異世界住人~死んだり生きたり~
たーる・えーふ
第1話 女王の散歩
身から噴き出す 氷溶かさぬ炎は
凍てつく都を焼き尽くす
残されし雪華の願い
白き大地と永久に ~遺構の碑文より~
七つの国の境を超えた北の果て、今は滅びしガラン・クヴァの都が眠る氷原に魔術師クストメナスは住んでいる。かつて、クストメナスは太陽が昇る地平の先にある黄金国の宰相であった。だが、王族暗殺を企て、国を追われて以来、この氷原の一軒家でガラン・クヴァの古文書を日々解読しながら暮らしていた。極寒の氷原は常人にとっては過酷な環境であるが、黄金国人固有の高温を発する血液が体を循環しているクストメナスにとっては大きな問題ではなかった。
その日、氷原に凍てつく強風が吹いた。
家の窓を震わせる風の音を聞き、クストメナスは氷原に住む民・モルカ族の長老から聞いた話を思い出した。
氷原の北の果てには、風神の妹である雪と氷の女王が住む城があるという。城には巨大な門がある。女王が出かける時のみ開かれる門からは、雪と氷が入り混じった風が吹き出し、氷原を震わせるという。
モルカ族は氷原に吹く大風を『女王の散歩』と呼んでいる。
風は時折、クストメナスの小屋をビリビリと震わせた。夕方から吹き出した強風は、夜が更けても止むことはなかった。
燭台の蠟燭の火が照らし出す室内でクストメナスはひとり、ガラン・クヴァの遺跡で発見した文書の解読を行っていた。
「王位継承の儀式、敗者は修行という名の……」
解読した文面を読み上げながら筆を走らせるクストメナスの声と手が止まった。顔を上げ、視線を入口の扉へと向けた。
風の音に交じって、誰かが小屋の戸を叩いている音がする。筆を置いたクストメナスは視線を扉から離さず、壁に立てかけていた杖に手を伸ばす。白鯨の骨から削りだされた杖は、ひとりでに宙に浮くとクストメナスの手の内へと飛んだ。杖を握りしめ、クストメナスは立ち上がる。住人の少ない氷原、しかも深夜である。戸を叩くものは、およそ常なる者ではあるまいとクストメナスは何時でも熱線を放てるよう杖に魔力を通わせたながら、扉の前に立った。
「誰だ」
クストメナスは尋ねる。扉を叩く音が止む。返事があった。
「夜分に失礼します。東から来られた賢者のお住まいは、こちらでしょうか」
声からは、確かな知性を感じる。
魔物ではないのか、と眉を顰めながらクストメナスは再び尋ねた。
「お前は、誰だ? 氷原に住む魔物か?」
「メニストラと申します。とある、高貴な御方に仕える者です」
メニストラという名を聞き、クストメナスは首を傾げた。メニストラという名前には覚えがあるが、どこで聞いた名前か思い出せない。自身の年齢からくる健忘に動揺しながらも、相手に伝わらぬように平静を装い、クストメナスは言った。
「ここに住むのは賢者に非ず、ただ国を追われた老人である」
「ご謙遜を。モルカ族のサジャッタ様に紹介いただきました。私の求めるものをご教授いただけるはずだと」
「……サジャッタ翁は齢二百を超え、年に数分しか意識が戻らぬはずだが?」
「肉体を離れ、意識でしかいけない場所にサジャッタ様はいらっしゃいます。魔術を修めた貴方ならご存じのはずです」
ふん、とクストメナスは鼻を鳴らした。
「魔術の深奥、アストラル界、ネバーランド。その場所に行ける者にワシのような若輩者が教えられることはないぞ」
「否」
クストメナスの言葉をメニストラは否定した。
「その場所へ行けたのは、私の力ではありません。私がお仕えする御方の力です」
「では、その御方とやらに聞けばよかろう。わざわざ、このような辺境に来る必要はあるまい」
「我が主は偉大な方ではありますが、移ろいゆく世に興味がありません。星が輝きを失おうが、国が滅びようが、主にとっては全て些事なのです。偉大なる我が主では決して答えられないことを教えていただきたいのです」
「……ふむ」
そうまで言われると悪い気はしない、とクストメナスは思った。
「……よかろう、ワシが知ることであれば答えよう」
扉の向こう側で、メニストラが感嘆の声を挙げた
「おお! ありがとうございます!」
