第43話 夏の終わり。新たな始まり。
8月21日水曜日の早朝。今日は燈との約束だったデートの日。一昨日までは普通のデートをする予定だったのだが、燈がどうしてもというのでプランを変更することとなった。
というわけで燈から指定されたとある公園へと自転車をこいでやってきていた。
「あ、おはようございます」
集合時間よりまだ少しあるはずなのに既に燈は到着しており、準備運動を始めていた。
「おはよ。一応運動しやすい格好では来たけど…まさか走るとか言わねぇよな?」
公園はかなり広く、大きな池を囲む形で道が整備されている。朝早いというのに走っている人がもう何人かいる。明らかにデートスポットという雰囲気ではない。
「そのまさかです。今日はとことんボクに付き合ってもらいますからね」
「……燈がいいならいいけどよ」
朝から元気いっぱいな燈と共に準備運動をし、涼しいうちにと燈についていく形でランニングを始めることにした。
「………………意外とっ……ついてこれますね……」
「まぁ…………流石に…なっ……」
最初はスローペースだった燈は少しずつギアを上げていった。強がってはみたが正直ついていくので精一杯だ。
「ならもうひとつスピードあげますねー…」
「………………マジかぁ」
痩せ我慢をしていた俺を置き去りにするように燈は更に加速し、陸上部の次期エース様の実力を遺憾なく発揮するのだった。
「はぁ…………はぁ…………ぉえ……」
「もーなんで無理したんですかー」
「男としての…………意地だ……」
「それでバテてたら意味ないじゃないですか~」
コースの3割程度を走った辺りで俺の体力が限界を迎え、近くの日陰で休むことになった。コースの全長が4km前後あるらしいから……ダメだ頭回らねぇ。
「はいどうぞ」
「ありがとう……」
燈が持ってきていたスポドリを手渡され、申し訳なさを感じながら口をつける。ある程度飲んでから燈に返すと、そのまま「ボクも~」と言いながら口をつけた。
「…………どうしました?」
「いや…………」
自然な流れで間接キスをしている燈の口元を眺めていると、燈がキョトンとした顔でこちらを見てきた。
「まさか……今更間接キスで照れてます?」
「……んなわけねぇだろ」
「あ~照れてる~」
「………もう充分だ。とっとと再開すっぞ」
「ちょっと~逃げないでくださいよ~」
ニマニマとうざったい燈から逃げるようにランニングを再開したのだが、あっという間に追い付かれてしまい、結局は走りながら弄られ続けてしまうのだった。
「たっだいま~」
「誰に言ってんだよ……」
早朝から一時間程度のランニングをした後、そのまま俺の家へと直行した。俺達は交代でシャワーを浴びることにし、その後は朝御飯を作り始めた。
「見ててください!栞さん直伝の卵焼きテクニック!」
「見ててやるからまずはお前が手元見ろ」
ふたりで狭いキッチンに並んで朝御飯の準備をする。これも燈の要望のひとつだ。こんなことで燈が満足してくれるなら良いのだが…何かを企んでいる様子もないし、もしかしたら気をつかってくれているのかもしれない。
「「いただきます」」
ランニングに出掛ける前に炊いておいたご飯や、インスタントの味噌汁。そして少し焦げている卵焼きといったなんともいえない朝御飯をふたりで食べる。燈は幸せそうに食べ進めているが、どうしても気になってしまった俺は今日の真意を聞いてみることにした。
「……なあ燈。これでいいのか?」
「…はい。お家デートってやつです」
「お家デートにしてもこれは……」
「『普通すぎる』……ですか?」
俺が言おうとした言葉をまるで予期していたかのように燈は答えた。やはり気をつかってくれていたのだろうか。そう考えて俺が謝ろうとすると、燈はそれよりも早く語り始めた。
「普通なのがいいんじゃないですか。好きな人と同じルーティーンで過ごす。ボクにとってはこれ以上ない幸せです」
「……でも」
「今日は『でも』は禁止です。ボクがこれでいいって言ってるんだから大人しく付き合ってください」
あまりにも情けない。全員を幸せにしたいなんて綺麗事を言っても時間やお金は有限だ。これではいつか愛想をつかされてしまう。それだけなら良い。だけどその先に何かが待ち受けているとすれば俺は…………
「……ねえセンパイ」
俺が何も言えずに悩んでしまっていると燈は箸を置き、俺の隣へと移動してきた。
「……栞さんが言ってたことがあるんです。センパイはボクらに隠してる秘密があるって。今日のセンパイを見てたらその言葉の意味がなんとなく分かってきました」
「…………っ!……それは……」
「あー言わなくていいですよ?わざわざそんなこと聞くつもりもないですし、栞さんも気にしてませんでしたから」
燈は俺の手を優しく握ると、いつもと違った落ち着いた雰囲気で話を続けた。
「センパイが何を想ってて、何があって心を入れ換えたのか、それでどうしてボクらに手を差しのべてくれたのか。そんなことなんてどうでもいいんです。大事なのはボクらが今こうして笑っていられてるってことじゃないですか?」
「………………っ……」
「本当にありがとうございます。あの日ボクを助けてくれて。たまたま陸上部の部室の前に来てくれて。そして、ボクの気持ちに応えてくれて……感謝してもしきれません」
そう言いながら燈はそっと俺の頭に手をのせると、割れ物でも扱うかのような手付きでゆっくりと撫でてくれた。
「カッコ良くて、たくましくて、女誑しで、それなのにおっちょこちょいで、カッコ悪くて、後先考えないおバカさんで、栞さんからもよく怒られて……でもやっぱり優しくて、ボクらを真剣に愛してくれてる。だからボクらはそんな貴方の事が大好きなんです。ずっと側に居たいって思えたんです」
「…………っ……ぅ……」
ダメだ。気持ちを抑えたいのに抑えられない。こんな井伏零央らしくないカッコ悪い姿なんて見せたくないのに、どうしても涙が溢れようとするのを止められない。
「…………頑張りましたね。偉いですね。今日くらい泣いてもいいんですよ。ボクには情けないところを沢山見せてください。だって正妻ですから」
「うっせ……………泣いてなんかっ………ひぐ……うぅ…………」
「はいはい……説得力ないですよ~」
色んな想いが込み上げ、それらが全て涙という形になって溢れだしてしまう。俺が泣き続けていた間、燈はずっと頭を撫でてくれて、ずっと優しい言葉をかけてくれた。
その後の俺達はまるで普通の日常かのようにのんびりと過ごした。サブスクで燈オススメの映画を見たり、漫画を読んだり、ゲームをしたり、夕飯にはピザを頼んでみたりして、ひたすらにだらだらと今の幸せを噛み締めるような1日を過ごした。
こうして俺の井伏零央として過ごした怒涛の3ヶ月は終わりを迎えた。当初の目的は達成し、ここからは何事もない第2の人生を歩むことになる……
はずだった。
「店長。新しいバイトの面接って明日でしたっけ?」
「そうだけど……なんだ水上。まさか狙ってんのか?」
「そんなわけないじゃないですか。ただ同い年だって言ってたから気になっただけです。てか私彼氏いますし。セクハラで訴えますよ」
「それだけはホントにやめてくれ……」
俺の知らない物語が、
「……桜。そして楓。そろそろふたりに言っておかなきゃいけない事がある」
「なんだよ父さん今更改まって」
「とても大事な話だ。ちゃんと聞いてくれ」
「う、うん……分かった………」
存在しないはずだった物語が、
今、始まろうとしていた。
月 日 曜日
イベント名『 』
対象ヒロイン 桜
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