第十一話


 薄暗い霊安室に真っ白なシーツを掛けられ、冷たくなった神津健が横たえられている。

 怖いくらいの沈黙

 霊安室の扉が開き一人の女が入ってきた。

 

「太郎くん…」

「………すんません姐さん……俺が付いてながら…」


 女は何も言わず横たわる神津健の横に立ちシーツを捲る。

 僅かに口の端に傷が有るくらいの綺麗な顔。

 だが、そこに生気は無い。

 女は暫く健の顔を見詰めていた。

 長い沈黙は女の深い溜め息を吐いてシーツを戻す。


「太郎くん。あなたが責任を感じる必要は無いんだからね」

「………………」

「ヤクザなんだから…こう言う事も覚悟の上だったんだから…」

「………………」


 関東を拠点する広域指定暴力団の枝である#組__うち__#は、新宿歌舞伎町を縄張りとする昔からのヤクザだ。

 ここ数年、九州を拠点とする組との縄張りを巡る争いが激しく、歌舞伎町は始終ピリピリとしていた。

 本家と#組__うち__#の親父(組長)は兄弟盃を交わしている関係で、組は厳しい世相の中でも歌舞伎町を縄張りとしたシノギでヤクザの体面を昔ながらに守っていれていた。

 そこに横槍を入れてきたのが九州を拠点とする組"九頭組"。

 奴らのやり方は実にえげつなかった。

 やくざ者がそれを言うのかと言われればそれまでだが、昔ながらの組のやり方とは合わない。今時と言えば今時の、何でも有りの奴らだった。

 C国経由のチャリを街の女を#主軸__ターゲット__#に大量にばら撒く。

 九頭組は直接自分等で表には出ず、関東の暴走族を使いチャリを大量にばら撒いていた。

 古いやり方の#組__うち__#は本家の意向もあって、薬は御法度だった。

 薬が蔓延した街の未来は想像する迄まなく乱れた。

 当然だろう。

 親父の一言から、歌舞伎町で薬をバラ撒く暴走族の排除が行われたが、奴らはゴキブリの如く増殖する。

 暴力団ならば組の体面も有り、下手に数を増やすば組の看板に泥を塗る羽目になりかねない。だから上の人間は舎弟の教育を徹底的にやるのだが、奴らは勢い(ノリ)とその場の快楽だけで行動する。それが若さの特権だと言わんばかりに突っ走る。

 そんな中、今日の事態が起きた…


 霊安室の扉が開き初老の男が入って来た。太郎は咄嗟に頭を下げる。

 霊安台の前に立っていた姐さんは後ろに下がり場所を空けて頭を下げた。

 初老の男は太郎に目を向ける。

 俺は初老の男(親父)の意図を汲み取り姐さんと共に霊安室から出ていく。

 親父が特に可愛がっていた兄貴が逝ったのだ。

 親父には親父なりに他人には見せられない別れがある。何故ならそれが組を張る親父だからである。


 霊安室から出てきた親父は外に控えさせていた組員にテキパキと命令を下すと、太郎の前にたった。


「親父。申し訳有りません…きっちり落とし前はつけます…」

「……太郎…お前は動くな」

 

 太郎は驚いた顔をして親父を見る。


「この件は話が付いている。だからお前は勝手に動くな」

「で、でも」


 親父の横に立っていた男が太郎を殴りとばした。


「太郎!てめえ親父の言葉が聞こえんかったのか!でもじゃねーだろ!」

「すんません!」

「てめえだけが納得出来ねぇわけじゃねーんだ!」

「すんません佐伯の兄貴!」

「謝んのは親父にだろが!」

「すんません親父」


 太郎は土下座をする。


「太郎。お前の気持ちはわかる。だがな、兄弟を通して相手と話が付いた……健からお前の事は聞いている。だからお前は勝手に動くな…いいな」

「……はい」

「健の葬儀の準備は組がする。お前は妙子さんを送ってこい。いいな!くれぐれも勝手するんじゃねーぞ!」

「はい!」


 親父達が去った後に、土下座したままの太郎の背を優しく撫でながら姐さんが口を開く。

 

