第5話
気が付くとぼくは病院にいて、ただ一人の第一発見者として事情聴取を受けていた。芳賀ヒロキとは友人関係で、ぼくが彼を探し当てたのはおおよその行き先を聞いていたから、ということになっていた。もちろん、そんな事実はない。ぼくらは会話したことはおろか、生前に対面したことすらない。そのはずだ。
しかし、そう話したのは他ならぬぼく自身だという。それらを証明する通信履歴や証言、写真などの物的証拠まで揃っていると担当刑事も言っていた。
なにか大きな力が裏で働いている気配がある。
ただ、その正体はようとして知れない。
不自然なくらいに、あの日の記憶は曖昧だった。芳賀の毛髪を口にした経緯すら、いまいち判然としない。不自然に欠けた前髪の一部が、誰かに身体を乗っ取られていたのではないか、という疑念を強くする。ぼくがこうした不安を口にすると、医師は「まだ、ショックが癒えていないようですね」と可哀想なものを見る視線をぼくに送った。
身を守る術が必要だった。誰かに口封じされる前に、自分の正気を信じられなくなるより前に、自身の声を伝え広める必要があった。だからぼくは、病室にやって来る記者たちにこう告げたのだ。「自分は霊媒能力によって、芳賀ヒロキを発見するに至ったのだ」と。
ぼくの語った話は、瞬く間に収拾不能なレベルで広がりを見せた。“占い”を実演して見せたのが効果的だったのだろう。髪を食んで占うという珍奇な手法と、驚異的な的中率が面白いくらいに世間の関心を煽った。
ぼくは、黙殺される恐怖から解放された。才能を活かす悦びを知った。
しかし一方で、別の問題が起きてしまった。至おじさんだ。
「折角、毛塚の家を離れたというのに、どうしてまた霊媒に関わるのですか? しかも、あんなに目立つマネをして」
見舞いに来て開口一番、おじさんは咎める口調でそう言った。
らしくもなく、余裕がなかった。
「『好きにやれ』って言ったのはおじさんじゃないか」
「その結果がこれですか。私は『真っ当に生きてほしい』とも言ったはずですよ。毛塚の家から自由になってほしいと」
「自由になりたかったら、霊媒は止めろって? あれは毛塚の家のものだから?」
冗談じゃない。ぼくは十分、この才能に奪われてきた。
学校生活とか、交友関係とか。少年時代に謳歌できたであろう、ありとあらゆる“普通”から疎外されてきた。普通なんてものは、誰かの髪を介してしか観測できない夢物語に過ぎなかった。だから今度は、ぼくが奪い返す番なんだ。
ぼくは、この才能を自分の幸せの為に使い潰す。
そうすることで、奪われた全てを取り戻して見せる。自由になるのだ。
ぼくは、こうなることを待っていた気さえする。
「……自由に振る舞った結果、得られるものが自由とは限りませんよ」
返ってきたのは、奥歯に物が挟まったような物言いだった。
おじさんが帰った後、ぼくはその言葉の意味するところについて考えていたが、翌朝になるとスッカリそのことを忘れていた。退院スケジュールに、その後の取材、番組出演のことで頭が一杯になっていたからだ。
◆◇◆
有名人になって気付いたことがある。それは、霊媒はテレビに向かないってことだ。
あなたは不倫をしているとか、クスリをやっているとか、隠し子がいるとか、間違えても言い当ててはならない。相手の意識を取り込んだ時に、ウッカリ睦言を口走るのも駄目だ。今は番組基準とか、都条例とか、色々とうるさい。だから、相手がどんなにいけ好かない野郎でも、社会的に抹殺しかねない記憶については言及してはならない。
そうなると、もうスタジオで霊媒なんかできたものじゃない。霊媒をした途端に、放送事故リスクの塊になるからだ。ぼくには、アドリブが許されない。要求されるのは霊媒能力でなく、演技力、体力、それに鈍感力。父さんの次は、放送作家の奴隷ってわけだ。
まったく冗談じゃない。『霊媒! サイトスプーク』はぼくの番組だ。
ぼくが主役だ。
「あのう、カミハミ様。あなたは本当に霊が視えるんですか? 幻覚剤などの影響ではありませんか?」
「そこらに漂っているものが視えるわけではありません。私はただ、他人の意識に共感することができるだけ。それ以外は、いたって普通の人間です。それと、これ以上なく正気です」
ぼくこと、カミハミ様は挑発には乗らない。そういうキャラ付けだ。
