別れたい、けど
あひるくん
第1話
僕は、今まで順風満帆な高校生活を送っていたと、そう自負している。赤点は取らないし、宿題を忘れて怒られることもない。僕の望んだ通り、これといって目立つともない、地味が故に過ごしやすい日々であった。
普段、他人の会話に名前が上がるほどのものではない僕も、ただ一つの話題においてその名前は常に発されていた。学年で一番の美人で、学年で一番の陽キャ、アヤネは僕の彼女である。そういう意味では、学年中から一目置かれていたのかもしれない。
アヤネを一言で表すなら、真面目な陽キャだ。彼女は勉強もできるし、先生に怒られているところとかも見たことがない。ヤンチャだという噂も聞いたことがない。そして、常によく目立っている人間だ。みんなが憧れる陽キャ、そういった感じであろうか。何か行事があれば実行委員として全校生徒の前にたち、生徒会の書記としても名を轟かせている。加えて部活での表彰や全校合唱の伴奏など、体育館のステージに立っているアヤネをみんなは何度見ていることか。極め付けは一度見たら忘れることのできない、あの美しい顔とモデルのようなスタイル。テニス部での日焼けも相まって、誰も文句をつけられない見た目をしていた。これは好きフィルターが差し込まれているわけではない。これが男子の総意であることを、僕は声を大にして言いたい。
しかし、今、高校二年生の秋になって、僕は悩みの毎日を与えられている。彼女のことについて、毎日のように頭を抱えているのだ。
最近わかってきた。気づいてしまったのだ。僕とアヤネはずっと一緒にはいれないことに。僕たちがこれ以上一緒にいることは僕のためにも、アヤネのためにもならないということに。
最初は、アヤネとの毎日がただひたすらに楽しかった。ずっと一緒にいたいと思ったし、二十四時間ずっと隣にいてほしかった。でも、僕たちはそうやって依存しあっていく。
僕は母親がいない。母は、僕に「ママ」と呼ばれる前に天に呼ばれたようだ。だから、僕は幼すぎた故に母親を失った悲しみを味わったことはない。ただ、母親を失った苦労は痛いほど味わっている。今は父と弟とで男三人暮らし。弟が僕の前に姿を現したとき、もうそこには母はいなかった。大人は何も言ってこないが、おそらく母は弟の出産と同時になくなったのだろう。弟にはこんなこと、口が滑っても言えないが。
男三人の生活は、多分体験したことがない人が思う以上に難しい。僕たちが幼い頃は、母の両親が僕たちの面倒を見てくれた。だが今は、父母の両親どちらとも施設に入っている。僕が生まれた時両親が三十後半だと聞いているので、妥当と言えば妥当だ。今になれば、父はどれだけ大変な思いをしたのだろうと頭が勝手に考えてしまう。
母親がいない小学生というのは肩身が狭いものである。
「シロはお父さんとお母さんどっちが好き?」
何回も聞かれた。聞かれるたびに僕は惨めになった。
だんだんと僕は一人を好むようになり、気がつけば趣味は読書。ただ、その甲斐あってか、中学に入ってから勉強は得意な方だった。それが心の拠り所で、一人の時間があれば僕は教科書を開いていた。
アヤネは、このような僕の暗い過去について知らなかった。僕が話したことないのだから知っているはずもない。僕が初めて彼女にこの話をした時、アヤネはとても真摯に話を聞いてくれた。僕もこのことを誰かに話したことはなかったので、他人に相談した時の心地よさ、満足感をこの時初めて味わった。聞けば、アヤネもアヤネなりの悩みが多くあるみたいで。
『少しでも気分が落ち込んだらまた私に言ってね。甘やかしてあげる!笑』
僕はこの時初めて「甘える」という感覚を覚えた。
『またお父さんと喧嘩した。』
アヤネは父親と仲が悪かった。母親とはとても仲が良く、アヤネがお母さんのことを尊敬しているのは聞かなくても感じられる。しかし、彼女の家庭は夫婦共働きということもあってアヤネと父親の二人になることが割と頻繁にあるらしい。
その際、お互い何も喋らなくとも自然と険悪なムードになるそうだ。何もアクションを起こさずともお互いに不機嫌になり、些細なことでも喧嘩に発展してしまうというのが常であるらしい。話には聞いていたが、実際に報告をもらったのはこの時が初めてだった。
『今電話してもいいかな・・・』
そんなLINEが届いた。
