第6話
あの時ぼくは、宇城サツキという女性に憑依されていた。
ぼくに落ち度があったとすれば、彼女を抑えることができなかった一点に尽きる。
こんな主張をすれば、当然、裁判官の心証は悪くなる。しかし、それが事実なのだから仕方がない。結局、ぼくは主張を曲げることなく、懲役刑を言い渡されたというわけだ。
丸刈りになった頭は落ち着かないし、いつも何かに身体を乗っ取られそうな気がして落ち着かない。ここにはパイプクリーナーも無いから、毎夜毎夜うなされることになる。
しかし、もっと酷いことがあった。それは刑務所に入ってから、誰も面会に来なかったということだ。父さんも、至おじさんも、学友も、テレビ関係者も誰一人訪ねて来ない。そういうもんだと納得しようとしたが、やはりどうにも人寂しい。
だから、
ようこそ、ギブソンタックの君。
「ぼくのファンかな?」
ファンだろう。皆まで言わないでくれ、分かってる。
続いて出そうになった言葉を、危うく飲み込む。この時のぼくは精神的に不安定で、ハイになっていた。だから、彼女がアクリル板越しに警察手帳を見せてきた瞬間、ぼくのテンションは一息に萎えてしまった。
「何の用です?」
「その様子だと、本当に私のことを覚えていないみたいだね」
「……やっぱり、ファンだった? 前にサインでも書いた?」
「残念、ハズレ」
言いながら、葛城は懐から髪の毛の束を取り出した。
太さや質感から見て、それは紛れもなくぼくの毛髪だった。こんなものを持っている理由は、ひとつしか考えられない。
「かなり気合の入ったファン?」
「違うったら」
葛城は勢いよく髪の束に噛みついた。
瞬間、ぼくの脳内に葛城の意識が侵入する。彼女がぼくを介して口にした言葉、ぼくに代わってしてきた行動が、記憶となって甦った。
そうだ、宇城サツキが最初ではなかったのだ。ぼくは前にも一度、侵襲霊媒を受けている。芳賀ヒロキの刺殺体を発見した、あの日に。思い出した瞬間、ぼくは葛城に対して怯えに近い感情を抱いた。
「げえっ、葛城フジカ」
「ご挨拶だね。きみが有名になれたのは、私のお陰みたいなものなのに」
「じゃあ、ぼくが捕まったのも貴女のせいってわけだ」
「それは違うね。きみがあんまりにも侵襲霊媒に弱いのがいけないんだ。他人に成り代わりたいという欲が強すぎるんだよ。だから容易く意識を乗っ取られる」
幼少期に軟禁されていたらこうもなろう、と言いたいところだったが、それを認めるのは大いに癪なことだった。見透かしたような態度を打ち崩したかった。
「知ったようなことを言わないでください。誘起霊媒もできないくせに」
「別に霊媒なんてしなくても、大抵のことは調べられる」
「どうだか」
「本当だよ」
葛城は取り澄ました笑みを浮かべる。ぼくはこの表情を知っていた。
これは占い師の笑み。暴く側が持つ余裕の表れ。嫌な予感がした。
「私たちは、きみがパイプクリーナーなしで安眠できないことを知っている。きみの好きなお酒も、行きつけの喫茶店も、講義でどの座席に座るかも全て把握している。パイプクリーナーを『シャーリーン』と呼んで可愛がっていたこともね。他にも聴きたい?」
「いや、もう結構。刑務官さん、今の書かないでくださいよ」
部屋の端で聞き耳を立てている青年に声を掛けてみるが、しかし彼はスラスラと筆を走らせ続ける。ぼくの吐いた溜め息の回数まで書きつけていそうな勢いだ。
「ああ書くのね、そう……まったく酷い辱めだ。それで、ぼくに何の用ですか?」
「霊能者らしく占ってみたらどう?」
そう言って彼女は、一口サイズに切られた黒髪をデスクに載せた。平時であれば、カットの仕方におもてなしの心を感じるところだが、生憎と今のぼくは霊媒を恐れている。それを察しながら「占え」と言っているのなら、随分と良い性格をしている。
「遠慮しておきます」
「どうやら、霊媒がトラウマになったというのは本当らしいね」
そら見ろ、知ってやがった。こうやって、掴んでいる情報を順繰りに確かめられるのは我慢ならない。檻に帰って、めそめそ泣きたかった。
言動を記録されているという状況だけが、ぼくの悟性を繋ぎ止めていた。
「あんな事件が起きれば、こうもなります。それに、今のぼくは見ての通り丸坊主だ。こうなっては、満足に霊媒できるかどうかも怪しい。ヒゲのない猫みたいなもんだ。誘起霊媒を頼みに来たのなら無駄足でしたね」
お帰りはあちら、とドアを指さしてやる。すると葛城は頭を振って、
「霊媒も良いけど、私がここに来た目的は別にある。まずは話を聞いてもらいたい。そして、もし協力してくれるなら見返りを用意する」
