【瞳さんとおとうさん】
「かくまって。お願い」
十一時十五分四十二秒。
瞳さんが部屋にやってくる。
カーテンに赤いシミがある。
床は汚れて、茶ばんでしまった何かの跡が目立つ。
(僕の病室、こんなに汚れていたっけ──?)
「瞳さん、いらっしゃい」
博巳にかわって、向かいのベッドに座るチャイナドレスを身に纏う拝島ぼたんがにこにこと返事をする。
「あ、えと……なんとかさん、お願い、かくまってえ!」
大好きな瞳さんは僕のものなのに、当たり前のように返事をする拝島ぼたんも大概だけど、知らない人をなんとかさんで通す瞳さんも中々だ。
もぞもぞと拝島ぼたんのベッドの下に潜り込んだ。
来ている服も帽子も可愛いのに、お尻をふりふりしてベッドに潜り込むのは、なんか、残念な感じだ。
「ところで瞳さん」
拝島ぼたんが大きな声でベッドの上から話しかける。
「しー! ばれちゃうでしょお」
けれど、拝島ぼたんは気にせず続ける。
「どうして、いつもベッドの下に隠れるのかなあ?」
びくん。
ベッドの下で、瞳さんが小さく震えた。
「……しー、だよ、しーして」
「くっくっくっ。ふふふふ」
今日子さんが笑った。
がばっ。
拝島ぼたんは今日子さんを無視するように、長いポニーテールを振り下ろして、顔をベッドの下に覗かせた。
「どうしてかな?」
「しーだよ、しーしてよぉ」
まるで小さな子のように、お願いをする。
「誰も来ないよ? 瞳さん」
「え?」
「誰も来ないよ、出ておいでよ」
そう言って、ベッドの下に手を伸ばした。
「よいしょっと」
「あれえ。看護婦さん、どこ行ったのかなあ……」
ぱしっ。
手を離そうとする瞳さんの手を、再度握り返した。
「それよりわたし、きみがベッドの下にわざわざ逃げる理由、知りたいんだけどな」
「聞くだけ無駄ですよ」
博巳はぶっきらぼうに言う。
「瞳さんは、もともとそうなんです、出会った頃から、ずっと、ずっと」
「ほんとに?」
いつも通り窓際まで進もうとするその足を止めた。
「ほんとは心の奥に、仕舞って鍵をかけてることがあるんじゃないかな」
だんだん、瞳さんの顔色が悪くなっていく。
「なんにも、ないよぅ」
「これ、見てくれる?」
右手で瞳さんを掴みながら、左手で「七星剣・魔断」を取り出した。
かたかたかたかた。
中のカラクリが何かに反応しているのか、小刻みに揺れている。
「なに、これ……」
「七星剣・魔断だよ」
拝島ぼたんはにこやかに答える。
「この剣はね、魔を斬ることができるの。瞳さんみたいな」
「あたしを……斬るの?」
瞳さんが目を見開く。
「でも、今じゃない。今はまだ剣が抜けない。真実がね、いるんだよ。で、今剣が反応してる。瞳さん、なにか隠してるんだよね?」
「なにも、隠してないよ……」
瞳さんの言葉が、歯切れが悪くなってゆく。
「じゃあ、こういうのはどうかしら?」
今日子さんが横から入ってきて、瞳さんの前で右手を鳴らした。
ぱちん。
その途端。
「いやあああ!」
瞳さんが、宙を見て叫び出した。
「おとうさん、やめて、来ないでえっ」
そう言って、ベッドの下に逃げ込もうとする。
「おとうさん?」
博巳は何が起きているかわからない。
「瞳さん、瞳さん! ……今日子さん! 瞳さんに何をしたんですっ?」
博巳は今日子さんに向かって叫んだ。
「面白いものが見たくてね。ちょっと力を貸してあげるわ、ぼたん」
瞳さんは、
そしてそれを振り払い、べっどの上に乗り、後ずさりした。
「もう、お仕置はいや……痛いの、嫌だよ……いやあっ」
そして、
「嫌だっ、やめてっ、嫌っ! それはいやっ」
(それ……? なんだろう)
博巳は嫌な予感がした。
そして、それは的中してしまう。
がばっ。
瞳さんが、
「い、いだっ! いだい! いだいよ、いたいよおっ、おとうさんっ」
青い下着に真っ赤な血が滲む。
(瞳さんは……お義父さんに……犯されてたんだ……)
がちゃりっ。
瞳さんに向けた七星剣・魔断の歯車の回る音がした。
剣の柄の「
ぴきぴきぴきぴき。
病室のカーテンレールが外れて落ちた。
カーテンがさらに汚れ始める。
「ぼたんさんっ! 止めてあげて下さい!」
博巳は叫んだ。
「残念だが、それは出来ない。隠された真実全てを暴かないと、七星剣・魔断が抜けない」
七星剣・魔断を掲げたまま、拝島ぼたんは告げた。
「やめてよお、おとうさん、やめてええええ!」
瞳さんは、頭の上にある「何か」を手に取って……
思いっきり振り下ろした。
がしゃん。
「え……おとうさん……おとうさん? おとうさんっ? しっかりしてよ……ど、どうしよう……あたし……あたし……」
きぃああああああ……!
前と同じ、鼓膜が張り裂けるような悲鳴をあげて、瞳さんは消えた。
がちゃりっ。
また七星剣・魔断の歯車が回った。
剣の柄の「
ぴきぴきぴきぴき。
病室の壁紙が剥がれ、地が見える。
それは汚れて、まるで血のようだった。
「また、真実がわかったね。逢沢瞳は、義理の父親から性的虐待を受けていた。そして、ある時、義理の父親を殺してしまった」
拝島ぼたんは、極めて淡々と語った。
「まあ、今回は私のおかげだけどね」
今日子さんはにやりと笑う。
(そんな……瞳さんに、そんな……そんな、酷い過去があったなんて)
倉敷博巳は、泣いた。
もう瞳さんが居なくなった、血で汚れたベッドに縋って。
『かくまって。お願い』
『あたし、逢沢瞳。十五歳。……にひひ。やっぱボクね!』
『お好み焼きが大好き! 死んだお父さんが、よく作ってくれたんだー』
『ま、昔のハナシよ……今のお義父さんは……酷い人だったから』
『バイちゃ! きーん!』
(言わなかったじゃないか。教えてくれなかったじゃないか。そんなに、隠れて泣いていたなんて。そんなに、酷い傷を抱えていたなんて)
「誰しも、皆、心に傷を抱えて生きているんだよ。……もう死んでしまっている人でも」
拝島ぼたんが、博巳の背中に手を置いた。
「うわあああああ!」
倉敷博巳は、己の無力さを悔いて泣いた。
七星剣・魔断の抜刀まで……のこり六回。
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