勘違いの婚約破棄 ~わたくし、あなたと婚約した覚えはございません~

朝姫 夢

勘違いの婚約破棄 ~わたくし、あなたと婚約した覚えはございません~

「プリメーラ・マルケース! 私はお前との婚約を破棄する!」


 高らかに宣言したのは、エウティミオ・デ・グラーヴェ殿下。グラーヴェ王国の、王子殿下である。

 おもに王族の血を引いた者に見られるという、プラチナブロンドの髪を後ろに撫でつけて。険しい表情で、目の前に立つ令嬢を睨みつけていた。

 それもそのはずだろう。今、彼の青い瞳に映っているのは。ある意味で、憎き相手なのだから。


 ただし。それは彼の視点からしてみれば、ではあるが。


「……おっしゃっている意味が分かりませんが、念のため確認させていただきますね」


 エウティミオに睨まれても、一切動揺を見せないのには訳がある。だがプリメーラは、事実確認をしておくことを優先した。

 それもそうだろう。このまま会話を続けていても、平行線を辿たどるだけなのだから。


「どなたが、どなたとの婚約を、破棄されるのですか?」


 そう、そこだ。プリメーラにとって最も重要なのは、そこだけなのだ。


「決まっているだろう! 私とお前の婚約を、だ!」

「エウティミオ殿下と、わたくしの、ですか?」

「そう言っている! 聞こえなかったのか!?」


 聞こえてはいますよ。

 とは、口には出さないが。心の中だけで、プリメーラは呟いた。


「……なるほど。それで?」

「お前は夜会やお茶会で、たびたび特定の令嬢を仲間はずれにして、嫌がらせをしていたそうだな」

「身に覚えがございませんが?」

「とぼけるな! 私も部下に調査させて、間違いないと報告を受けているんだぞ!」

「それはそれは……」


 なんとも、杜撰ずさんな調査ですね。とも、口にはしない。

 その代わりに、そっと視線をめぐらせれば。時折、明らかに逸らされる目線。


(なるほど。あちらの伯爵様と、そちらの侯爵様。それから何名かの、子爵様ですね)


 ほとんどに共通しているのが、基本的に若くして爵位を継いだ者たちだということ。

 つまり。


(首謀者はおそらく、年齢の高い侯爵様と子爵様。そのほかの皆様は、そもそもこの国の事情をご存じないのでしょうね)


 プリメーラの意志の強そうな緑の瞳が、つっと細められる。

 困ったことだとは思いながらも、この場を収めることができる人間が自分以外に存在していないことも、十分承知していた彼女は。ひとつ、小さくため息をついてから。


「そもそもわたくし、あなたと婚約した覚えはございませんよ? エウティミオ殿下」


 その場の空気を変えるためのパフォーマンスとして、赤みの強いブロンドの髪を後ろに払ってみせてから。衝撃的な一言を、あえて放つ。

 それは、目の前の何も知らない王子殿下と。そして同時に、そう思い込んでいた数少ない貴族たちを驚かせた。

 が。


「うっ、嘘をつくな! お前は、将来王妃になるための教育を受けているはずだろう!?」


 にわかには信じられなかったのだろう。エウティミオは、プリメーラの言葉に食って掛かる。

 実際プリメーラは幼い頃から城に通って、将来のために様々な教育を受けてきた。それは間違いない。

 だが彼は、分かっていなかった。いや、むしろ知らなかったのだろう。それが、誰のためなのかということを。


「確かに、私は将来王妃となるための教育を受けてきました。ですが、それはここにいる皆様もご存じのはずです」


 その言葉に、誰もが頷く。

 そもそも今この場は、こんなことをするために開かれているのではない。もうすぐ到着するはずの、現女王陛下の王配をお迎えするための場なのだ。

 この大陸を治める帝国に、グラーヴェ王国の次期国王となる人物の立太子の許可をいただくため。体調不良で療養中の女王陛下に代わり、王配が帝国へと向かったのだ。


 その結果が、今日もたらされる。


 国の未来を決める判断が、帝国に受け入れられたかどうかを知るために。彼らは今、王の間に集まっているにすぎない。

 それなのに、こんなことになっているなどと。

 いくら帝国が大陸を統一してから、何百年と争いが起きていないとはいえ。あまりにも緊張感がなさすぎると、王配だけでなく女王陛下にもお叱りを受けることになるだろう。

 彼らの第一子である、エウティミオが。


(けれど、そんなことわたくしには関係ありませんから)