七色のロングヘアーの奥で、常に悠然と微笑みを浮かべる謎めいた青年。和製メディスンマン。視聴者が求める“カミハミ様”はそういうものなんだ。そんなことをディレクターは熱弁していた。こんな戯けた番組名をつけたヤツの言うことなど、腹の底ではアテにならないと思っているが、とにかくぼくは役割に忠実だった。
目の前の学者崩れ――
「ほら、この指が何本か分かります? 二本です、二本」
「ご心配なく。視覚に異常はありませんよ」
「らりるれろ、って言えます?」
ブチ転がすぞ、この野郎。台本と違うじゃないか。
演出助手にそっと目を向けると、彼女は必死の形相でバッテン印を掲げている。ぼくだけでも、筋書き通りに喋れということらしい。
良いですよ。ぼくはあいつの秘密を知っている。いつでも、致命打を与えることができる。その事実さえあれば、ぼくは誰だって仏の心で許すことができる。やってやるさ。
「らりるれろ、らりるれろ。さて、場も温まって参りましたし、そろそろ本題に入りましょうか。今回のゲスト、宇城さんです。なんでも、宇城さんは霊能力に対して否定的なお立場を取っているのだそうで……」
「はい。この番組は何度か見させていただいてますが、どうも客観的評価が足りていないと感じています。この前、行方不明者を探していたら、白骨体が見つかった回がありましたね。アレなんかもね、正直疑っています。ヤラセじゃないかって」
笑えよ、毛塚クオン。ほら、スマイルだ。
「アレを仕組むのは、至難の業だと思いますが……」
「そうでもありません。たとえば、カミハミ様。貴方が死体を埋めたのなら、何の不思議もありません。元から場所を知っているわけですから」
「それだと、私が殺人鬼のようですね」
「ええ、そう申し上げたんです」
仏の顔も三度、だ。お前は四度、ぼくを侮辱した。
ぼくはもう、演出助手の方を見ていなかった。微笑みを浮かべたまま宇城の頬にゆっくりと手を伸ばし、それからそっと髪の毛を一本抜き取った。途端に宇城が、ギョッとした表情でこちらを凝視する。
「失敬」
「なにすんだ、アンタ!」
「失敬と言ったでしょう。さて、いざ実食とまいりましょうか」
ぼくは宇城の毛髪を、口にポイッと放り込んだ。
舌の上で整髪料の味が広がって、思わず咽そうになる。髪を清める手順を飛ばしたせいだ。乱れかけた呼吸を押さえつけて、舌先に意識を集中させる。瞬間、ぼくは虹天球のもとへと落ちていく。
手順を違えたせいか、あるいは気が立っているせいか、いつもより時間が掛かる。仕事とはいえ、こんな奴と繋げるのは抵抗があるのかも知れない。
とっ散らかった思考を置き去りにして、感覚が宇城のものと同期を始める。
まず目の前に瞑目するカミハミ様、即ちぼくが見えた。七色そうめんみたいな頭しやがって。お腹が減ってきたじゃないか。早くこんな収録は終わりゃ良いのに――クソの役にも立たなそうな思念が流れ込んでくる。次だ。取り敢えず、手近な記憶を漁ろう。
今朝の記憶まで遡ったところで、ぼくはやっと当たりを引いた。
「『私のお皿を同じスポンジで洗うの、やめてくれない?』」
ぼくの口が勝手に言葉を発する。これは宇城の妻、サツキの言葉だ。
最近は、髪の持ち主以外を霊媒してしまうことも少なくない。ちょうどレギュラー枠を得た辺りから、ぼくの能力は右肩上がりに成長を続けている。いっそ怖いくらいに。
「『あんたの唾液を吸ったスポンジなんて、汚物入れに仕舞うのがお似合いだってのに。それがどうして、シンクにあるの?』」
言い過ぎじゃないかな。このままでは掴み合いになりそうだ。
しかし、口は勝手に動き続ける。何かがぼくの意思を超えて、身体をコントロールする。スタジオでは霊媒のフリだけをしろ、とディレクターに言われていたのを思い出す。迂闊だった。身体が椅子から立ち上がるのを、他人事のように感じる。
「あ、あんた、ウチに盗聴器でも付けてんのか……」
「『このごく潰し! ごく潰し!』」
怯えた宇城の顔が見える。これは現実か、それとも記憶か。
現実だろう。握った拳の感覚も、宇城の身体を打つ衝撃も本物そのものだ。
血の匂いがする。ぞっとするほど興奮していた。
「『ごく潰し! ごく潰し!』」
サツキは止まらない。止めることができない。
ぼくは、テレビ局員に取り押さえられるまで殴るのを止めなかった――らしい。
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