第2話

夢が叶わなければ死のうと思っていた。


 村に帰ってのうのうと余生を過ごすなんて未練がましいことはしない。自分の店を持つ形で大成することもなく、自分が描いたデザインが世に出ることもなくなる。そんな地べたにいることはプライドが許さない。


 


 いや。


 


 自分のプライドだけが問題なのではない。家族にとっても多大な損失のはずだ。払ってくれた高い学費に報いることも出来ず自分の産み出す衣服を手に取ってもらうこともなくなった。


 


 ────こんなはずじゃなかった。


 


『落選』の文字がついたコンクールの結果を見ながら、その人影は受け入れがたい現実を振り返る。


 いつからだろう? 


 自分のデザイナー人生にケチが付き始めたのは? 


 心血を注いで作り上げた構想が否定された頃からだろうか? 


 


 しかしあの構想が否定されてからも自分は別の構想で新しいデザインを描き続けてきた。こんこんと湧き出る清水のようにアイデアは溢れて止まらなかった。


 


 ────あの雑誌が出てきたからか? 


 


 あの忌々しい記者が、デザイナーが心血を注いだ構想に図々しくも点数を付けるようになってからか? 


 


 いや。


 


 やはりあの瞬間だと思った。


 あそこで自分が勝っていたら、その後の出来事も起こらなかったのに。


 


 私はきっと、あの瞬間に負けていたんだ。


 でも悪いとは思えない。


 誰にだって叶えたい理想はあるだろう? 


 


 働かなくても生きていけるだけの有り余るお金が欲しいとか、誰に恥じることもない自分の特技が欲しいとか。素敵な恋人がいれば万々歳って人もいるだろうし、何事もない平穏な毎日をただ送るだけでもきっと幸せな奴もいる。


 


 でも結局みんなどこかで妥協しているんだ。


 だから、私は悪くない。


 困ったときは誰かに助けて欲しかった。


 自分で立ち上がるだけの勇気が欲しかった。


 


 何もかもがいつも中途半端で、かといって何もできないというほど無能な訳じゃない。


 いつもあと一歩、あと一歩が足りなかった。だからだろうか、マズイと思った時にはもう取り返しがつかないほどにハマってしまっていたんだ。


 


 ────どこまでもすべてを持ったあの人に。


 


 私の心が暴かれることが怖かった。


 私の罪を知られることが怖かった。


 それ以上に、あの人の全てが知りたかった。


 


 だから、つい殺してしまった。


 その瞬間に、私の理想は叶ったんだ。


 


 叶ってしまったんだ。


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 ◇◇◇


 


 


 


 第一章 村娘と理想論


 


 


 


 ◇◇◇


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 ぜぇ、ぜぇと息を切らす。汗が流れ落ち、喉が渇きにひきつる。空を見上げると茹で上がってしまったかのように雲一つない快晴の太陽があった。ワイシャツの襟を力任せに引っ張り、首をほとんどない風に晒す。歩みを進めると蝉の喧騒が止んだ。


 


 ただでさえ暑苦しいというのに、ここまでの道のりは2時間半。


 心身共にもう限界だった。


 


 水が飲みたい。


 バスがない。


 風もない。


 


 文句は頭にいくらでも湧き上がってくるが、言葉にする体力もない。一歩、また一歩と必死に歩きながら舗装もされていないガタガタなアスファルトに靴ごと焼かれる。全身の汗が蒸発しているのか、ゆらゆらと体の周りに蜃気楼が揺らめいていた。


 


 ──ミスったなぁ。こんなことなら大人しく一緒に行きゃ良かった。


 


 今頃、いつまで経ってもたどり着かない俺を想像して笑っている頃だろうか。


 いや、あいつのことだから俺の事なんて忘れて今頃もう捜査を始めているのかもしれない。


 案外心配してたりして。


 


 ないない


 


 疲労困憊特有の情緒不安定な妄想を手でかき消す。


 それでもなお頭から不敵なあいつの笑みが浮かんでくるのはそれだけあいつの被害にあってきたからだろう。合流したら絶対に一言いってやるからな……! 


