたいだ。


 ……いや、見せつけているんだろう。


 


 神社での休憩でペットボトルを飲み干してしまっていた俺には、文字通り喉から手が出るほど魅力的。


 


 「勿体ないですが、このまま稲の水やりに使ってしまってもいいんですよ?」


 


 この女なら本当に捨てかねない。


 俺は外にもかかわらず素早く地べたに座り込んだ。


 


 「頼む。後生だ。このままじゃ死にかねない!」


 


 「ふむ。殊勝な心がけです。……はぁ。いいですよ。立ってください。いくらあなたでも泥まみれの人の隣で歩く趣味はありません」


 


 俺の渾身の頼み(脅し)が通じたのか、識はスポーツドリンクの蓋を開けてくれる。


 


 「……でも、素直に渡すのはなんだか癪ですね」


 


 「え?」


 


 識はそのまま液体を自らの指先に垂らすと、俺に差し出した。


 


 「舐めとってください」


 


 ピアノも齧っているらしい識の指は細く、白く、俺の力でも折れてしまいそうなほど繊細だ。丁寧に手入れされた爪はマニキュアこそ塗っていないが保護液は纏っているようで、ツルリと綺麗に見える。


 そこから一滴、一滴と垂れる透明な液体は、夏の爽やかな景色の中にありながらも蠱惑的だった。


 


 だが、いくら喉がカラカラだろうとその指先が魅力的だろうと、


俺にだってプライドがある。


 そんな犬以下の水分補給なんて理性が許さない。


 


 ――――絶対に負けない!


 


 


 が、気がつくと俺は識の指に口づけようとしていた。


 


 あれ?


 


 「もうっ、冗談です」


 


 識はパッと俺から手を離す。指先に着いた液をチュッと舐めとる。


 あぁあ……俺のオアシスがぁ……


 


 「必死過ぎです。限界なのは分かりました」


 


 識は今度こそ俺にスポーツドリンクを渡してくれると、さっと振り返り歩き始めた。


 


 「あっ、ちょっと待ってくれよ」


 


 「誰かさんのせいで時間がありませんからね。ほら、早く着いてこないと置いていきますよ?」


 


 いつもなら"一人で行ってろ!"と事件から距離を置くチャンスなのだが、もう土地勘のないところで一人で居るのは嫌だった。


 なんだかんだ、合流に安堵していたのも事実である。


 


 「……それに、今晩の宿を探さなければなりませんから」


 


 「え?」


 


 それは、明らかに異常な言葉だった。


 


 「待ってくれよ、俺たちは招待されてここに来たんだろ?」


 


 「えぇ。依頼でここに来ました」


 


 いつもなら、宿泊所や依頼人の家を利用する。


 この少女は育ちが言い分、泊まる場所の拘りは強いのだ。


 やれお風呂に入りたい、だの。やれ、枕の高さが合わない、だの。


 


 それでもそういった事態を回避するために遠征前にはいつも入念に宿泊施設のチェックは済ませているはず。


 


 「この地区に宿はありません」


 


 「それはまぁ、納得できる。観光にくるようなとこにも見えないしな。だけど、遠距離なのに宿泊の場所すら用意されて無いことなんてあるのか?」


 


 「宿泊の場所が無いだけならまだ良かったでしょう」


 


 「どういうことだよ?」


 


 「……私たちは、この地区から歓迎されていないようです」


 


 「は?」


 


 「私は前日入りしましたが、まともに事情聴取の一つもさせて貰えませんでした。結局タクシーで引き返し、街のホテルに泊まりました」


 


 「なら識も今日来たってことか」


 


 「そうなりますね」 


 


 「でも、前もって電話してたんだろ?」


 


 「えぇ」


 


 「ならどうして」


 


 「大した問題ではありません。少し考えれば分かることです」


 


 言われて思案する。手がかりとなるのはあの依頼の封筒だ。


 確認してみると、あの時感じた違和感を思い出した。


 


 


 


 


 "古風な封の割に真っ新なA4用紙にその文章はあった。


 その文体は村の人間、というよりもビジネスや役所のものに近い。


 染料での発展が理由だろうか。公的な連絡に慣れているようにも思う。


 その割に便箋での記載でないこと、A4コピー用紙の癖に印刷じゃないことがどうにもちぐはぐだった。しかし、それに反して切実さはしっかりと残っている"


 


 


 


 「差出人はどうして手書きを選んだのでしょうか」


 


 「そんなの好みじゃないか?……強いていうなら、この地区は電波も通らない。だからパソコン自体がなかったとか」


 


