善と悪は紙一重

オキテ

アクマ編

悪夢

 僕は戦友を抱えながら走る。


 遠くの山がごうごうと燃えている。


 肉の焼けた臭いが鼻を刺す。


 実に旨そうで、実に最悪な臭いだ。


 近くの森の中へ逃げ込み、彼を仰向けに寝かせる。


 戦友は胸に空いた風穴を押さえながら、僕に何かを伝えようと口を開いた。


「__________」


 だが、彼の声はノイズ混じりにしか聞こえない。


 まただ。


 またあの夢だ。


 僕は自分が夢を見ている事に気付いた。


 200年を経ても色褪せない記憶。


 克服したはずのトラウマ。


 かつて世界を混沌へ陥れた戦争。


 モルゲンレーテとアーベントレーテという大国同士の争い。


 「世界大戦」と呼ばれている、童話のようなくだらない話。


「__何度でも言うよ」


 僕は今にも落ちてきそうな黒雲を仰ぐ。


 血塗れの拳を握り締めた。


「確かに僕は大勢の人を殺したよ。だけどね、僕は後悔も反省もしないよ」


 遠くから、微かに鬨の声が聞こえる。多くの人間がまた命を散らすのだろう。


「数千人の他人と、愛する人の命。天秤に掛けるまでもないでしょ? 僕はエルアを……妻を守る為なら……」


 だんだんと意識がハッキリしてきた。


「家族を守る為なら、なんだってしてやるさ」


   ***


 穏やかな朝の事。1人の男が目を覚ます。


 肩まで伸びる純白の髪に切れ長の藍色の目。


 彼の名はランドール。人間型アクマと呼ばれる種族の男だ。


 ベッドから半身起こす彼の肌は陶器のように白く、細身で背高なのが分かる。


 視線を下にやると、彼の妻であるエルアが寝息を立てているのが見えた。


 絹糸のようなグレーのショートカットが朝日に照らされる。


 「エルア」とランドールは妻の名を呼び、彼女の頬にキスを落とす。


「ん……ん?」


 目を覚ました彼女の瞳は、ルビーのように紅く美しい。


「……おはよ」


 と、エルアは眠たそうな声を上げ微笑む。


 ランドールは「おはよう」と返し、彼女に覆い被さり口づけをする。


「……また戦争の夢を見たんでしょ」


 エルアはランドールの背に手を回した。


「えへへ、分かる?」


 ランドールは微笑んでみせた。


 彼の鼓動が速まっているのを肌越しに感じる。


 ……怖かった癖に。


 エルアは夫の背を優しく撫でた。


「分かるわよ。何百年一緒にいると思っているの?」


「843年」


 ランドールは何でもない事のように答える。


「相変わらず凄い記憶力ね」


「君とエミールの事なら何でも覚えてるよ」


 その代わりに家族以外についての事は全く覚えていない。もはや覚える気も無い。


「……未だに、あの夢を見るんだ」


 ランドールはエルアの胸に顔を埋める。


「戦争後遺症も良くなったんだけどね。まだ忘れさせてくれないみたい」


 エルアは夫の頭を撫でた。


「とっくの昔の話なのにね」


「……どうしても、忘れられない事ってあるものよ」


 エルアはランドールを抱きしめると、「大丈夫、ずっと私が側にいるわ」と囁いた。


 ドアが軋みながら開く音が微かに聞こえた。


 子供部屋で寝ていた娘のエミールが起きたのだ。


「……さ、私達も起きなきゃね」


「……そうだね。でも、もう一回__」


 彼らは再びキスを交わした。

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