声のトーンが変わった。ようやっと、本題に入ってくれるらしい。
「見返りとは?」
「それを聞くと後に退けなくなると思うけど。良いの?」
「じゃあ、まず取っ掛かりだけ」
海の向こうじゃ、超能力捜査官なんてのが一瞬だけ流行って消えたが、日本はどうなんだろうか。“カミハミ様”効果で、オカルトブームは九十年代以来の盛り上がりを見せているが、果たして。
ぼくの期待をよそに、葛城はあまり面白くない話題から切り出した。
「きみが収監されてから、一週間も経たない頃。きみの所属会社は、早々にカミハミ様のグッズに関わる権利を全て手放した。そして、次に権利を手に入れたのがデネット・インダストリー。この会社が発売した、〈エクスピ〉という商品が外の世界では流行している。これのことね」
そう言って、葛城は虹色の髪束を差し出してくる。
安っぽい染色が施されているが、質感は本物の髪に似ている。よく出来た人工毛だ。
「カミハミ様の髪型を模した、いわゆるエクステだよ。きみが表舞台を去ってから、世間では『カミハミ様はホンモノ故に消されたんだ』なんて陰謀論が広がっていてね。お陰で、デネット社は大繫盛だ」
「ヒットを喜べって話じゃないですよね」
「もちろん。この商品には、いわくがあってね。なんでも、着けた人間が何者かに憑依されるとか」
話がどこに向かっているのか、分かりかけてきた。
スタジオでの暴行事件が、ぼくの脳裏に蘇る。
「まさか……」
「そう、きみの身に起きたことがそこら中で起きている。想像してみて。捕まった強盗が、痴漢が、誘拐犯が、口を揃えて『憑依のせいだ』って口にする様を」
「販売中止にできないのか?」
「おたくの商品は憑依を誘発するから、って? 冗談でしょ。現在も本邦の法体系は、表向きには呪いや超能力の実在を認めていない。面白がってエクスピを買う馬鹿がいる限り、今後も憑依による犯罪は起こり続ける。直に、この社会は崩壊を迎えるだろうね」
葛城の表情が少し曇る。
聞けば、憑依による被害者は加速度的に増加しており、確認されているだけでも日に百件は下らないという。揉み消すにも限界があるだろう。
「ぼく一人なら兎も角、数が増えると誤魔化しが効かないってわけだ?」
「それもある。でも何より我慢ならないのは、他人の身体で悪事を働いた人間が今ものうのうと塀の外で暮らしていること。許せないでしょ?」
「生憎、他罰主義にかまけるほど暇じゃないもので」
「そうも言っていられないと思うよ。この人、誰だか分かる?」
次に葛城が取り出したのは、デネット社の役員一覧だった。その中には一人、見覚えのある人物の顔写真が映っている。宇城サツキだった。
「まさか、ぼくの商品で稼いでいるとは。皮肉なもんですね」
「この人の旧姓は分かる?」
「さあ、あまり深く潜らない内にこうなりましたからね」
手錠のジェスチャーをして見せる。
葛城は、察しが悪いとでも言いたげな表情で話を続けた。
「毛塚っていうの。毛塚サツキ。我々はこの人物こそ、一連の憑依事件の首謀者と考えている。これはきみの家の問題でもあるってこと」
「確かに、毛塚の人間ならぼくの毛髪を手に入れることも容易いはずだ。筋は通る。しかし、それにしたって、一日に百人単位で人を操るのは流石に負荷が大きすぎる気がしますね。毛塚家を総動員したって無理があるような」
「そう、だから私たちはこれが霊媒師による憑依だとは考えていない」
葛城の言わんとするところは直ぐに分かった。
なにせ、エクスピから感じられる気配は、ぼくのよく知っているものだったから。
「――虹天球、か」
全人類の意識の集積体。ヒト以外で唯一、頭髪を持つ存在。それが虹天球だ。
人間業でないのなら、それは人外の業に他ならない。
ぼくの結論に葛城も頷いた。
「エクスピの中に、人毛とは異なった組成の毛器官が含まれていた。虹天球から採取されたものだと推測されている。ただ、アレが能動的にヒトに働き掛けるっていうのは、どうにも想像しにくいんだよね」
「そうとも限りませんよ。ぼくの家には、こういう言い伝えがあります。かつてヒトには個別の意識というものは存在せず、すべての人間が虹天球の制御下にあった。人体は、髪の毛を介して操られる端末に過ぎなかった。それが何らかの理由で制御を失い、一つに束ねられていた意識は分散を始めたと」
肉体が容れ物に過ぎなかった時代は、幸福だったかもしれない。
