第8話 アヨ・スローンという男
その晩、俺は夢を見た。
俺──アヨ・スローンの半生の夢を。
俺は孤児だった。その日の食べ物にありつくことにすら苦労し、盗むことも奪い取ることも平気でした。その生活が最悪だとすら思えなかった。
そしてある日、転機が訪れた。
俺の住む路地裏に、金の三角をかたどったペンダントを首に提げた男がやってきたのだ。無学な俺は、それが聖職者の証であることを知らなかった。
食うために奪う。そればかり経験してきたものだから、無謀にもその男に掴みかかった。
「ふむ、こんなものか。歳の割に強い子供がいると聞いて来たのだが……まあいい」
結果は惨敗。奪われ踏みにじられた者は、そのまま死んでいく……はずだった。
「おや、起きたか。お前にはこれからやることがある、野蛮な作法は忘れることだな」
気付いたら、俺は教会にいた。あの男に拾われたのだ。屋根があり、寝床があり、食事を用意される。意味の分からない生活で、俺は何をさせられるのかとヒヤヒヤした。しかし、その答えは存外に単純なものだった。
ある日の夜のことである。
「お前は私の跡を継ぐ、教会の処刑人として神のご意志に従え」
男はここらで有名だった悪徳商人……だったものから短剣を引き抜き、血を振り払った。このとき俺の顔にその汚い血がかかったのを、よく覚えている。
「そんなこと言われたって……あんたは自分の名前すら教えないのに」
「言う必要がなかっただけだ。私の名はアドウェール」
「苗字は?」
「そんなもの、とうの昔に神に捧げた」
俺は沈黙する。月明りの下で死体を引きずるアドウェールは、とても恐ろしいものに思えた。
「このスティレットが処刑人の証明だ。決してそれを売り払って逃げようなどと思うなよ、そうしたら教会はお前を背教者として処刑してしまうだろうからな」
彼は、俺に金の細工が施された短剣を渡した。先程彼が使っていたのと同じものだ。
そうして、俺は教会の処刑人となった。アドウェールには過酷な訓練を強いられたが、路地裏で過ごした日々に比べれば天国のようだった。
──ただ、俺は短剣を渡したときの彼の言葉の真意を、いまだ掴めずにいる。
処刑人の仕事にも慣れてからずいぶん経った頃。金の細工が施された短剣はいくつもの「仕事」を経ても輝きと鋭さを失わず、ただ神の足元に集る蛆を刺し貫いていた。
そして、俺に第二の転機が訪れる。
「教会本部からの命令だ、お前はこれから冒険者になる」
「……は?」
「冒険者ギルド上層部への圧力が目的だろう。上と上の争いにはただ従った方が身のためだ」
突飛な発言に驚きつつ、すぐに覚悟を決める。冒険者自体には前々から興味があったし、どうせ俺に断る余地はないからだ。ただ末端として、教会の手足として、命令に従うしかない。
すこし時間は飛び、冒険者試験にて。
「33番、アヨ・スローン。これより対魔物戦闘試験を開始します。終了条件は魔物の討伐です」
試験官の声とともに、フィールドに小柄な魔物が放たれる。冒険者になるなら、とアドウェールに買い与えられた長剣は手にまだあまり馴染まず、もう少し練習すれば良かったと後悔した。
(……そんなこと考えてる場合じゃない、刺す!)
魔物の方へと走る。奇襲を仕掛けられないのなら、手の内を明かす前に一発で殺すべきだという常識が染みついていた。魔物もようやく戦う気になったのか、鋭い爪をむき出しにし飛び掛かってくる。しかしリーチはこちらに分があるのだ。蹴りを入れて地面に撃ち落とし、そのまま腹を踏みつけ逃げられないようにする。
(すぐ楽にしてやる)
もがく魔物の喉に剣を刺し、地面の感触が伝わるまで貫く。同時に、試験終了を示す声が上がった。
「おめでとうございます、一次は突破です」
「ありがとうございます」
試験官と短く挨拶を交わすと、他の受験者たちの声が聞こえてくる。
「あの人酷いね、いくら魔物といえど、躊躇なく殺すなんて」
「魔法を全く使ってなかったけど、もしかして使えないのか?」
ただの冒険者見習いの的外れな発言だと分かっていても、どこか居心地悪さを感じた。俺はフードを目深に被り、次の試験会場へ急いだ。
その後も幾つかの試験を突破し、俺は晴れて冒険者試験をクリアした。試験官が言うには、魔物の死体の鮮度を保つ保存魔法は合格ギリギリだったが、それ以外は軒並み高水準だったらしい。
「おめでとうございます、こちらが資格証です」
ギルドの職員から、赤い輝石のペンダントを渡される。俺は不思議な気持ちになった。これからは金の三角ではなく、赤い輝石が俺の身分を証明するのか。
「詳しい説明はまた後日に。今日は帰ってお休みください」
「はい、ありがとうございました」
ギルドを後にし、俺たちが住む教会周辺の村に向かう馬車に乗る。揺られながら、ぼんやりとアドウェールのことを考えた。彼は俺のことをどう思っているのだろう。冒険者になれという教会本部からの命令、盗み見た書類には俺を指名する文言はなかった。きっと彼の方が完璧に仕事をこなせるはずだ。なのに、なのになぜ。
俺はふと、処刑人になったばかりの頃の食卓でアドウェールと話した内容を思い出した。あの路地裏で暮らしていたころ、何か希望はあったのかと問われた。俺は少し考え込んだ後、特になかった、けど一時期自由な冒険者に憧れたこともあったな、というようなことを言った。本当に、なんてことない日常の会話だ。
……覚えていてくれたのだろうか。そうだといいな、と思いながら月を眺めた。
ティアさんに勧誘を受けたのはそれから三年ほど経った頃だ。雇われになると自由に行動できなくなるから、処刑人としての仕事は休止になる。怒られるだろうなと思いつつアドウェールに相談したところ、渋られはしたが意外にも肯定を受けた。
「元々ここの処刑人は私一人だった、仕事量が元に戻るだけだ。それに雇用関係もそう長くは続かないだろう」
彼はそれにしても……と言葉を続ける。
「お前はそれでいいのか。雇われになると自由は減るぞ」
「いいんです、相手も結構冒険者に断られてるみたいで……見てられませんし」
アドウェールは一瞬、寂しそうな目をした。俺の見間違いだったかもしれない。好きにしろ、という言葉と共に彼は部屋を出て行った。
別れの挨拶もそこそこに、俺はティアさんのもとへ向かった。まだ一度しか会っていない女性と寝食を共にするのは少し緊張するが、仕事は仕事だ。
「やあアヨくん、やっぱり来てくれたんだね」
彼女は窓を背に、怖いくらいに綺麗な笑顔で俺を歓迎した。
◇◇◇
「…………」
ぱちりと目が覚める。珍しく夢を見ていたようだ。それも、俺のこれまでに関する夢。
俺は手を開き、また握る。最悪な子供時代のこと。育ての親のような、師のような人のこと。
それから、いつからか心の柔い場所に居座るようになった彼女。
なにも最初から、神への反骨精神に満ちた彼女を気にして身分を隠していたわけではない。それでも、隠す理由がいつの間にかすり替わっていた。ただの守秘義務の厳守から、彼女との関係を壊したくないという気持ちに変わっていってしまった。
(……寝起きなのに、すごく疲れた)
俺はぼやけた脳内のまま、鍛錬をするため寝床を後にした。
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