ルーラルアンチテーゼ
五倍子染
中学の記憶
「では、次の方」
「はっ…はいっ!」
ガタン!と煩い音を立てて、ガチガチに固まった私は勢いよくパイプ椅子から立ち上がる。
中学を卒業して、進路も決まった春先のその日。
私は地方の芸能事務所が主催する新人アイドルオーディションに臨んでいた。
一次審査は面接。呼ばれて立ち上がった私を、3人の面接官が厳しい目つきでじっと見据える。
私はぐっと唾を飲み込んで、止まりそうもないユーロビートの心音を必死に抑え込みながら、書類をめくった面接官の次の言葉を待った。
「ーーそれでは、自己紹介をお願いします」
面接官の口が開いた途端、私は深く深く息を吸って、『行くぞ』と心に投げ掛けた。
そして数十秒の勝負が始まる。
「ほっ…本城空乃です!夕来市から来ました!あっ15歳です!…ええと、趣味はアイドルを応援すること、それから歌うこと、あとは…そう!一人旅をすることです!えと……えと、最近の一押しアイドルは覆面シンガーのQ'nキューンさんです!初めて歌を聞いた時から2年くらいずっと応援しています!カッコよくて可愛くて、私の1番の憧れです!なのでQ'nさんの曲をよく歌います!お気に入りの曲は2ndシングルのB面『I do rhythm』です!で、えっと………旅は…日常じゃないって感覚が好きです!それからえと、えと、えっと……精一杯頑張りたいです!絶対絶対Q'nさんみたいなアイドルになります!よろしくお願いしますっ!」
言いたい事伝えたい事を呂律滑舌の限界まで捲し立てて、そのままの勢いで深々と頭を110度傾けた。
下を向いた顔が火照っているのがわかる。
息もつかずに言い切った。
絶対に受かった。そう私は確信した。
やり切った、やり切った、やり切った!
今の私のすべて、何もかもを詰め込んだ。
さあ、二次審査のことを考えよう。
これならきっと、いや絶対にーーーーーーー。
「ーー以上の方が合格です。名前を呼ばれた方は二次審査開始時刻までしばらくお待ち下さい。それ以外の方は退出していただいて結構です。お疲れ様でした」
バタン。
控室の扉を閉める音。
カツ、カツ、と
非常階段を下る音。
ウイイン。
ビルの自動ドアが閉まる音。
扉がパタ、と締め切られた瞬間、
「はぁ………」
と私は盛大にため息を吐いた。
その勢いのままに、虚しい言葉がほろりと落ちる。
「なんで私、出てきた……?」
私は肩を落として、その場に立像の如く立ち尽くした。
ひたすらに目の前の生垣に視線を向けて、やや細い歩道のど真ん中を占拠する。
まるで子供の駄々のように、頑なにただそこから動きたくなかった。動いたら負け、そんな気がした。
そして気が付くと、体は動こうとしなくなっていた。
そうやってバカをやっていれば、私と同じ選ばれなかった女の子たちがドアを潜って順々に外へと出て来始めた。
自動ドアの真ん前に構えた立像の私を左右に避けつつ、この場を後にする彼女たち。
後悔からのため息、震える鼻を啜る音やらが、俯いた私の両耳に投げ込まれては過ぎて行く。
「はーあ……」
「アタシ……何がダメなんだろう…?」
「いっぱい、歌もダンスも練習したのに…」
悔しさ、虚しさ、悲しさの滲むボヤキを溢して、何にも成れなかった女の子たちは元居た喧騒の中へと、ガヤの内へと去っていく。
1人、また1人と私の両脇を過ぎていく度、誰かのため息とボヤキが私の背中にズシ、ズシとのしかかる。
重い思いを身に感じながら、私はひたすらに立ち尽くしたまま。
今思えば多分、その行動に深い意味はなかったと思う。
きっとただ、突きつけられた「落選」という結果を受け入れたくなかっただけ。
ただ、現実に対する少しばかりの反抗心が、潔く帰路に着くことを拒んで「せめて一番最後まで居残ってやる」と、私を立たせ続けただけ。それだけだった。
ふと気が付けば、たくさん鳴っていた背後からの足音が聞こえなくなっていた。
そしていつしか、私1人になっていた。
それを認識した途端、頑なだった体に柔軟が戻る。
「……はあ」
私は首だけでビルを振り向き、三階の控え室を恨みがましく睨め付ける。
半開きになった窓の隙間から、元いた部屋の低い天井だけがチラリと見えた。
「……はぁ」
数分前の嫌な記憶がフラッシュバックして、余計に苛立ちを覚えてしまう。
……残った子たちはどうせ今頃、あの天井の下でボーカルテストの確認でもしているんだろうな。
そう思うと一層腹が立って仕方がない。
「全員、落ちればいいのに」
私よりも努力した人間なんて、あの部屋に1人だっているはずがない。私以外が受かるなんて、そんなことあっていい訳がない。
そう思えば、自然と口が動いて毒を吐いていた。
「……そうだよ、どうせみんな半端でやって来たんだよ…適当にこなして適当に仕上げただけのカスなんだ……媚を売って通っただけのカス女ばっかりに決まってる……だから…だから…だからなんで、なんでそんな奴らばっかり、いつもいつもいつもいつも……いつもいつも………!!」
私はもう、苛立ちを抑えきれなくなっていた。
この苛立ちを吐き出すにはどうするべきか、答えはすぐに出た。
私は震える体をゆっくりとビルの正面に向けると、一層強く3階の窓の小さな隙間を睨みつけて照準を合わせる。
そして大きく大きく息を吸い込んで、窓の隙間目掛けて一気に憤りを吐き出した。
「ばーーーーーーーか!!バカばっか!!みんなバーーーカ!!」
吐き捨てた瞬間、私はズガッと強く地面を蹴って駅の方へと勢いよくダッシュした。
背負ったリュックを片手で押さえながら、前を行く通行人を何人も追い越して逃げて行く。
周囲のあちこちから訝しむような視線を向けられているような気がしたけれど、そんなことはどうでも良かった。
同じ落選者の子たちさえも悠々と抜き去って、それでも私は走る足を緩めない。
春先の生暖かい風を顔に受けながら、ひたすら走って走り続ける。
「…っは、ははは……ははははっ!」
勝手に笑みを浮かべる顔に、勝手に出た笑い声。
側から見れば狂った女でしかないけれど、私は何にも気に留めず。
大笑いしながら、駅に向かって走り続けた。
ルーラルアンチテーゼ 五倍子染 @yuno_nagare
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