 


 出来もしない復讐をふふふと考えながら歩いていくと、気も弱っていく。


 


 ──でもなぁ……下調べしてなかった俺も悪かったしなぁ。


 


 田舎のバスのなさを完全に舐めていた。


 


 電車を乗り継ぎ、慣れない無人駅で切符の渡し方すらわからずオロオロ。着いたバス停も2時間に一本とほとんどなく、道中の水を買おうと立ち寄った駄菓子屋のおばぁちゃんの長話につきあっている間に逃してしまった。そのうえ平日の地区行きバスは13:00が終バスと絶望的な条件。


 


 歩いて行くしかないと悲壮な覚悟を固めた頃にはすでに炎天下の中で汗だくだった。


 


 "私は前日入りしますけど、ホントに一緒じゃなくてもいいんですか? "


 


 今ならあいつの言葉の意味が分かる。


 当日に唐突に告げられたお泊り調査の宣言に待ったをかけ


「着替えの準備とかあるし俺は別入りするよ」


 と啖呵を切ったのもいい思い出だ。


 よく考えるべきだった。あいつは確かにサディストだが事件となると存外真面目だ。あの言葉だって俺を煽る意図で言ったものじゃなく、純粋に慣れない土地勘の俺を心配しての言葉だった。


 


 ……いや、"本気で言ってんのかこいつ"みたいな冷めた目だった気もするが。


 


 脳裏に蘇る顔から逃れようと、俺は首を振る。


 すると道外れに小さな神社が目に入った。


 ガードレールすらなくなった山道の半ば。好き勝手に育った木々に囲われて道があるのかどうかも分からないような細い、細い道の向こうにそびえていた。


 


 ──少し休ませてもらおう。


 


 流石に神様もこんなことで罰を当てたりなんかしないだろうと高をくくり、生い茂った枝を振り払うように先に進んでいく。人の身長にギリギリ届く高さの鳥居を潜り抜ける。すると10畳程度の狭いスペースに犬小屋くらいの本殿があった。


 


 ありがたいことに木々が日差しを遮ってくれており、熱を持った身体が少し落ち着くのを感じた。


 おあつらえ向きにおかれた切り株に腰を下ろすとリュックサックから駄菓子屋で買った水を取り出す。


 ゴクッゴクッと一気に飲み干すと少しだけ生き返ったような気がする。


 


「ん?」


 


 足元に違和感を覚え視線をやると、封筒が落ちていた。


 それは、依頼人からの手紙だった。


 水を取り出すときに一緒に落としてしまったんだろう。


 俺はその封筒を手に取り、冷えた頭で休憩がてら考えることにした。


 


 今回の奇妙な事件のことを。


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 ◇24時間前


 


 


 


 


 


 


 


 


「まずは、"これ"を見てください」


 


 


 少女は冷房の良く効いた部屋でそう告げる。


 机の上にそっと封筒を置き、小さく息を吐いた。


 紅潮した頬、少しうるんだ目元。


 ともすれば封筒を恋文と勘違いしてしまいそうなほど色気のあるこの状況に思わずゴクリと息を飲むが、この少女がそんな可愛げのある女でないことは俺が誰より知っている。


 


 興奮しているんだ。この事件に。


 


 少女、──朝陽 識あさひ しきは探偵だ。それもただの探偵ではない。


 知る人ぞ知る本物の名探偵だ。


 それも、誰も手を付けたくないような不思議な事件、怪奇事件専門の。


 クラシカルなロングスカートを翻し、手入れの行き届いた白い髪をポニーテールにまとめて、いつも不敵な微笑みを絶やさずに一手、一手と犯人を追い詰める。


 一部の警察と依頼人からはこう呼ばれている。


 


 "死神姫"、と。


 


 最も、付き合いの長い俺にとっては可愛らしいお姫様なんかじゃない。


 わざわざ難しい課題を与えては俺がウンウンうなる姿を横から弄るわ、猟奇的な事件には連れまわされるわ、俺の淹れた紅茶に低い点数をつけまくるわ、被害をあげればキリがない。


 それはもう楽しそうにやる。生粋のサディストなのだ。


 


 そんな識は事件を前にすると熱が出たように紅潮する癖がある。小柄な身体にも関わらず頭が回っているから、だと皆は考えているようだが俺は違う。


 


 ──こいつは絶対楽しんでる! 