 そもそもこんな茶番を始めたのは、エウティミオのほうだ。それならば、責任は彼にある。

 プリメーラは早々にそう結論付けて、話を続けた。


「なにより大前提として、第一位の王位継承権をお持ちなのは、エウティミオ殿下ではありません」

「な!? そんなはずはない! 私は現女王の第一子だぞ!?」


 それも、確かに事実だった。

 だが、同時にそれが混乱を招く種だったのだと。プリメーラを含め、多くの貴族たちが理解し始める。

 最初から、その考え方が間違っているのだ、と。

 そしてそれが当然のことだったせいで、誰も説明してこなかったのだということも。


(あるいは、わざと伝えてこなかったのか)


 その可能性のほうが高いのだろう。エウティミオにも、教師がついていたはずなのだから。

 つまり、その教師が買収されていた。おそらくは、先ほど目を背けた侯爵あたりに。


「本来ならば現在の帝国法では、女性が王になることは特殊な場合を除き許可されておりません」

「そうだ! だから母上は……!」

「一時的な王として、帝国に許可されました」

「……え?」


 その瞬間、エウティミオの時が止まった。

 言われたことの意味を、理解できなかったのだろう。それもそうだ。彼の中で、王といえば母親を意味していたのだから。

 だがそれが、一時的なものだった、などと。そんなことは、誰も教えてはくれなかった。


「先代の国王陛下ご夫妻が、帝国にて開かれる王族会議に参加されるために向かわれた先で、事故に遭われ亡くなられた、その当時。王位継承権第一位のお方がまだ幼かったため、王の座につける年齢になるまでの仮初かりそめの王として、女王陛下が選ばれたにすぎません」


 それは、帝国側が安全確認をおこたったからという理由でもあった。

 本来、王族会議に出席するために通る道は全て、帝国側が整備しているはずだった。そうでなければ、王国同士のいさかいが起きてしまう可能性があったから。

 けれどその道の一つが、自然災害によって地盤がもろくなっていることに気付かず。結果、この国は王を失う事態におちいってしまった。

 落ち度は全面的に帝国側にあるとして特例を認めたのは、他でもない現皇帝陛下。だからこそ、大陸内では珍しい女王陛下が誕生したのだ。


「現在陛下は過労でお倒れになってしまわれましたが、本来であれば帝王学すら学ばれていらっしゃらないのです。そのうえ、公爵夫人としてお屋敷の管理にまで指示を出されていて……」