少なくとも、その頃には人の死は重大な意味を持たなかったはずだ。身体が死のうと生きようと、意識はすべて虹天球に収められている。その世界では、命に対する責任が限りなく矮小化されている。何かを思い悩む必要もなく、一つの言葉、一つの号令に従って生きていけば良い。それは見方によっては、理想的な世界のはずだ。
「さながら、バベルの塔の崩壊だね。スパゲッティ・モンスター教もビックリな仮説だ」
「でも、今の状況を考えるとまんざら与太話でもないように思えます。弱体化し、ヒトに働き掛ける力を失っていた虹天球が、ここに来て影響力を取り戻し始めた。エクスピに拠らずに人を操れるようになれば、虹天球による侵襲霊媒はさらに影響範囲を広めるでしょう。恐らく、日に数百人どころではなくなるはずだ」
「なるほど。どうやら思っていた以上に、状況は差し迫っているわけだ。やっぱり、話を聴きに来て正解だったよ」
「いやいや、そんな」
ぼくは特大の笑みで、葛城の謝意を受け止めた。
さて、見返りというのはまだか。まだらしい。では訊かねばなるまい。
「……で?」
「で、とは?」
「見返りですよ。それなりにお役に立ったつもりだけど」
ああ、と気のない返事をして、葛城は書類鞄から真っ赤な封筒を取り出した。いかにも重要文書が入っていますといった感じの外観だが、実際その通りで、封筒の表には〈特赦状在中〉と記されている。
ぼくは思わず飛びつきそうになったが、すんでのところで思い留まった。
「そう、正しい判断だね」
葛城はまた勿体ぶった笑みを浮かべながら、封筒を少しずらして見せる。すると、その下には『SKINs 初号作戦 概要書』の文字が並んでいる。
「赤い封筒を選べば、君は晴れて釈放となる。その代わり、きみには引き続き我々の作戦に協力してもらうことになる。エクスピ製造工場の急襲に同行するんだ」
「物騒なのは御免だ、と言ったら?」
「こっちの青い封筒を選ぶと良い。中には、きみの優遇区分を上げるよう記した推薦状が入っている。これで月二回は、嗜好品を買うことができる。まあ、この国が無政府状態にでもなったら無意味だけどね」
期待通りの展開だというのに、ぼくは何とも言えず硬直してしまった。
いざ自由になったとして、自分に何が残っているのか。そのことを考えると、途端に憂鬱になってしまった。
「赤いのを選べって言うんでしょう?」
「そうは言わない。きみが選びたいなら別だけど」
葛城はのんびりした調子で答える。
いっそ脅してほしかった。協力しなければ懲罰房に入れる、とかなんとかって。そうすれば、きっとぼくは役割を果たすだろう。なにせ、ぼくは他人に逆らい続けて失敗してきた人間だ。不服従の結果として、ぼくはこんなところに来てしまった。
命令してくれ。そうすれば、首を縦に振ろう。
見放してくれ。そうすれば、引き下がってやろう。
ぼくに選ぶ気はない。選びたくないのだ。
「きみが何を悩んでいるのかは知らない。だけど、きみが既に状況の一部になっていることは分かっているよね? “カミハミ様”という偶像が、霊媒ブームを作った。エクスピが出回るきっかけを作った」
「作ったのは、テレビ局と宇城サツキですよ。ぼくじゃない。それに正直言って、ぼくはもう外で生きていく自信がないんだ。しでかしたことは変わらないし、霊媒師として食っていくこともできない。遅かれ早かれ、ここを出て行くことにはなるけど、外に出て行ったって何も残っちゃいないんだ。ドン詰まりなんだ」
ドン詰まりなら、何をしたって良い。そう言って、おじさんはぼくの背を押した。
もしそれが正しいのなら、何もしないこともまた是とされるはずだ。
それが、自由というものじゃないのか。
「そっか。そこまで言うなら、仕方ないね」
葛城は溜息を吐くと、せかせかと身支度を始めた。
どうやら、話はご破算ということで決まりらしい。
「ここで大人しくしていれば良い。私たちが失敗したら、残った手は頭髪規定くらいだ。牢屋の外も坊主だらけになるけど、そこは我慢してよね。それじゃあ――」
「待て」
“自由に振る舞った結果、得られるものが自由とは限らない”。
そうか。そういうことか、おじさん。今こそ、貴方の言っていたことが分かった。
「その世界にギブソンタックはないのか? ツイストパーマは? おさげは?」
「なくなる、だろうね。それが……?」
「なら、ぼくが戦う理由はそれで十分だ」
ぼくは、頭髪規定のない世界を守る。そのためなら、虹天球だって壊して見せる。
赤い封筒を受け取って、ぼくは牢獄の外へ出た。
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