「太郎くん。私を送ってくれるんでしょ?」

 

 太郎はのそのそと立ち上がる。


「姐さん送ります…」


 太郎は神津健の内縁の妻、妙子と共に病院を後にした。


 


 いつの間に寝ていたのだろうか……開いている窓の外は日が落ち暗かった。


 古い夢を見た…な…


 何であの時の夢を見たのか…少し考え、ふと気付いた事があった。

 今日、震えているハンナの姿が、あの時の姐さんの姿にダブって見えたからだ。

 そう言えば姐さんの学生時代のアルバムを見せて貰った事がある。

 

 (………ああそうか……若い頃の姐さんにハンナは似てるんだ…)


 太郎は苦笑する。


 ベッドから起き上がり椅子に腰掛け、テーブルの上のタバコを手に取る。

 オイルライターの澄んだ金属音が部屋に響き、太郎は煙草に火を点け吸い込む。

 煙草を吸いながら、何度も何度もオイルライターの金属カバーを開いては閉じる。


 チンッ、チンッ  チンッ、チンッ


 少しして、ドアがノックされハンナの声がした。


「あの、太郎さんご飯食べに行きませんか?」と。


 太郎は煙草を、買ってきた陶器の小皿に押し付け、火を揉み消しながら返事をする。

 扉を開くと宿の薄明かりに照らされたハンナが立っていた。

 薄明かりの中に立つハンナの姿は、あの時の姐さんの姿にダブって見えた。

「………行こうか…」

 

 一度気付いてしまった事を忘れる事なんて出来はしない。

 

 ああ、俺はこの女を好きなのかもしれない。 


 

 宿のテーブルに着いて、ハンナと食事を摂りながら明日の予定を話す。


「明日ダンジョンに行く前に、冒険者ギルドに寄っても良いですか?」

「何か用があるのか?」

「お金入ったから、家族にお金送りたくて…」

「ああ…お金ってギルドで送れるのか?」

「は、はい。私の村にも小さいけどギルドがありまして、この町のギルドから村のギルドへ連絡をして貰い、村のギルドの職員さんが家族にお金を渡してくれます」

「凄いな…ギルドはどうやって連絡するんだ?」

「あ、ギルド所有のテイムされた飛行型の魔獣を送るそうです」

 

 (伝書バトかよ…)


「それ利用するの高いんじゃ無いのか?」

「物を送るんじゃ無ければ、そこまで高く無いんです。大銀貨三枚で連絡して貰えます…距離にもよりますが」

「成る程…ハンナの村は遠いのか?」

「近いですよ。乗り合いの馬車で五日程です」


 馬車で五日は遠いんじゃ無いのか?


「そうか分かった。じゃあギルドに寄ってからダンジョンに行こうか」

「は、はい」

 

 この女を死なせたくはない………


「ハンナ」

「はい?」

「飯を食い終わってから少し大事な話が有るから、俺の部屋に来てくれないか?」

「………はい。…あの…少し時間貰っても良いですか?」

「ん?良いけど……何か用があるのか?」

「え……と。じゅ、準備がありますので……」

「………んん?……ハンナ…多分勘違いしてるぞ?」

「え!………」

「別にハンナをどうこうしようと思ってるわけじゃ無いぞ?ここじゃ話せない重要な事だからで、ハンナの部屋でも良いんだが、俺が煙草を吸いたくてな」


 ハンナの顔が見る間に真っ赤になって俯く。


「そそそうですよね。私何を…」

「いや、俺も紛らわしい言い方だったのかもしれん」

「いえ……わたし、太郎さんに助けて貰って……それで、何かしなきゃと思っていて……太郎さんが私で良いならって」

 心配になるくらい真っ赤な顔のハンナの頭を撫でてやる。


「そんなんでハンナを貰っても、俺は嬉しく無いな」

「は、はい。ごめんなさい」

「いや、いいよ。まぁちょっとここでは本当に話せないんだ」

「わかりました。部屋に伺います」


 太郎は肯き食事を続けた。

 カウンターに立つ宿の女将が俺にウインクしてきた。

 違うっての……違うからね?

 

 

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