どこまでも灰色な世界でふたり
円藤飛鳥
1章 黒のチョーカー
第1話
「あうっ」
視界が一瞬にして暗くなる。抱き着かれたのだ、と遅れて気づいた。顔を押し付けられているので息が苦しくなり、くびれた腰をバシバシと叩く。
「もっと強く抱きしめてほしいって?」
「んー!」
逆だ、早く離れてほしいのだ。このままだと窒息死する。
「ひなたってクッションの才能あるね。小さくて抱きかかえやすいから」
顔は見えないが、いつものニヤニヤとした笑みを貼り付けているに違いない。腹立しいな、とひなたは思う。甘い匂いでくらくらしてきた。
なぜこんなことになったのか……。
ひなたは情緒をぐちゃぐちゃにされながら、二週間前のことを思い返した。
▼
前島ひなたは拳を固め、よし、と呟いた。振り返ると、友達が不安の色を浮かべて佇んでいた。親指を立て「大丈夫」と示して見せる。
改めて前を向いた。
友達からペンを盗んだ女子が、教室前方の席で頬杖をついていた。気だるそうに窓の外を眺めている。
灰崎さん、と声を掛けるが無視された。
前に移動して膝を曲げ、横顔を見つめながら口を動かす。
「は・い・ざ・き・さ・ん」
「何、おチビさん?」
「チビじゃないよ。一四五あるもん」
「チビじゃん」
彼女は一八〇あるので大半の女子はチビに見えるのだろう。のっぽさんめ、と言い返してやろうかと思ったが踏み止まった。
廻はクラス一の問題児だった。
無断欠席が多く協調性ゼロで、よく意地の悪い発言を連発して周囲を不快にさせている。上級生を脅したことで教師から指導を受けたばかりだった。
顔は整っていて美人だ。髪は茶色のロングで背中の真ん中あたりまで伸ばしている。
ひなたは気合を入れ直して口を開いた。
「カヤの三色ボールペン、返しなよ」
「ペン?」
「ライオンの絵がプリントされてるやつ。拾ったところをカヤが見たって言ってるからね」
廻は筆箱を開いてキャラクターもののペンを取り出した。
「ひょっとして、これのこと?」
頷くと、廻は肩を竦めた。
「私のだから」
「……え、そうなの?」
「拾ったからね」
廻はニヤニヤと笑い始めた。こちらの反応を見て楽しんでいるのだろう。
嗜虐心に満ちた表情をしている。邪悪だな、とひなたは思った。
「返しなよ」
「これを拾ったのは数年前だから、あなたの友達の物ではないと思うよ」
そんなはずはない。カヤが嘘をつくとは思えなかった。
とはいえ、廻は主張を曲げないだろう。このままでは水掛け論になる。
ならば仕方ない。
「いくら払えばいい?」
財布を取り出す。
「へえ、お金で解決しようっていうの? なかなか素敵な性格をしているね」
「いいから金額を言ってよ」
「一万」
「……馬鹿なの?」
「疑われて傷ついたんだ。その分も上乗せしてもらわないとね」
周囲から見られていることに気づく。流石に目立ち過ぎたらしい。
ひなたは声を潜めて言った。
「お願い、返してあげて」
「数百円のペンがそんなに大切? あなたの物じゃないんでしょ」
「……わたしは、こういう理不尽が許せないんだよ」
声に感情が乗る。
本当は払いたくない。それ自体、理不尽に屈することだからだ。でも、友達が理不尽に傷つき、諦める姿の方がもっと見たくなかった。
廻は僅かに目を見開いた。それから、「へえ」と呟き、口の端を歪める。
寒気を感じた。蛇に全身をまさぐられたような錯覚を覚える。
「あげてもいいよ」
薄い笑みを浮かべて言った。
「ただし条件がある。私とデートしてよ」
「それは……一緒に遊びたいってこと?」
「デートしたいの」
言葉に詰まってしまう。いったい何を考えているのか。
廻はペンを持っていない方の手でひなたの頬に触れた。あまりに自然な動作で反応できなかった。
柔らかい手に撫で回され、心臓の動きが早まっていくのを感じる。彼女の手が喉元まで伸びてきて、ひなたは慌てて振り払った。
「気持ち悪いからやめてよ」
「気持ちいいの間違いじゃない?」
くすくすと笑う。
廻は筆箱の中にペンをしまおうとした。咄嗟にその手を掴み、視線が交差する。
ひなたは声を張って言った。
「わかった。デートしよう」
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