 そんな状況では、お倒れになってしまってもおかしくないだろうというのは。良識ある臣下しんか一同の、共通認識だった。


「ま、待て待て! 公爵家は、エニオが管理しているはずだろう?」

「ご存じないのですか? お屋敷自体のお庭や調度品に関する部分は、ご当主ではなく夫人の管轄(かんかつ)なのですよ?」

「え……」


 現女王陛下は、前国王陛下の妹君。つまり、公爵家に降嫁こうかしたはずの身だったのだ。

 それが突然、王として振舞うことになったのだから。心労しんろうはいかほどだったのか。

 いくら王族として育てられたからとはいえ、上の息子がその苦労を一切知らなかったなどとは、思いもしていないことだろう。

 なまじ下の息子は、しっかりと公爵家の跡継ぎとして育っているだけに。何とも言えない気分になってしまいそうだ。


「ですので、一日でも早く新しい国王陛下に即位していただくために。すぐにお傍でお支えできるようにと、わたくしも幼い頃より学びに励んできたのです」

「そ、それは……。だが――」

「もちろん、殿下が王位に就かれる可能性も否定はできません。ただしそれは、次期国王陛下に万が一のことが起きた場合に限り、です」

「な……! それではまるで、私は予備の王子のようではないか!」

「そうです。予備です」


 エウティミオは、否定して欲しかったのだろう。

 だが返ってきたのは、無情なまでの肯定。

 残酷な事実を、当時まだ幼かった彼に教師が言えなかったというのであれば、理解できなくはない。

 だが、とうに成人を迎えているにもかかわらず、未だ自分の立場を知らぬままというのは大問題だ。それがどんなに、非情なことだったとしても。


「そ、んな……。それなら、次の国王は……」

「レジェス殿下に決まっているだろうが! このたわけ!!」


 突然聞こえてきた声に、全員が入り口を振り返る。

 そこに立っていたのは、皆が帰りを待ちわびていたはずの人物。女王陛下の王配である、ドウケイ公爵だった。

 そして、その隣に立つのは――。


「……エウティミオ殿下。わたくしの婚約相手は……いえ。わたくしが愛するお方は、生涯にただお一人だけです」


 一切エウティミオのほうを見もせず、ただそれだけを告げたプリメーラは。扉の前に立っている人物に向かって、淑女として最大級の礼をとる。

 プラチナブロンドの髪を後ろになでつけ、青みがかった優しいグレーの瞳を持つ彼こそが。この国の王位継承権第一位を持つ、レジェス・デ・グラーヴェ殿下その人だった。


「この愚息ぐそくが! まんまと王家にあだなす貴族に騙されよって!」

「ち、父上っ……」

「お前のことについてはあとだ!」


 そんな親子のやり取りにばかり注目が集まっていたが。現公爵であり王配である人物は、するべき事の優先順位をしっかりと理解していた。

 集まっている貴族たちの顔を、ぐるりと確認すると。それはそれは嬉しそうな顔で、王の間中に聞こえる声でこう宣言したのだ。


「皇帝陛下より許可をいただけた! レジェス殿下の立太子に向けて、すぐに準備に取り掛かる!」


 その瞬間、広間の中は大歓声に包まれる。

 望んでいた瞬間が、ようやく訪れたのだ。ごく一部の貴族を除いた、ほぼ全員が拍手で出迎える。

 未来の国王陛下となる、新しい主君の帰還を。


 ただし。


「遅くなって、ごめんね」


 その張本人は、一度手をあげて応えただけで。すぐにプリメーラの側に歩み寄って、声をかけていたけれど。


「いいえ。それよりも、おめでとうございます、レジェス様。そして、お帰りなさいませ」

「うん、ただいま。ありがとう」




 こののち

 ドウケイ公爵の宣言通り、その日のうちに立太子に向けての準備が始まり。

 決定から異例の速さで、レジェス王太子殿下が誕生することになった。


 その裏で、エウティミオを騙していた貴族や教育係が静かに逮捕され。騙されていたエウティミオが、プリメーラに謝罪をし。

 そうして、エウティミオの再教育が始まることになるのだが。


 それはまた、別のお話。






―――ちょっとしたあとがき―――


 素直すぎる王子も、考えものですね。

 ちなみにエウティミオが聞かされていたのは全て嘘ばかりで、正義感が暴走した結果の婚約破棄宣言でした。


 不運が重なってしまっただけで、エウティミオは決して悪い子ではないのです。

 両親も帝王学を知らないので、教えられる人が限られていたというのが、彼にとっての不運だったのでしょう。

 でも根は真面目なので、このあとちゃんと学び直しますし。そもそもお馬鹿ではないのです。


 婚約破棄宣言する王子が、真正のお馬鹿さんじゃない場合はどうなるのかなーという思い付きから、今回のお話ができあがりました。

 正直、短編は苦手なので……。ちゃんとまとまっているのか、だいぶ不安ではありますが(=ω=;)

 楽しんでいただけていれば、幸いです。





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