出会い




「見えたよお母さん! あれが李・ポルシェの港だって!」


 アイリーンは母の手を引いて海沿いの街に辿り着く。その目を輝かせて太陽の光を反射する海と港に泊まる大きな木の船と何艘もの小舟を眺める彼女の足は軽やかだ。


「アイリーン、待って……」


 母が後を着いていき、街の階段を一歩ずつ降りていく。

 幸甚の国へ行こうとする人々が集団で歩き出したのは二日ほど前だ。

 間違いがなければ今日中にも船は出航すると言う。

 フードを被る痩せ細った旅人が先導し、幸運にもここまで襲ってくる魔物はいなかった。


 オレンジの髪を揺らす海風が気持ちよく、アイリーンは久しぶりに見る海に興奮気味であった。

 一人で走り出し、港の桟橋から額に手を当てて辺りを見回す。


「海、いつぶりだろ……」


 波飛沫と遠くの下がりつつある太陽の光を目にした彼女は新天地に胸をときめかせている。



 この世は不安なことだけじゃない。

 広い海が彼女の心を浄化させていくようだった。



 その様子を街の宿から二人の冒険者が見ていた。

 彼らは静かにこの日を待っていた。


 この街の住人は殆どが魔物が姿を変えて成り代わってしまっていた。

 が、不思議なことに彼らは襲われるどころか怪しまれるといったことはなく、むしろ存在を歓迎されているようで快く宿に泊まらせてくれた。


「人がきました、ジーニィさん」


 窓の張りに腰掛けたパラディンの少年は小声でもう一人の賢者「ジーニィ」へと報告する。


「様子を観察しましょう。

 もしかしたら船に乗るかも……」


 そう言っジーニィが杖をローブにしまい、二人は部屋を後にする。



  ◇


「幸甚の国行きーー! こっちだよ!」


 セーラーの帽子を被る筋肉質の船乗りの案内で数十人ほどの渡航客がぞろぞろと船に乗り始める。



 その船の名前は「オラクル号」

 二つのマストとデッキには船室があり、小さめの酒場とキャビン、地下に貨物室を備えていた。

 岸にかけられた渡り橋は木造なものであったが何人も乗ることのできる丈夫なものである。


 渡航客の中にはもちろんアイリーンとその母親、それから二人の冒険者がいた。


 


 デッキから船内へと続く扉を船乗りが開ける。

 酒場があり、固定されたカウンターといくつかのテーブルがあり食事ができるようになっていた。


 奥には休憩所だろうか、ベッドのある個室のキャビンの扉が並ぶ廊下がカーテン越しに見え、地下に続く階段が酒場の隅にある。



 アイリーン達は奥の廊下へと進み、ベッドが二つ並んだキャビンへと入っていく。


 備品のようなものは特になくシンプルな作りではあったがここまできた彼女達にとって横になって休めるということはそれだけで充分であった。

 幸甚の国までどのくらいの時間がかかるか彼女達にはわからない。

 今のうち休むに越したことはなかった。


「お母さん、もうすぐだからね」

 母を横たわらせて励ますアイリーン。


 他の渡航客たちは各々酒を若い女性の店員に注文したり、ただテーブルについて周囲の様子を観察したりそれぞれの時間を過ごしている。


  ◇


 やがて夕方になり船が出航する。

 汽笛の音が響き、進み始めた。


 魔力を込められた輝く石「魔導石」を動力として動くその船は、海の波をものともせずに進んでいく。


 揺れは少なく、乗客達の顔に安心の色が見える。


 そして、新しい世界への出港に騒ぐ人々、その疑いを未だ捨てられずに沈黙する人々、周囲の様子を見守る人々と三者三様の様子を見せる船の中。


 辺りが夜の闇に包まれ、幸甚の国への期待が膨らみ、皆が酒を煽り出した時その様子は一変する。


 

 店員のドレスを着る若い女性が魔法を使った。


 カウンター越しに乗客たちを眠らせていく。

 それは彼女のドレスの腰の部分を突き破って生えた尻尾から発生させられた〈催眠〉のスキルであった。



 酒を飲んでいたこともあって、乗客はみな次々とその場に伏せ眠りについていってしまう。


 グラスがいくつか地面に落ちて床を転がっていくがそれを気にする様子は見せず彼女は次々と乗客を眠らせていった。

 広範囲に催眠効果を持つ自分のフェロモンのような汗を撒き散らしていく。


 辺りが静寂に覆われると地下からの階段を登って二名、額に二本の灼角が生えた魔族が現れた。


 少し長めの八重歯の牙をもち、薄い一重の着物を羽織り、刀を腰に身につける彼らは鬼族である。

 

