愛情の計算

天川裕司

愛情の計算

「男に生まれた夢。」

〝何故、逃げる必要があるのか。〟普通に考えれば、理にかなう。その引き金は、ただの臆病、そして法律。利口な奴が勝つようにできているこの世界。おれはその利口な奴にはどうしてもなりきれない。今まで何度か、そうなってしまいたい、と祈ってきた。だがどうしてもなりきれない。もうひとりのおれ(プライド)が許せなかったんだろう。〝他人(ひと)を頭からバカにするおれ〟は今も生きている。けど、それじゃ、この先社会ってのからはじかれる。目に見えている。何かをふりきらなきゃいけない。おれが思うように生きるには、何らかの犠牲(リスク)が必要だ。自分を強く信じる、しかない。たとえ、まちがいの連続で、他人から疎外されて、自分でも嫌になりそうになっても、信じきって生まれた不条理を壊さなきゃいけない。〝生まれた喜びをひとりで喜べるようになるまではむずかしい。〟そう思っていたおれが、ただの自閉症だ。そのためには無神経になっても仕方ないってことさ。おれは男に生まれた。


「愛情の計算」

人はロボットより、優れているものかも知れない。「やさしさ」を胸に秘めた時点で、よく考えてみるがいい。その時にすがりつきたいのが人間か、ロボットか。よく忘れてしまうから、その前に言っておこう。


「中村雄二郎氏より」

ものを考えないで過ごす時期もあるだろう、と聞いて、(君は)赤ん坊の頃の事を思い浮かべるか、それとも、心奪われて何かに夢中に生きている時の事を思い浮かべるか。しかし、どちらに行き着いても、君は、人間に変わりがない。


「文章につき。」

ひらがなで書けば、しゃべり言葉の様にも聞えてしまうもの。


「映画。」

 映画は夢である。動く台詞に、見る者各々の理想が転がり、又動く俳優の動作に、見る者の感動の手足が、適当に散らばってゆくのである。それから、見る者のその心を端(ハタ)から見ているその者には、例え同じ映画を一緒に見て居ようと、自分の思惑が邪魔をして見ることは出来ない。俗に言う、偏見である。それ故に、通り一遍の人がその映画を見ていても、誰にも邪魔はされないという事である。台詞一つに感動覚えるのも良し、動作一つに感動を見るのも良し。そこに居る人達には、その各々の色付いた世界の光が付いてまわる故に、そこに居る外界の、誰にも屈服する事もなく、今日も何気なく映画を見る事が出来るのだ。


「歯車。」

 懐かしい風が吹いた。窓からでも見えそうだった。母親がいて、父親が向うにいて、小さいながらに遊び友達がいて、それらを馬鹿にする現代(イマ)の風からは、想像もつかなかった。見栄坊だった。

 風車が父さんの背中でまわって、母さんがわたがしを買って、私の方を見て微笑っている。しかし、みるみる内に金魚すくいがきえて、リンゴアメがきえて、そしてとうとうその屋台全部がきえてしまった。大人の事情がどういうものであるかは知らない。しかし、子供の夢までも、理想に生きようとする本来の期待までも消してしまうのは、とても見苦しいもののように思える。子供と大人とでは、暗闇を挟んだ二つの壁において、離れなければならぬものなのか。私の心の中で、今小さくまわっていたお祭り用の歯車は、風がせき止められてまわることを忘れてしまった。今は又、風が来るのを待っている。


「口。」

 多くの人がもっているものだという。そこからは言葉というものが出て、人に感情を与えたりするものであると、人が言う。しかし、その口から出た言葉で人は救われて、又人を呪う事もあるのだと。それだけ人は、口にも劣る脆い者だという事を、日々、人は見ているのかも知れない。


「銀色の口びる。」

 腹痛に悩んだ彼は、一旦、筆をおいてお便所へかけ込もうとした。未だきっと、この以前に引いた風邪が完治していないのである。仕方がなかった。時計は夜中の三時をさしていた。もう、寝ていい頃である。そんな時、ふと、彼は学友のMの事を想ったのだ。 