 


 キッと不服の視線を送る。


 スッと咎めるように目を細められた。


 


「早く見てください」


 


 クーン……


 お姫様の忠犬である俺には逆らうことなんて出来ず、しぶしぶと意識を切り替える。


 机に置かれたこれを開けるのは大層怖い。


 恐る恐るになりながら封筒を見てみると、古風な焼き印を押された住所が見える。


 


「鶴羽農村地区つるば のうそんちく?」


 


「はい。聞いたことはないですか?」


 


「いや……知らないな」


 


「そうですか。そんな気はしていました」


 


 識はやれやれと首を振る。一口紅茶を口に含むと"ほう"と一息ついた。


 とても紅茶の温度にほっとしたから出たものではなく、不出来な助手に対してのため息だ。


 


 困った顔をされても"鶴羽"なんて地名には聞き覚えもない。産まれた頃からコンクリートジャングルで育ってきた現代っ子そのものの俺には、農村地区、なんてつくような村然とした土地にも一切の縁はない。その土地に産まれた縁でもなければ少子高齢化のこの時代に田舎に里帰り、なんて家庭も少なくなってきただろう。


 


 ────識も俺が疎いのは知ってるだろうに。


 


 あ、と思う。


 そう、識は俺がその農村地よと縁のない人生を送ってきたことは知っているはずだ。


 とくれば答えは"経験"ではないはず。きっと有名な土地なんだろう。土地で知名度があるとすれば、歴史的に意味があった場所、観光地、食材や原料の原産地、なんかが挙げられる。


 農村地区、その名前にこそヒントがあるんじゃないだろうか。


 村や群、地名の呼び捨て。そんな地名ではなくその名前がつけられている理由。考えると答えは出た。


 


「原産地、か?」


 


 


 "よくできました"と識はパチパチと手を叩いた。


 出来の悪いペットが芸を上手く出来た時のようなその態度に少しムッとするが、美少女に褒められて悪い気はしないので大人しく受け入れ、続きを話す。


 


「前に何かの本で読んだんだ。地名に"地区"ってつけるのは行政に管理されている土地だって。識がそう聞くってことはきっと"知識"として覚えておける、もしくは名前から推測できるって事だろ?」


 


「半分正解、といったとところでしょうか。いくらあなたがお洒落に興味のない垢ぬけない人でも、鶴羽の名前くらいは知っていると思ったんですが」


 


「おい」


 


「でも、推測で迫ったのは私好みです。おまけしてお仕置きはなしにしてあげます」


 


 "ご褒美です"と俺の口にクッキーを放り込むと手についた粉をペロっと舐める。


 整った容姿でそんなことをされるとドギマギしてしまうから本当にやめて欲しい。


 それに、この小悪魔を可愛いと思ってしまうのもなんだか癪だ。


 


「誰が全身安売りコーデだ」


 


「そこまで言っていません」


 


「量販店に謝るべきだ。今時はちゃんとした服もたくさんあるんだぞ」


 


「知っていますよ。誰があなたの服を選んでいると思ってるんですか」


 


「識だった……!」


 


 ちょっと内心気にしていたところをつつかれ、少ししょんぼりする。べ、別にあか抜けない訳じゃないんだからな! ちょっと識が洋服にこだわりがあるから頼んでおけば楽なだけで……! 


 


「もう、そんなことはいいんです。流行の話、です」


 


 本題に戻った空気感に居住まいを正す。少女は足元に置いていた鞄を手にとった。もったいぶるかのようにゆっくりと中身を取り出すと"濃い紅色のポーチ"が姿を現した。


 


 紅い。とにかく紅い。それでいて灰暗い発色だ。


 見ていると落ち着くような、そこにあるのが当然なような気がしてくる。


 合っている、とでも表現すればいいのだろうか。この部屋は識の趣味全開の淡い色の少女趣味だというのにそれでも違和感は一切なかった。


 


「鶴羽染め。藍染めや紅染めと同じく一地域のみで生産される染料が農村地区の特産物です」


 