 「ふむ。それもあるでしょう。しかし」


 


 識は俺がリュックサックから取り出した封筒の宛名をちょんちょんと指差す。


 そこにははっきりと印字された住所が載っていた。


 


 「印刷技術はあるってことか。……でも、例えば差出人がパソコンに疎い人物だったならどうだ?」


 


 「とするとそれはどのような人物でしょうか?」


 


 「それは……村長的な」


 


 「まだまだですね」


 


 識はやれやれと首をふる。最早見慣れてしまった動作だが、なんとも悔しさを掻き立てられないる。


 負けてられないと封筒の中身を開くと、答えは見えてきた。


 


 


 


 『拝啓 死神姫様


 


 


 


   晴天が続く盛夏のみぎり


 


   不意のご依頼をお許しください。


 


   私共にはもはや手に負えず


 


   死神姫様のお力添えを願いたいのです。


 


   どこも取り合ってくれない難事件なのです。


 


   


 


   川から、臓器が流れてくるのです。


 


   それも人間のもの。


 


   


 


   とても信じがたいでしょうが事実なのです。


 


   夜も眠るに堪える日々を送っております。


 


   詳しいお話はTEL-○〇〇-〇〇〇〇-〇〇〇〇


 


   にてお話できればと考えています。


 


   死神にも縋る思いなのです。


 


   どうか、私共をお助け下さい


 


 


 


                     敬具』


 


 


 


 


 自分で思ったことではないか。"随分と現代調の文章だな"と


 


 「つまり、依頼人は比較的若い、それもA4コピー用紙を手紙のベースに選ぶような」


 


 「そこまでは断定できませんよ。補足しましょう。依頼人は、便箋を選ばなかった、そして手書きであった」


 


 「時間がなかった。そういうことか」


 


 「正解です」


 


 


 パチパチパチと手を叩く識を横目に見ながら整理する。


 依頼人には時間がなかったんだ。


 "川から臓器が流れてくる"なんて悪戯と思われてもおかしくないような事件だ。


 心から助けを求めているのなら、少しでも信用を得ようと体裁を整えてくるはず。


 


 コピー用紙、手書きに反して封だけはしっかりとしていたのは


 


 「恐らく依頼人は、封だけを盗んだ」


 


 「それは……鶴羽農村地区の焼き印が必要だったから?」


 


 「えぇ。公的文書として送るため最低限必要だったんでしょう」


 


 我が事務所も昨今は流石にセキュリティーをしっかりとしている。


 いくら人づてにしか事務所の存在が伝わっていないとしても、悪戯をする人間は出てくる。流石に依頼の見極めはしっかりとしている。


 その物差しの一つに文書の信憑性ももちろん含んでいた。


 今回の依頼状は鶴羽農村地区の市町村焼き印が入っており、少なくとも村長や町長のような行政関係者が出したものだと考えていた。


 だからこそ識も初めから真剣に推理していたんだろう。


 


 「そうか……」


 


 「記載された番号にかけると、それはもう丁寧に受け答えされました」


 


 「ここの住民と違って?」


 


 「はい。つまり依頼人は、外部の人間。それも、鶴羽農村地区の消印を得られないほどの他人」


 


 外部からの悪戯か染料の競合他社か分からない。だが何者かが俺たちをここに誘き寄せたことは間違いない。


 


 「ならなんで受けたんだ?悪戯の可能性だって高いだろうに」


 


 「決まっています。"遺物"が関わっているからです」


 


 有無を言わせないその言葉には確かな意思が感じられた。


 思えばこの少女、朝陽 識は出会った頃から"遺物"に対する執着が強い。


 だからこそ俺とともにいるのだろうが。


 


 心臓の辺りをギュッとシャツの上からつかむ。


 どうやら今回も俺の出番がありそうだ。


 


 


 


 


 この土地の異様さを改めて共有し、認識のすりあわせを行ったところで俺は識に問いかける。


 現地の協力は一切得られない、拠点もない。情報収集の方法は限られている。


 俺は識に策はあるか、と目くばせする。


 


 「なんですか。ご褒美が欲しいんですか?」


 


 「なんでこういうときだけ察しが悪いんだ!?」


 


 「……もぅ。熟年夫婦じゃないんですからきちんと言葉にしてくれないと」


 


 「なんで付き合いたてのカップルみたいな注意されてるんだよ」


 


 「……違うんですか?」


 


 「違うよ!?」


 