それはいかにして、この現実から冷たく吹き荒れる、銀色した自然の風から、この身を避難させるかということにも近かった。出来るだけ無駄の行動は避けたいと考えていた。明日は、文字通り、学校の授業があった。それを無視するのは、出来なかった。金閣寺の映っている葉がきを見た、きれいに映っている。だけどもはや、この部屋に居る彼とは、関係も何もなかった。又、友人のかいて送ってくれた四月の初めの元気な葉がきが、そこの枕元上の棚にぽつんと置かれてあった。これから、もしかすれば、そいつからいつか電話が掛かってくるのかも知れない、とそんな予感をさえ想わせてくれるような、手紙だった。それは大事にしておきたいと、思った。何せ、このご時世である。

 秋の深まった、もうすぐ冬を思わせるような、そんな白いとうめいの北風が、彼の居る部屋の窓を、思いきり叩いた。彼は、どうしたことかと思い、友人を思っていたその空想をかき消して、ガラと、ガラス戸を開けた。そこには見たこともないような、宝の様なものが満ちている。天使の口付けた、白い紙の上の唇の跡だった。彼は何やら知らぬが、嬉しくなって飛び上り、二度三度、その銀色に飾られた縁の中のキス・マークをじっくり見つめて、自分への信頼を自分でもう一度立て直した。それは、彼を救ったのである。結果的にそうなった。誰か知らぬが、この窓淵まで運んでくれたこの母性愛が、この時の彼には丁度必要だったのである。その縁があまりに銀色過ぎたため、そこにある唇も銀色に見えた。未だに、腹痛は、変らず続いていた。階下から、誰か上ってくるが、この時の彼の知った事ではなかった。彼は唯、この唇の跡を、何度も何度も、見つめているだけなのである。


「チークダンス。」

 「どうでもいいじゃないか。」彼が言う。

「そうよ。こんな規則は、世間に出れば、絶対に忘れるわ。無理して、気取ることもないのよ。…」彼女が言った。

きっと、世間に出る一歩手前の、彼等の事である。こんな事を言い合い、お互い、慰め、励まし合っているに違いない。どこまでも続く、長い人生路は、とても寄ったままに、体を寄せ合って、学ぶことなど出来やしないのだから。きっと、組織の決めた、創り事なのである。これは、誰も全うせし得ない、遠くに離れた、幻の規律なのである。無理な恰好では、想う事が思うようには描けず、忘れ去られた事を追想して、何度も何度も、同じ場所で足踏みしている他ないのである。それは、割りきれない数字を、永遠に計算しているような仕草である。新しく、出て来た数値に期待して。その魔術師の魅力は、永遠に滅びるなどないと、組織の輩達は思っていることであろう。しかし、世の中はそれで通ってしまった。誰かの唄った、仕組まれた自由に気付かずに卒業してゆく、という言葉が、きちんと陥(ハマ)る世の中になってしまった。今日も得意顔で、彼等の前を笑いながら歩いて行くのである。この部屋で出された結論は、誰の目にも触れることなく、唯きれいに、闇に消えていく事だろう。けれど、これは忘れられない。この四週間の内に、本来、自分らしく生きていた人間が、常識という魔力を以て、何も喋れなくなった事を。


「少年。」

 あの子がノリにノッた曲を唄っている。それを見て泣いた老人もいた。肌が白く、ひげも白い、気の良さそうな老人であった。あの光景は目にやきついている。少し、冷たい風の吹く夏だった。

口ぱくで唄うあの子が、かわいいと思う。


「スズメバチ。」

 スズメ蜂にさされてから、一時間半が一番危ないらしい。そして後頭部が、その死亡者の過半数を占めてるらしい。刺されて。十分でまわり始める。


「白夜の勇。」

 君、性格をかえてごらん。


「幸人。」(コウジン)

 身を守り貫くことが出来るか?恋人の居る者はまだきっと楽である。けれど、その側の者にはその側の者なりの悩みがあり、一生を貫ける程の相愛でないとなると、やはり、他人を振り見てしまうのだ。これは俗に言う浮気(不倫)と呼ぶものだ。出来すぎのカップルなど、そう見つけられるものじゃない。「顔では良し良し」と頷いていても、心はよろよろふらめいている時が、君にだってある筈だろう。恥ずかしい事じゃない。人間とはきっとそういうものな訳で、それを互いに励まし合い、恥ずかしがりながら、生きてゆくものだと、私は思っている。そこで迷わない奴なんてよっぽどの独身主義か、天才か、どっちかだ。人間に生れた以上は、普通、男は女を好きになり、女は男を好きになる、のいずれかである。それを、迷わない地点まで超えられるのだとすれば、その人はきっと、幸人である。

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