「……これが、流行ってるのか?」


 


「えぇ。合うでしょう?」


 


 識は両手でポーチを持った。それを整った顔の前でるんるんと動かす。


 確かに肌の色にもあっているし、違和感は一切ない。


 


 だが。


 


「俺は、ちょっと怖い」


 


「……へぇ。興味深いです。聞かせてください」


 


「いや、うまく言葉にできるわけじゃないんだけどさ、なんていうか合い過ぎてるんだ」


 


 そう。合い過ぎていることがどうにも違和感だった。


 


「合い過ぎている? 私が可愛くて似合い過ぎているってことですか?」


 


「そんなのいつものことだろ」


 


「それもそうですね」


 


 自身満々にも程がある。確かに識はなんでも着こなす。今みたいなガーリーな服だろうとパンクファッションだろうと。本人も自覚している通り素材がいいんだからコンセプトさせブレなければ大体の服はそこらの雑誌顔負けの出来栄えになる。体格がないせいで少女感が抜けないのが弱点だが。


 


「ただ、ほら識にも特別合う色ってあるだろ? 青とか、瞳に合わせて緑とか」


 


「えぇ。この時期なら青、でしょうか」


 


「そうだろ? でも、それに負けないくらい鶴羽染めが合ってる。それもゾクっとくるくらいに」


 


「なるほど。言いたいことは見えました」


 


 識は得たい答えを得られたとでもいうように鷹揚に頷いた。ポーチをそっと机の上に置くと"どうぞ"と声がかかる。どうやら手に取って見てみろ、ということらしい。俺は一瞬躊躇った後、そのポーチを受け取る。


 試しに手のひらに翳してみる。識の白すぎる肌と違い少し焦げた俺の肌でも、その紅色はとても自然にそこにあった。深い安心感、落ち着き。この感覚には覚えがあるように感じた。


 


「血……?」


 


「あなたの目にはそう映っているんですね」


 


 識は、ニヤリと目を細めてふふふ、と楽しそうに笑いながらそんなことを言う。口にはしなかったが"私好みです"と言いたげなその表情に俺は見覚えがあった。これが本題か。


 


「キャッチコピーは、誰の肌にも合う世界一のあなた色」


 


 歌うようにそらんじてみせると、識は俺に目線を向ける。


 


「日本のファッションの基準では"肌の色"というのはかかせません」


 


「…………」


 


「イエベ、ブルべ、くらいは聞いたことあるでしょう?」


 


「えぇと、聞いたことはある、かな」


 


「……もう。もとはイエローベース、ブルーベースの略で肌の色基準の事です。顔色をよく魅せるためにはどの色が合うか、で考えれば分かりやすいでしょう」


 


「色白の識には寒色が合う、みたいなこと?」


 


「その解釈でおおむね間違いありません。温かみを感じる色で顔色が綺麗に見える方が"イエベ"、冷たさを感じる色で顔色が綺麗に見える方が"ブルべ"です。イエベの人は黄み寄りの肌色、ブルベの人がピンク寄りの肌色の方が比較的多いとされていますね」


 


「そんな便利な基準があるならその色着ればよくないか?」


 


 その言葉に識は"はぁ"とこれみよがしに息を吐いて俺を呆れたような目で見る。さっき自分でも服を探せる的なことを言っただけに罰が悪く、頭をかく。


 


「肌の色だけならそれでもいいかもしれません」


 


「なら……」


 


「私の瞳は何色でしょうか?」


 


 そこで気付く。


 さっき自分でも言ってたじゃないか。"瞳に合わせて緑、とか"って。


 


「パーソナルカラーといいます。目、手、髪、肌。色は個人によって様々で似合う色も人の数だけ違います。だから」


 


 ────すべての人間に合う色なんて、ありえないんですよ。


 


「……そういうことか」


 


「えぇ」


 


 そこでようやく俺も答えにたどり着く。どうして違和感を覚えたのか。どうして安心感があるのか。どうして恐怖心があるのか。すべての人間に合う色なんてないはずなのに、ここに確かに存在している。


 手元のポーチに目を落とす。見覚えのあるその色をもう一度見る。


 答えが鮮明になった気がした。 


 


