第7話◆ 1日だけの花嫁

16歳になる頃には、私は王城に自室を頂いていた。

殿下の身体がもう、ボロボロだからだ。


だが、私が常に治療――、いやもう修復といっていい。

それを行っているせいで殿下は元気だ。


自分でも、実は殿下は病気ではなく、普通の健康な男子ではないのかと思ってしまうくらいに。


でも、限界の時は確実に近づいている。


*****


 結婚式の数日前。


「そうか、そろそろ限界か」

「はい」


 傍で聞いていた王妃殿下も、ハンカチで目頭を抑えた。


「……あと、どれくらいだと思う?」


「わかりません。ですが、もう本当に間近だと思われます」


「そんな、結婚式の準備もあと数日だというのに……!」


「王妃殿下……」


「仕方がない、すこし変に思わせるかもしれないが……白い結婚になるとエリオットには伝えよう。もとよりそのつもりだった。こんなに長く生きられるとは思っておらなんだ。ありがとう、セシル殿」


「……いえ」


 王妃殿下が崩れ落ちるように泣き、陛下がそっと寄り添われた。

 私は目を伏せがちに、退室した。


 退室して、暫く歩くと、エリオット殿下と初めて会った庭園を通りかかった。

 あの時、カエルを逃がした小池が見えて、近寄り、しゃがんで覗き込む。

 小さくてきれいな魚たちが泳いでいるのが見えた。


 ……殿下が、いなくなる。


 あの日、帰り道に短い付き合いだろう、と思っていたことを思い出した。

 もう、6年も一緒だ。


 今からでも根本から病気を治せる方法が見つからないだろうか、と毎日思っている。

 実際、陛下もずっと探していらっしゃると仰っていたが……みつからなかった。


 涙がでそうになってきた。

 こんなに、思う相手になるなど。


 死な……

「……ないで……」


「何言ってんだ?」

 頭をコツ、と叩かれた。


 私は思わず口を抑えて振り返った。

 声に出してしまっていた……!


「いえ、独り言です」

「そうか。ところで聞いたか。というかお前知ってたんだろう」


 殿下がお怒りの表情だ。


「なにがです?」

「……俺達の結婚が白い結婚になったことだ」

「……ああ」


「ああ、じゃないぞ!? なぜ白い結婚なんだよ! オレは世継ぎだぞ」


「そのようなことを申されましても、私、聖女ですから、男性と共寝しますと力を失います」


「それは知っているが……跡継ぎが必要だろう!」


「王命と神殿命令ですので、私に申されましても。……おそらく、お妾を抱えて頂くことになるかと……」


「じゃあ、お前はどうして、オレと婚約したんだよ……」

「お父上と、司祭様のお考えでのことですので……私にはわかりかねます」


 エリオット様は、私の横にしゃがんだ。


「オレは、妾なんていらないんだよ」


 そう言ってエリオット様は俯いてしばらく無言だった。


「……エリオット様」


 ……私だって。

 私だって、あなたが他の人と愛し合うなど……。


 そう言えたら、どんなにいいか。


「……いや、いいんだ。しょうがないな。お前が力失ってしまうし。お前にはその力が必要だ。オレは跡取りだし、妾の1人や2人、抱えるもんさ」


 そう言って、何かを諦めたかのような遠い目をされた。

 最近、このような瞳をされることが多い。


 ……ひょっとして、気がついていらっしゃるのだろうか。

 ご自分が余命幾許ないことを。


 そんな彼の見上げる空は、澄んだ青だった。



******



 結婚式は、第一王子が結婚するというのに、小規模なものだった。

 聖女との婚姻ということで、派手なものは神殿が許さなかった。


 神殿で、誓いを交わし指輪を交換するだけの、簡単なものだった。


 夜になって、床をともにするわけではないが、夫婦で過ごす時間ができた。

 ソファでお茶を飲み、会話する。


「……なんか、あっけなかったな」

「はい」

「オレはすごく、楽しみにしていたのだが」

「私も、です」

「ホントかよ」

「本当です」


 こうしている間にも、私はこっそり治療の魔法を流している。


「キスはしてもいいんだよな?」

「はい」


 夫婦として、唇を重ねる。


「オレは、神様からは、お前を奪うことはできなかったんだな」

「……エリオット様。前からお伝えしたかったのですが。王命と神殿命令に私は従っておりますが、あなたを……あ、愛しておりますよ」


 私は考えたのだ。

 私が治療しようと彼は近いうちに旅立ってしまう。

 ならば、たとえ力を失って彼を早くに死なせることになっても、身体を重ねてもよいのではないだろうかと。


 その後、王子を殺した罪に問われるかもしれないが。


「……驚きだ。お前の口からそんな言葉が出るとはな」

「信じられませんか?」

「いや、知っていた」


「……ですので、私は、構いません」


 私は意を込めて、じっと彼を見つめた。


「……驚きだな、お前が規則よりオレを優先するだと?」


 彼はそっと、私を抱き寄せた。


「ありがとう、セシル。オレは今、信じられない思いだ」

「そんなに意外だったのですか? 私としては心外です。その、ですから……」


 私は微笑んで抱きしめ返した。

 今までで一番彼の近くにいる気がする。


 幸せとはこういう気持ちなのか、と優しい空気を噛み締めた。

 しかし――


「だが、いいんだ。お前にはその力必要だ」


 ふと引き離され、エリオット様は私の手を握り、キスした。


「え……」


 白い結婚に、がっかりして怒っていたのに?


「セシル、ずっとお前のことが好きだった」


 私を見るその瞳はとても真摯だった。

 ――彼らしくない。


「――」


「例えば、おまえはオレが死んでも、他の誰かと添い遂げることはないんだよな?」


 次に、ニコリ、と表情を変えて、しっかり私の目を見て聞かれる。


 私は、ドキリとした。


「はい。あなたと結婚を交わしましたし、あなたが……その、そうなっても、私はあなた以外の人とは」


「じゃあ、人間でお前の男はオレだけか。それなら、まあいい」

「……どうして」


 どうして、そんな話を?

 まさか……知って……。


「セシア」


「はい」


「お前の空のような瞳が、好きだった」


 ――なぜ。


 彼はソファに身を預けるようにもたれ、もう一度私の手の甲にキスをして、ギュッと握った。


 ――なぜ、過去形で話すのですか。


 そう言おうと口を開いた時、彼の手が一瞬びく、として力が失われ、ソファにもたれるように、倒れた。


 目は綺麗に閉じられて、口元はやさしく微笑んだまま。



「エリオット……」


「――あ」


 あれだけ、騒がしかった方が……。


「なぜ、こんな静かな終わり方なのですか……?」



 力を失い重みを増した彼の手はまだ、温かい。


 呼べばまだ、目を開けるのではないかと、何度も声をかける。

 呼び戻せるのではないのかと、その可能性に何度も彼の名前を呼んだ。




 しかし、彼はもう帰ってこなかった。



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