アヤネはかなり精神を削られていた。いつも笑顔でみんなに囲まれているアヤネにこんな一面があるとは。こういうところまでもかわいいと思ってしまう。アヤネの声をたくさん聞いた。泣きそうな声、怒っている声、慰めてほしい声。僕はその一つ一つを丁寧に聞きとり、丁寧な言葉をかけ続けた。
「少しでも嫌なことがあったらまた電話かけてきていいよ。たまには俺も甘やかしてあげるよ笑」
僕はこの時初めて「甘やかす」という感覚を覚えた。
それから、少しでも気分が落ちたことがあればすぐにアヤネに相談した。甘やかして欲しかったからだ。逆にアヤネが弱っていそうであればどんな時間をも犠牲にして彼女を甘やかした。彼女の甘える姿が、また僕の心をドロドロに溶かした。
こうして僕らはどんどん依存の泥沼に落ちていく。二人で、笑顔で、手を繋ぎながら。そして心のどこかで危機感を感じながら。
気がつけば、自分で自分の精神を不安定にしていた。なぜか。アヤネに甘やかしてもらうためだ。アヤネに甘やかしてもらうのが楽しかったとか、そう言った単純な話ではない。本能的に、もう何も考えずにそうしてしまっていたのだ。きっと体が欲していたのだろう。そうやって僕は、自ら自己嫌悪へと飛び込み、自分のせいで頭を抱えて病み、その見返りをアヤネの慰めに求めていた。
きっと、アヤネも同じだったのではないだろうか。僕と付き合い始めてから、きっと彼女も僕に甘えることに沼っている。これを僕たちが言葉にできたのなら、もっと楽に慣れたのかもしれない。「自分の時間も欲しいから電話の回数を減らそう」とか、「勉強もしたいから今日は相談に乗れないや」とか。でも僕たちは無理だった。そう簡単にサバサバとした関係に戻れないのは自明である。
きっと僕は、一緒にいてはならない存在なのだ。これ以上一緒にいると、お互いをダメにしてしまうから。やはり、覚悟を決めない、こう思うのはこれで何回目であろうか。
いま、僕らが今まで紡いできた思い出が、僕の決断を力づくで抑えにきている。告白されたあの日。文化祭を終え、二人だけで帰った日であった。あたりが暗くなり始め、天気は小雨となった。微小に僕らに降り注ぐ雨粒が、シチュエーションに趣深さを加えていた。僕たちは傘をさしていなかった。そんななか、初めて僕たちは手を繋いだ。あの時の純白な僕なら今僕とアヤネの関係にとどめをさせるのだろうか。
初めて東京に行った日のことも鮮明だ。噂に聞いていたプリクラというものを取ったりもした。二人で写真を撮るのは初めてだったので変に顔がこわばってしまった。その後、食べ歩きもした。初めての経験であり、青春を感じた瞬間であった。
クリスマスも、充実した一日となった。この日は、二人で部活を休んだ。少し悪いことをした、という感覚と事実が、この日を余計ワクワクしたものにさせる。ずっと手を繋いで、時には写真を撮って、時にはキスをして。僕らにとって、やっていることは「普段通り」であった。しかし、多くのカップルに囲まれて高揚感が増す。一番楽しかった日はと今聞かれたら、おそらくこの日と答えるだろう。そういえば、その日は少し雪が降っていた。
確かに、いうまでもなく楽しい日々であった。それは間違いないのだが、今、こうして思い出すのはあまり楽しくない。なぜだろう、それでも思い出さずにはいられない。
思い出はこれだけにとどまらない。ほぼ毎日寝落ち電話をしたこと。一緒に帰るとなったら荷物を持ってあげて、車道側を歩くように心がけたこと。日々の出来事が懐かしくてつらい僕たちの思い出となっている。
僕は今、この思い出の泥沼から抜け出す方法を探している。必死に試行錯誤しているのも僕であり、足を引っ張っているのも僕である。一緒この関係が続かないのはわかっているし、これ以上の関係はむしろ僕たちにとってマイナスであるということもわかっている。はっきりと言えば、別れた方がお互いのためだということは分かりきっている。
なのに、なぜ僕はこんなに苦労しているのか。なぜ僕はこんなにも行動に移すのを躊躇わなければいけないのか。
もしかしたら、本当に泥沼なのかもしれない。どうにかしようと心の中で必死でもがくよりも、知らないふりをして、ただおとなしくしている方が楽なのかもしれない。
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