 酒場の眠ってしまった人々を軽々と肩にかつぎ地下へと連れていく。


 今日も幸甚の国への愚かな渡航者達を地下の牢へと運び込むその手口は順調のように思われた。




 だが、

 アイリーンは眠らなかった。


 酒場から聞こえていたはずの騒ぎ声が急に消えていき静まっていくその気配に違和感を覚えた彼女は、息を潜めて様子を伺おうとする。


 母は眠りについてしまい頼れるものは自分だけである。

 船の揺れと海の波の音が聞こえてきて辺りの様子はわからない。


 キャビンからそっと廊下を覗き酒場の様子を確認しようとした。




 扉をそっと開けて慎重に頭を出していく。


 女性がキャビンは続いている廊下をこちらへと歩いてきている姿が彼女の目に入った。

 妖しい紫色の頭頂部に生える二本の曲がったツノ、ドラスを着ているようだが網タイツの太もも越しに尻尾が揺れている様子が分かり、彼女はそれが人ではないと知る。



 魔物だ。

 この船には魔物が乗っている。



 アイリーンは扉から離れて近づいてくる魔物に気がつかれないように口を手で塞ぐ。

 母をシーツで覆ってその体を隠し、自分はその横の床にしゃがみ込んでもう一枚のシーツにくるまり、息を殺す。



ーー(この船、もしかしてやばい?)

 


 アイリーンの心臓がその鼓動を早め、その顔に焦りの色が浮かび始める。


 膝を腕で抱えるその力が強くなり、スカートにシワがついていく。


 次第にコツ……コツ……という魔物の足音とキャビンの扉が開閉されているのだろう、その微かな振動と音が聞こえてくる。


 音はもう近くまで来ている。


 コツ……コツ……


 足音が止まり、アイリーンの目の前の扉が開かれた。

 部屋の中へと入ってきたその魔物は眠るアイリーンの母をじっと見下ろすと声をかけた。



「あら当たりの部屋だわ。

 マッシュ、起きていいわよ」



(え……? なに……?)



 アイリーンがそう思うのも無理はない。



 横になり眠っていた母が起き上がる。


 しかし、


 タタタタッ……、とそこに近づく足音があった。



 パラディン、「オルランド」だ。


 立っている魔物の背後を素早く奪うと彼は巨大な斧の横凪を浴びせたーー。



 体を二等分に切り裂かれた魔物が断末魔をあげる暇もなく消滅していく。



 斧をおろし、アイリーンの母の様子を観察する彼にジーニィが後ろから声をかけた。



「もう一体いるわ! ベッドの上よ!」



 だが、

 今オルランドの目の前にいるもう一体の魔物は年老いた人間の姿をしている。

 戦闘に怯えてその身を縮める女性を叩き斬るわけにはいかない、と彼の脳裏に一瞬の迷いが生じた。




「甘いね、」



 マッシュはそう呟くと腕を異形のものへと変化させる。

 爪を長く伸ばし、オルランドの心臓目掛け突き出した。


 頭を屈めてその爪を回避し、後方へと下がるオルランド。


 彼の髪を掠った爪がキャビンの扉へと音を立てて突き刺さる。




(何……、何……? 何これ……?)



 アイリーンは突然の戦いにただ戸惑い、背中を丸めて床にうずくまっていた。


 彼女の理解が追いつかない。


 誰なの……? と考えるも、検討がつかず事態が収まる時を待っていた。



 壁に突き刺さる伸びた爪をアイリーンの母、マッシュは座ったまま引き抜いて縮める。


 巨大な斧と細く伸縮自在な爪ではこの狭いキャビンでは爪の方が有利なことをオルランドは悟り、唇を噛み締めて次の手を予測する。




「私に任せて!」


 ジーニィがオルランドの体をどけてマッシュへと杖を突き出した。



“拘束せよ“



 彼女が呪文を唱えると、二枚のシーツが浮かび上がりマッシュの体を包み込む。



(魔法だと!? )



 マッシュは右腕を持ち上げて爪でシーツをすぐさま切り裂こうとするがジーニィが素早く勘付く。


 シーツを素早くその右手首へと飛ばし、壁へと貼り付けた。

 そのまま体全体を覆い、壁に貼り付けて彼を拘束した。

 マッシュは顔から足のつま先まで白いシーツで拘束されてしまった。



「さすがジーニィさん!」



 これで大丈夫、と杖を下ろしたジーニィにオルランドが声をかける。

 彼は斧を軽々と持ち上げて背中に装着した。



「後は、地下ね。行きましょう」



 その場を立ち去ろうとする彼らに声をかけるものがいた。

 まだ、この部屋に残っている者が。



「待ってください……」



 アイリーンだ。

 彼女はうずくまったまま顔を上げ、何が起こっているか知るために二人を呼び止めた。

 

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