「でも、全人類に共通してある色がひとつだけある」


 


「さて、なんでしょうか?」


 


 分かっているくせにどうしても俺に続きを話させようとする。識のどうにも好きになれない癖だ。


 いつも答えを出すこの瞬間は緊張で体が固まる。でも、今はこの答えに不安はなかった。


 


 


 


 


 


 


「"血色"。それが鶴羽染めの正体だ」


 


 


 


 


 


 


 少女は、楽しそうに目を細めた。


 


 


 


 


 


 


「では、それを踏まえて中身を読んでみて下さい」


 


 長かった前置きを終え、ようやく封筒の中身を見る。


 識の性格がでたのかペーパーナイフで丁寧に切られた封筒を持つ。


 中に入っていたのは一通の手紙と一枚の古い地図だった。


 


 


 


『拝啓 死神姫様


 


 晴天が続く盛夏のみぎり


 不意のご依頼をお許しください。


 私共にはもはや手に負えず


 死神姫様のお力添えを願いたいのです。


 どこも取り合ってくれない難事件なのです。


 


 川から、臓器が流れてくるのです。


 それも人間のもの。


 


 とても信じがたいでしょうが事実なのです。


 夜も眠るに堪える日々を送っております。


 詳しいお話はTEL-○〇〇-〇〇〇〇-〇〇〇〇


 にてお話できればと考えています。


 死神にも縋る思いなのです。


 どうか、私共をお助け下さい


 


 敬具』


 


 


 


 古風な封の割に真っ新なA4用紙にその文章はあった。


 その文体は村の人間、というよりもビジネスや役所のものに近い。


 染料での発展が理由だろうか。公的な連絡に慣れているようにも思う。


 その割に便箋での記載でないこと、A4コピー用紙の癖に印刷じゃないことがどうにもちぐはぐだった。しかし、それに反して切実さはしっかりと残っている。


 


「どうですか?」


 


「うわぁ!?」


 


 顔を上げる。真横に回っていた識が俺を至近距離から見つめていた。


 まつ毛の数すら数えられそうなその距離に思わずのけぞる。


 


「なんですか。急に大きな声をあげて」


 


「近いからだよ!」


 


「隙だらけでしたので、つい」


 


「つい!?」


 


 全く心臓に悪い。いくらこの少女が顔だけは絶世の美少女だったとしても集中しているところに急に現れては驚く。抗議の声をあげると識は可愛らしい顔から表情を消した。


 


「そんなに油断していたら、すぐに死んでしまいますよ?」


 


 その声は、まさしく警告だった。


 底冷えするような寒さを持ちながら、不安と心配のないまぜった声。


 警告、忠告、それが今回の事件への危惧を感じさせられた。


 


「……今回の事件、そんなにヤバイのか?」


 


「えぇ。"遺物"が関わっている可能性があります」


 


 


 


 


 "遺物"


 


 


 これまでの事件でも何度かあった。


 この世界のイレギュラー。怪異と呼ばれるものが残していった資産。


 現代に進むにつれ、怪異や幽霊はすべていなくなった。歴史的に名のある陰陽師やエクソシストが討伐を終わらせたから。だからこそ現代は人間の科学が発展したんだろう。


 だが、彼ら怪異は消え去ろうとも彼らの残した異形の技術は現存する。そしてそれは、容易に人間にも使うことが出来るものもある。


 


 3つだけ願いの叶う猿の手。


 藁人形で人を呪う丑の刻参り。


 偶像崇拝で起こす神の奇跡。


 


 そんな異端が関わっているであろう事件を、俺たちは"怪奇事件"と呼んでいるのだ。


 


 それでも依頼の全ての"遺物"が関わっているわけでなく、ただの猟奇殺人も悪戯だって多い。にもかかわらず、識はこの事件に"遺物"が間違いなくある、そう考えている口ぶりだった。


 


 


 


 


 


「くれぐれも気を付けて下さい。あなたにいなくなられると困ります」


 


「識……」


 


「便利な肉盾がいなくなると私が危ないじゃないですか」


 


「識ぃいい!!」


 


「ふふふ、冗談です」


 


「本気の目してたけどね!?」


 


 この女なら本気でそう思っていかねない!! 肉盾とか全自動紅茶入れマシーンとか駄犬だとか! 普段からの扱いが扱いなだけに絶妙に信用できない。いつもいつも拒否権なくあちこちに連れまわすんだ。事件もそうだけど買い出しとかコンビニは一人でいいだろうが! 