「で、何を知りたい?」
一瞬、凍てつく風の音が止み、静寂が訪れた。クストメナスは、扉の向こう側にいるメニストラの質問を待った。
そして、風の音と共にメニストラの声が聞こえた。
「ガラン・クヴァが何故滅びたのか、教えていただきたいのです」
ガラン・クヴァ。千年の昔、この氷原にあった古代の王国。暖かな大地を求めて、北風とともに南に向かって侵攻を繰り返し、北から来る悪鬼と恐れられた者たち。今は、氷原のあちこちに残された住居跡だけが存在した証拠として残る、失われた国。
「風の神を奉じ、氷原に住む全ての者たちを統治したガラン・クヴァ。風の神より賜わりし聖剣ネレントゥーラを掲げし王に率いられた、凍てつく風に鍛えられた勇士たちの国、ガラン・クヴァ。なぜ、かの精強なる王国が滅びてしまったのか」
メニストラの声には、悲痛の響きがあった。この扉の向こう側にいる者と千年の昔に滅びた王国といかなる縁があるのか、クストメナスは興味を持った。
だが、まずは質問に答えねばならないと思い、クストメナスは口を開いた。
「ガラン・クヴァが滅びた理由か」
「はい」
「魔法国バロンネシアにある大図書館に所蔵されている秘封歴史書『世界歴程』の記載、また古代医学書『テネス・ヘリックス』の記述では熱病と伝わっている」
「病、ですか」
「病の種類自体は、そう珍しいものではなかった」
ただし、とクストメナスは付け加えた。
「ここより南の国々では、な」
クストメナスは、続けた。
「ガラン・クヴァは、南方に向かって幾度となく遠征を行っていた。その遠征に参加した兵士もしくは捕虜によって、この極寒の地には存在しなかった病が持ち込まれたのだろう。存在しなかった病に人々は耐性も治療法も持ち合わせていなかった。遺跡に刻まれた碑文には熱病を『氷溶かさぬ炎』と例えている。瞬く間に熱病は猛威を振るい、ガラン・クヴァは滅びた」
ああ、とメニストラの嘆きをクストメナスは聞いた。
「暖かな大地を欲した、凍てつくガラン・クヴァが熱によって滅びるとは、なんという皮肉か」
メニストラの声が先ほどより明瞭に聞こえることで、クストメナスは強風が治まってきていることに気づいた。
「……時間のようです」
「なに?」
「主がお帰りになる」
クストメナスは、扉の向こう側にいるメニストラの気配が遠のくのを感じた。
「お主、一体」
「賢者殿、ありがとうございます。私は主と共に帰らねばなりません。我が故郷の最後を知ることが出来て、本当によかった」
故郷、ガラン・クヴァ、そしてメニストラ。クストメナスはとっさに振り返り、先ほどまで自身が解読していた古文書を見た。
王位継承、敗北、修行。
クストメナスは扉の向こう側にいるメニストラが何者か気づき、扉に駆け寄ると外に飛び出した。
「待て! お主はガラン・クヴァの」
扉の外には、無人の氷原が広がっていた。凍てつく風も止んでいた。
クストメナスは、風が去っていった北の夜空を一瞥し肩を落とした。
小屋の中へ戻ったクストメナスは、解読していた古文書を手に取った。古文書に書かれているのは、ガラン・クヴァの王位継承の儀式についてである。
王位継承者が2名以上いる場合、決闘を行い勝者を王とする。敗者が生きている場合、敗者は千年間の修行を行い、改めて王位継承の決闘を挑むことが出来るという。古文書には、現在修行中の者の名前が記されている。
メニストラ。王位継承の決闘に敗れ、千年間の修行という名の流刑に処されたガラン・クヴァの王子。
クストメナスは、古文書の書かれたメニストラの名を見ながら呟いた。
「千年間の修行をやり遂げ、失われた故郷へと帰ってきたのか」
そして、自身が仕える者と共に北の果てへと帰っていった。
クストメナスは、夢想する。
北の果て、そびえたつ巨大な門が音を立てて閉まっていく。扉を閉めているのは、メニストラだ。メニストラは扉を閉めながら、名残惜しそうに外を見つめている。
そして門が閉まり、鍵がかかる音が響いた。
女王の散歩が、終わった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます