普通じゃない僕

こじ

普通じゃない僕

 僕は普通じゃない。と言っても、普通の定義が曖昧な僕にはよくわからないが。でも、周りと違うとは思ってる。それは、昔からずっと。

周りと違うと言うと、何か特別な存在であり、いい印象があるかもしれない。でも、そんなのは間違ってる。少なくとも僕はその「普通じゃない」せいで、人生が壊れた。では、どのように「普通じゃない」のか、人生を遡ってみよう。と言っても、まだ17年しか生きてないから、そこまで遡る必要はないけど。

 2007年6月25日、岐阜県のとある病院で僕は生まれた。名前は「あたる」。のちに親から聞いだが、名前の由来は親の好きなアニメのキャラクターから取ったらしい。小さい頃の僕は、目が大きくて、とても可愛らしい顔立ちをしていたらしい。僕には兄と妹がいたが、僕が幼かった頃はその可愛さから、親はずっと僕を抱っこしていたらしい。今じゃ考えられないけど。

そんな感じで、家族円満に暮らす…とはいかなかった。僕が3、4歳の頃、親が離婚をした。僕と兄妹は、母親と4人で暮らすこととなった。これが、僕の人生が壊れ始める予兆だった。好奇心旺盛で人見知りなんか全くしなかった僕は、兄妹の中で一番親に鬱陶しがられていた。そのうち親は、おとなしい兄妹のことをよく可愛がった。逆に僕は、よく怒られた。母親は、平気で僕の頭を叩く人だった。そのせいで僕は、母親は怖い存在だと認識した。それと同時に、兄妹が羨ましかった。「僕だって本当は甘えたりしたい」と。

 親は、兄妹に色んなことを教えた。僕は、ほとんどなにも教えてもらえなかった。親は、兄妹のことをよく褒めた。僕なんか、褒められたこともないのにね。そうやって僕は少しずつ「孤独」になり始めた。

7歳になり、僕は小学生になった。僕はもちろん優等生…じゃなくて、劣等生だった。宿題もやらなかった。と言うより、やらなきゃ怒られるものと認識してしまい、自分から進んで勉強をすることができなかった。当然のように、親や先生は僕のことを怒る。僕が悪いのはわかってた。でも、やったら褒めてくれたりしてくれてもよかったじゃないかと今でもよく思う。そのうち、周りの子達は、僕のことをバカにしだした。最初は軽い暴言だったが、学年が上がるにつれて、どんどんエスカレートしていき、小学四年生の頃には、「いじめ」に発展していた。学年のほとんどの人が僕をいじめていた。先生は当然、宿題ができないことから起きたことだから、いじめっ子たちの味方だった。親も僕の味方をしてくれなかった。僕は居場所を失った。その時に初めて「死にたい」という感情が僕の中に入ってきた。あの頃の感情は、今でもよく覚えている、そんな小学四年生だった。

 小学四年生もそろそろ終わりの時期に、親が再婚をした。おかげで僕は、新しい場所に引っ越すことになった。嬉しかった。小学五年生に上がると同時に僕は愛知県の学校へ転校をした。新しい人たちとはうまくやっていきたいと思った。もちろん思ってただけで終わった。前よりはマシになっていたものの、宿題を忘れる癖は治らなかった。そのせいで、結局バカにされた。でも、いじめではなく「いじりキャラ」と言う新しい立場になった。聞こえはいいかもしれないが、もちろんのことながら、苦しかった。でも、弱音を吐いたらまた前みたいにいじめられてしまう…、そう考えて、僕は我慢して、強がっていた。どれだけ傷ついても、本音を隠した。もちろん、誰にも本音を言わなかった。

 再婚した父親や、母親や兄妹とはうまくいってるかって?もちろんそんなわけがなかった。兄は再婚する時に、僕の親の叔母に当たる人の養子になった。妹はもちろんついてきた。新しい父親は、僕と妹を比べる人だった。妹は猫っかぶりで「女の子」だから、父親は甘かった。つまり、父親も母親も僕に対する当たりが強かった。結局かよってなったよそりゃ。僕はそのうち、父親から虐待を受けだした。虐待と言っても、殴られたり蹴られたりはしてない。暴言を吐かれたり、存在を否定されたり、他の家族と差別されたりした。もちろん味方はいなかった。中学生に上がったばかり、環境も変化していて、ストレスがかかる時期に虐待をされたから、僕もちゃんとした判断ができなかった。僕は他人の自転車を盗んだり、親のお金を盗ったりしだした。悪いこととわかっていたのに、そういうことをしてしまった。そのことを学校に知られ、僕は学校から呼び出しをされた。学校に行く前、親に殴られた。椅子に座っていた僕の胸ぐらを掴んで押し倒し、頭頂部を一発。(石頭だったから、殴られる痛みより押し倒された時の方が痛かったんだけどね)