 


 机の上の紅茶を手に取る。カップの中身を一息で飲み干すとトン、と力任せに置く。"ふぅ"と息を吐きクールダウンする。なんだかんだ気を付けろというのは本心だろう。からかっているのも緊張をほぐすためだと自分に言い聞かせる。


 この女に飲まれるな。……ふぅ。いつか理解らせてやるからな!! 


 


 


「でもなんで断言できるんだ? "遺物"が関わっているって」


 


「ふむ。いい質問です」


 


 識は指をピッと立てると、教壇の前の教師のように語り始める。


 


「染料ってどう作るか知っていますか?」


 


「えぇと、花から搾り取る……とか?」


 


「あながち間違ってはいません。花、虫、木、変わったものだとコーヒーなどもありますね。ですがそのどれもが、抽出、乾燥で染められます」


 


「薬品とかもあるんじゃないのか?」


 


「ありますね。詳しい合成手法はここでは省きますが大別すると二種類です。光の透過率を変える多孔質ベースのもの、染料を混ぜた合成色のものです」


 


 色ってのは目に届く光の波長の屈折率で変わる……だったか。入った光が反射せず外に一切出てこないのが黒でとてつもなく反射するものが白、くらいは知っている。


 


「有名なものだとインディゴ、藍染めは化学染料の台頭で価値が低下したそうです。ですが、鶴羽染めは藍と同じように化学で再現出来てはいないでしょう。……化学染料は均一な色素である都合上、染める際にムラが生まれにくい特性があります」


 


 言われてポーチに目を落とす。その色には濃い部分と薄い部分が混在しており、その京手芸のような暖かな自然さがあった。一面完全に同色だったなら、ここまでの調和は生まれづらいだろう。つまり、ムラがあった。


 


「それに、現地に向かえば分かることですが鶴羽農村地区は随分な田舎町だそうです。染料を合成するプラントもないはずです」


 


「つまり、鶴羽染めの色素は抽出で作られてる、ってことか」


 


 


 気になることがあった。


 


「でも、だからといって"遺物"が関わっているとは限らないだろ? 血の抽出をするなら、大量殺人とかで十分にこと足りるだろう」


 


「はぁ……」


 


 やれやれ、と識は首を振る。"まだわからないんですか? "ということはこれまでの情報で用意に推測できることなんだろう。だが、苦手な化学や流行の話が出て、俺はすっかり混乱してしまっていた。


 識はゆっくりと俺に顔を近づけると、ささやくようにヒントをくれた


 


「染料を合成するプラントもないんですよ?」


 


「あ」


 


 そこでようやく気付く。


 流行になるほどの大量生産。プラント、つまり工場のような大量生産をしているわけでもない。いくら大量殺人を犯したとしてもそこまでの量の色素を取り出すことは不可能なんじゃないか。


 


「手紙の一文をもう一度見てください」


 


 焦るように封筒を手に取り、急いで封筒を取り出す。悪戯の可能性を視野に入れていたせいで読み飛ばしてしまっていた文が目に入った。


 


 


 


 "川から、臓器が流れてくるのです"


 


 


 その猟奇的な文章は別の意味を持つように見えた。


 


「川からどんぶらっこ♪ どんぶらこっこ♪ と腸が流れて来るなんて、随分と」


 


 識はたっぷりと溜める。俺の顔を見ながらふふふ、と笑う。ふわり、とスカートを翻しながら立ち上がると俺の隣に座った。この笑みが、俺には悪魔に見えて仕方なかった。


 


「私好みです。そうは思いませんか?」


 


 


 


 


 染料にされた人間の搾りカス。それも、無際限に血液を搾り取り続ける機構。その"遺物"


 これが、鶴羽農業地区の闇だと悪魔は囁いた。

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