あの、聴いてくれませんか

雨乃よるる

1

(あの、聴いてもらえたり、します?)

(あの、私ずっと、ひとりだったんです。)

(ええ、友達はいました。家族もいました。幸せでした。私はひとりじゃなかったんです。)

(で、あの、聴いてます?)

(ところで私、ずっとひとりなんですよ。)

(ええ、今もそうです。結婚もしていません。ただ、年老いた母がひとり、いまして。)

(ええ、そうですね、母も、ひとりです。先立たれましたから、娘に。)

(ああ、私は、母の娘じゃないんです。あの、母は、私の母ではなくて。そう、誰の母でもないんです。)


「おかしいな、なんか」

 高津は唾を吐いた。剥き出しのコンクリに黒くシミがついた。そこを、高津は革靴で擦るように踏んだ。

「少年、なんか、音楽かけてくれよ」

 バタバタと音がして、焦った様子で、少年がドアを開けて部屋へ入ってきた。鉄扉がきいぃ、と軋む音に、高津は顔をしかめる。

「スマホ、持ってない。CDプレーヤーもないし」

「ああ?」

 四十を過ぎた長髪の高津の目は、少年にとって恐ろしかった。

「あの、塾の時以外はお母さんが持ってるから、スマホは今は手元にない、ごめんなさい」

 少年は、黒い目を丸く怯えさせた。後ろ手にドアノブを掴み、この部屋から出るタイミングを見計らっていた。

 使えねーな、と高津が吐くと、少年はぼそぼそ謝りながら部屋をあとにした。


 そういえば、あの少年の名はなんと言ったっけ。まあ、いい。


 高津は、再び目の前のボロい人形と向き合った。


(あの、聴いてもらえたりします? 少し長いお話。)

 人形は、目の部分の黒いフェルトがけばだっている。

「話せよ、早くさあ」

(ごめんなさい、何から話していいのかわからなくて。)

 女の子の人形だった。

「じゃあ、お前の名前からだ」

(名前も、覚えていないんです。)

 高津の落胆のため息に、人形はきゅっと、丸い手をお腹へ寄せた。緊張してしまったようだった。

(でも私、ずっとひとりで寂しかったんです。お話し相手が欲しくて。だからあなたに会えてうれしい。)

「そいつはよかった」

 高津は、珍しく口元を歪めて、頬を緩ませた。照れたように窓の外を仰ぐと、夏の空は抜けるように、高く、青い。何かを、忘れたような。まあいい。

「だけどさ、俺たちまだ、何も話してないぜ、さっそく、あんたの名前決めようや」

 高津は、茶に変色した花柄のワンピースを着る少女の人形を、凝視した。

「そうだ、名前は、あかり、がいい。な」

 あかり、と名付けられた人形は、俯き加減に、とても柔らかく笑った。

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