その後、僕は走って学校に行けと言われた。その時に僕は逃げた。祖父や大叔母さんがいる岐阜に逃げた。国道を結構な距離歩いたあと、ワープゾーンと呼ばれる山道をひたすら歩いた。制服(冬服)を着たまま逃げたから、今でも汚れていたはず。空は薄暗くて、喉はカラカラだった。思わず道端でうずくまったら、親切な人が駅まで乗せてくれた。「これで電車に乗りな」と、1000円を渡してくれた。今思うと、感謝しかない。電車に乗って、そこから少し歩いた場所に大叔母さんの家があったが、時間はもう夜遅かったから、野宿をして明日訪ねようとした。夜道を制服を着て歩いていたら、案の定警察に保護された。事情を話した。もちろん怒られたし心配もされた。そりゃ、愛知から岐阜に家出してきましたなんて聞いたら心配はするだろうけど。

 警察はこのまま家族の元に返すのはダメと判断して、僕は岐阜の保護所に行った。保護所で一晩を過ごして、次の日の朝に愛知の保護所に移動した。保護所暮らしはとても快適だった。ひとりぼっちじゃなかったし、周りの人は優しかった。初めて「ぬくもり」を感じれた。

 保護所で1ヶ月半ほど過ごした後、僕は家に帰った。最初はよかった。家でも別に虐待なんかされなかったし、学校でもあたたかく受け入れてもらえた。最初は、ね。数週間すると、親は戻った。前ほどひどくはなかったが、差別をしたり、存在否定をされることはあった。数ヶ月すると、学校での「いじりキャラ」という立場が戻ってしまった。そう、なにもかも戻ってしまったのだ。でも、中学校での生活は楽しかった。いじりキャラだったけど、少しは愛を感じていた。少しは。

 中学3年生になった頃、学校でタブレット端末を家に持ち帰って良いと言われた。スマホを持ってなかった僕からしたら、すごい嬉しかった。ネットの世界に初めて入った。最初は使い方がよくわからなかったが、徐々に使いこなせるようになった。中3の夏の終わり頃、ネットの彼女ができた。同じ地方に住んでいる人で、同い年で、似たような境遇の人だった。人生幸せだと思えることができた。日常で楽しいと思えることが増えた。とにかく幸せだった。

 中3の11月末、僕は引っ越すことになった。理由は親の虐待。母親が父親の虐待が許せなくなって、岐阜にいる祖父に僕と妹を預かって欲しいと頼んだ。祖父は渋々受け入れた。また環境が変わった。でも、やはりうまくはいかなかった。引っ越した先には、祖父だけではなく、兄や大叔母さんもいた。祖父や大叔母さんは、僕のことをとにかく嫌った。生活態度が悪いだの、家族に対する愛想がなってないだのと。僕はこの頃に少しずつ壊れが自分でわかるくらいに出てきていた。人生すごい辛いと思い始めていた。その時期と同時に、彼女と別れた。別れたと言うより、捨てられた。別れた後も関係はつづいたが、色々悪く言われて、関係も途絶えた。その時に僕は確信した。「僕なんか必要ない」と。それから、壊れていく速度も上がった。周りが見ても「壊れてる」と思えるほどまで。

その後僕は、定時制の高校に入学した。精神状態がボロボロになり始めだったが、何とか学校に行ってた。でも、流石の僕にも限界があった。リストカットやオーバードーズをすることがあった。今はしても辛いのに変わりないからしなくなったけれど。どんどん心も体も壊れていき、「今日よりも辛い日はない」と言うのが毎日のように更新される日々を送った。そして、今に至る。

 どう?僕が「普通じゃない」って言われる理由、なんとなくわかってもらえたかな。この先僕は、長生きできるかわからない。そのうち、自殺でもするんじゃないかなって思ってる。残り少ない人生だとしても、長い人生だとしても、少しでもマシな日が来て欲しい、そんなことを思う毎日。今日も、明日も、辛いとわかりながら、ほんの少しの希望を願って僕は生きる。「普通じゃない」人生を。




たあとがき


 僕がこの作文を書こうとした理由はありません。でもきっと、助けて欲しかったり、僕の現状をわかって欲しいのだと思っているから書いてるんじゃないかと思います。この作文で起きたことは、僕が実際に起きたことを全くそのまま書いています。なお、生年月日と名前は実際と異なります。多くの人に読んでもらえると幸いです。

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普通じゃない僕 こじ @koryuno411

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