 「冗談です。まず情報収集は必須ですね」


 


 「伝わってんじゃん……」


 


 どこか釈然としないがこういう女だったと思い気を取り直す。いちいち茶化してくるのが識の腹立たしい点だが、切り立った気分をクールダウンしてくれるのは助かっている。


 美少女が自分を正しく美少女と認識しているところに、質の悪さを多分に含んでいるのだが。


 いちいち相手にしていては胃がもたないと思い仕切り直す。


 


 「って言っても当てはあるのか?何もないところから調べるのは無理がありそうだが」


 


 「手がかりならあるでしょう?」


 


 「え?」


 


 「それもひと際大きなものが」


 


 そこまで言われてピンとくる。あるではないか。明らかに調べなければならない場所が。この事件をより猟奇的に見立て、俺の気分を悪くしてくれた冒涜の手がかりが。


 


 「"川から臓器が流れて来る"」


 


 「正解です」


 


 識は指をピッとたて、俺に振り向く。真夏の太陽を浴びて白い髪が映える。


 いつものベレー帽をつんとたてる。スカートを翻す。


 識は、全ての男の初恋を奪ってしまいそうなほど蠱惑的な表情をして言った。


 


 「臓器を拝みに行きましょう」


 


 


 


 


 


 


   


 


 


 


   ◇


 


 


 


 川は、農村地区のド真ん中を堂々と流れていた。


 その清水は麗らかで澄んでいる。長年コンクリートジャングルの用水路くらいしか流れて来る水を見たことがなかった俺にはそれはとても美しく見えた。


 水底を転がる小石も、藻も、澄み渡る。水面に顔のひとつも反射せず、ただ澄んでいた。


 


 


 この川を臓器が流れるなんてあり得ない、そう思えるほどに。


 


 


 「……綺麗だな」


 


 「それはどうも」


 


 「…………」


 


 いつものように茶化してくる識。だがその視線は穏やかな水面に向けられており、彼女は彼女でこの景色に心を奪われているんだろうと容易に想像することが出来た。


 


 「乾君は、川遊びをしたことありますか」


 


 


 そう呼ばれるのは久しぶりな気がする。いつもは"あなた"や"この駄犬"みたいに呼ばれる。名前を呼ばれることなんてほとんどない。なんとなく緊張するようなもどかしいような気分になる。端的にいうと、照れる。


 そんな識がぽつりとつぶやいた言葉は、言葉以上に多くの意味を持つ。


 切なく出た声は質問のようにも独り言のようにも聞こえた。


 


 「さぁ。ご存じの通り"記憶がない"もので」


 


 「そうですか。してみたい思ったことは?」


 


 「どうだろ。憧れるような時期は過ぎてたからな」


 


 「そうですか」


 


 識は、いつもより少しだけ声のトーンを落としてそう呟く。


 表情に表さないのは流石だが、感傷に浸っているようだ。


 


 俺には"記憶がない"


 正確には識と出会う以前の中学校以前のことから。


 


 


 "――――識も俺が疎いのは知ってるだろうに"


 "そう、識は俺がその農村地区と縁のない人生を送ってきたことは知っているはずだ"


 


 右も左も分からない俺に手を差し伸べてきたのがこの性悪女だったことは幸か不幸か。


 それでも俺はなんだかんだ楽しくやってきていた。


 


 「私もありません」


 


 「そうか」


 


 過去のことは聞けていない。


 なぜこんな仕事をしているのか。


 どうしてそこまで"遺物"にこだわるのか。


 


 だが、それでいいとも思った。


 いつもみたいに"私好みです”と悪趣味な笑顔を浮かべていてくれるなら。


 このわがままに付き合っても構わない。


 


 


 


 


 


 「川遊び、しちゃまいせんか」


 


 識はそうつぶやく。俺もつられて感傷的になっている今、今なら喜んで付き合ってやってもいい。


 それに、なんとなく照れたこの頬に、冷たい水を浴びるのも一興だと思った。


 "キャッキャウフフ"なんて、ドラマのようなワンシーンもあるかもしれない


 相手が識であることがなんだかおかしくて笑ってしまうが。


 


 「よし!いいよ。仕事の前にひと遊びするか」


 


 「はい!」


 


 識はとびきりの笑顔を向けてそういう。性格はともかく、ここまでの美少女に笑顔を返されては俺も張り切ってしまうというものだ。


 といっても水遊びなんてほとんど知らない。だから、レパートリー少ないことは勘弁してほしい。


 


 「何する?水きりか?いっそ泳ぐか!」


 


 「では、あなたは泳いでください。私が石を投げますから」


 


 「なんでだよ!!!!!」


 


 「?何か」


 


 「めちゃくちゃいい雰囲気だったじゃん!ここでもイジるか!?」


 


 「臓器が流れる川に浸かる趣味はありませんから」


 


 「そうだった……!」


 


 俺は頭を抱える。この綺麗好きのお嬢様がそんなことするはずなかった。


 雰囲気に騙された事実に頭をかきむしる。だからこの女は嫌いなんだ!!!


 


 


 "クっ、ふふふふふ"


 


 口元に手を当てて、目に涙も浮かべながら笑う識は、一番の笑顔を浮かべていた。


 


 


 


 


 


 


 


 


 小休止して、改めて川を見やる。


 田畑も、民家も、この川を中心に営みが行われているような荘厳さだ。


 文明は川の周りにこそできるというが、まさしく目の当たりにしている気分。


 


 水源は穏やかに田畑に流れ、なんなら上流には水車小屋も見える。


 児童映画さながらの日本の原風景に、俺も気持ちが落ち着く。


 


 「にしてもここから臓器が流れるなんて想像もできないよなぁ」


 


 「あら、そうですか?」


 


 「え、そうじゃないか?こんなに綺麗なのに」


 


 「そこ、よく見てください」


 


 識には何かが見えているらしい。訝しみながら立ち上がる。


 言われて水面を覗き込む。小石、藻、そして小魚がチラホラ。


 とても臓器なんて血なまぐさいものは見当たらない。


 


 「これです」


 


 そばに寄ってきて俺の隣から指をさす。


 うなじをかき分ける仕草にふわっとしたいい香りがただよってきて、思わずのけぞる。


 


 「あ、こら。ちゃんと見てください」


 


 注意されて改めて水面を見る。


 指さされた場所には白く細長い石があった。


 


 「なんだよ。ただの石じゃないか」


 


 「鎖骨です」


 


 「は?」


 


 「これは本気ですよ」


 


 骨。言われてみればあちこち視界に入る。分かりやすいものだと大腿骨もある。


 小石たちが揺らめく中に人骨が存在するという事実は、俺の心に重くのしかかる。


 


 "っ"


 


 思わず固まった。


 


 考えてみれば当然なのだ。


 


 俺たちの推測では、流れる臓器の正体は鶴羽染めの染料にされた人間の絞りかすという結論だ。


 そして人間は当たり前だが臓器だけで出来ているわけでない。


 


 骨、皮、肉


 


 それら全ても当然のように川に流れているはず。


 沈降し、小石にまぎれているせいで見つからないだけで。


 


 それがここにあるということは、まさしく俺たちの推測があっているのと同義だった。


 


 


 「ご気分いかがですか」


 


 「お蔭様で最悪だよ」


 


 「えぇ。少し休みますか?」


 


 「いいよ、もう少し見る」


 


 珍しく識がしてくれた気遣いを振り切る。


 これは俺が目を反らしてはいけないものだ。


 神社で少女と話した言葉を思い出す。


 


 うん。 


 


 足は動く。


 


 「……へぇ。成長しましたね。何年経っても死体に慣れなかったのに」


 


 「慣れてないよ。慣れちゃいけないものだろうし」


 


 「あなたの成長の切欠が私じゃないことは遺憾ですが……複雑です」


 


 


 


 


 識は頬をぷくっと膨らませながらそう返してくれる。


 複雑なんだろうか。今までいくつか事件を解決したにもかかわらず、ずっとうじうじと陰気だった俺が急に変わったのは。


 だが、これは別に識が悪かった訳でもない。


 神社の少女が異端だった。心の隙間にスルっと入り込み、気づかないうちに俺に入り込む。


 あの心地よさが、俺の考えを少し変えたのかもしれない。


 


 


 「ほら、早く事件を解決しよう。まだ調査は始まったばかりだ」


 


 「……えぇ。始まったばかりです。だって」


 


 彼女はニヤリと悪戯っぽく笑うと、ふわりと立ち上がる。


 猛烈に嫌な予感がした。こういう風に笑う識が俺にとって嫌なことを言わなかった試しがない。折角立ち上がった心がプルプルと震えていた。


 


 


 


 


 「これから、まさに上流にあるであろう遺体の解体現場に行くんですから」


 


 「え」


 


 


 


 


 


 


 瀬尾 乾(20)、事件にはまだまだ慣れそうにない。

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