最果ての地にて愛を繋ぐ
ゆき
第1話 きっかけ
ホームに滑り込んできた電車は、京都が終点で折り返し発車。
一斉に人が降りていく。
一番前に並んでいた梢は、空いている二人掛けの席見つけて窓側に座った。
窓に映る自分の顔を眺める。
明るい髪色のショートカット。クルクルとよく動く丸い目が特徴的な、まだ少し幼さが残る顔。梢は十九歳という実年齢よりも年下に見られる事が多く、よく高校生と間違われた。
窓に額を押し付けて外を見る。
以前この電車に乗った時に何度か見たことがある街の景色が、静かに窓の外を流れていく。
梢は、今世の中で起きているこの騒動の事を考えると、明らかにおかしいと思っている。でも堂々とそれを言えるほどの勇気は無く、せめてもの抵抗で、ここ半年近く電車にもバスにも乗っていない。
どこへ行っても「感染対策」がうるさいから。
今も社内では「マスクを着用の上、会話は控えてください」というアナウンスがしきりに流れている。
そういう状況になってから、バスや電車に乗るのが嫌になった。
高校生の頃梢は、電車に乗って少し遠くまで行くのが好きだった。その頃は一人旅と言っても全て日帰りで行ける範囲。二泊三日の旅行をした経験は、高校を卒業してから就職までの間に一度だけだった。その時は思い付きで岡山に行き、行ってから民宿を探し、そこに泊まった。個人宅のような民宿の、美味しい食事と気さくなもてなし。他の宿泊客との会話。気の向くままに歩いた街。岡山城。 電車に乗って窓の外を眺めていると、その時の楽しかった旅行の思い出が心をよぎる。そして、それが何か遠い過去のことのように感じられた。わずか数ヶ月で、世の中の様子はあまりにも変わってしまった。
今日は本当に久しぶりに、電車に乗る事を決めて朝から出かけてきた。
一人暮らしのアパートからすぐの三条京阪駅まで歩き、京阪電車に乗って七条まで。
天気もいいので、そこから少し距離のあるJR京都駅まで歩いた。
何処に行くかは昨日大まかに決めていたので、まずは新快速で行ける終着駅までの切符を買う。
コロナ騒動で観光地から人の姿が消えてガラガラなのに、通勤ラッシュにあたるこの時間、駅は人であふれていた。恐ろしい伝染病が流行っているから自粛をしろと言われているのに、満員電車は相変わらずだった。
今日出かけてきた事に、何かはっきからりとした目的があるわけではなかった。ただ遠くに行きたかった。
(今日遠くに行っても、何も変わるわけでもない。日本中どころか世界中今はこの状況。逃げられるとこなんか無い)
頭ではそう思っていても、梢はどうしても出かけたくなった。
無職になったばっかりで節約しないといけないのにと思いながら、それでも理性より感覚の方に従った。
遠くに行く事で何から逃げているのか、単に気分を変えたいのか、自分でもよく分からない。
ただどうしても、じっとしていられなかった。
じっとしていたら、何か大きなものに押しつぶされそうな気がした。
社会人になって二年目で起きたコロナ騒動。
そのせいで予想外の失業。
仕事に行かなくなって二日目。
なのにもう何ヶ月も過ぎたような気がしていた。
今から一年半ほど前、2019年春に、梢は地元和歌山の高校を卒業した。
高校を卒業したら都会に出て働いてみたい。
一人暮らしも始めたい。 それはずっと前からの夢だった。
家族は、両親と三歳年下の高校生の妹。 家族の事も田舎での暮らしも嫌いではなかったけれど、もっと違う世界を見てみたいという気持ちが大きかった。
大学に進学するより、早く社会人になって自分でお金を稼ぐという体験をしてみたかった。
地元ではほとんど就職先が無いので、通勤時間はかかるけれど家から通える範囲でどこか就職先を探すか、街に出て一人で暮らすか二択しかない。
都会に出ようと考えた時、東京まで出るのはちょっとハードルが高い気がした。
同じ関西の中でと考えて、旅行で何度か来た事がある大好きな場所、京都を選んだ。
京都での一人暮らしを決めた時「旅行で行くのと住むのは違う」と両親に言われたけれど、そう強く反対される事もなかった。
最終的にはアパートを借りる初期費用は親が出してくれて、保証人になってくれた。
梢が借りた部屋は、全部で20部屋ほどの小さめのアパートの3階。
共益費込み家賃4万円のワンルーム。
住人用のコインランドリーが下の階にあり、管理人夫婦が1階に住んでいた。
小さな流しとユニットバスが付いている四畳半の部屋は、パイプベッドと折り畳み式の机、椅子を置いたらいっぱいになった。
エアコンは付いているし、電気ポットと電子レンジを持ってきたので湯沸かしや温めくらいはできる。
自炊したい人なら不満かもしれないが、料理もあまりやったことがない梢には十分だった。
田舎にいた頃の自分の部屋より狭くても、ここは梢にとって初めての自分の城。
大通りから少し奥まったところにあるので程よく静かで、それでいてコンビニもスーパーも飲食店も近くにいくつもある。
田舎では考えられない便利さだった。 子供の頃から田舎しか知らない梢は、都会への憧れが強かった。
それでもコンクリートジャングルというのもまた苦手で、都会でありながらちょうどいい感じに古い街並みや自然の風景が残っている京都は最高だと思えた。
梢の初めての就職先は、市内の百貨店。
高卒で入れたのは幸運だったけれど、どうしても合わなくて三ヶ月で辞めてしまった。
初日から何となく居心地の悪さを感じて、ここで続くかなと不安になった。
その嫌な予感は当たってしまう。
接客は好きな方なので、仕事そのものが嫌というわけではない。
社内の細かい決まり事、厳しい上下関係、お客様の前以外では皆が不機嫌な様子、人の悪口をよく耳にすることなど、その雰囲気がどうしても無理だった。
中途半端に長く居て仕事を覚えた頃に辞めるより、早い方が迷惑もかからない。
ちょうど試用期間が終わる時、続ける気が無い事を会社に伝えて辞めた。
辞めてからすぐ次の仕事を探し始めた。
次に見つけた仕事は、京都らしい落ち着いた雰囲気のカフェでのバイト。
親には、仕事を変えてしまってからの事後報告。 電話で伝えた時、これを聞いてよく思っていないのは伝わってきた。
けれど、とりあえず無職にはなってないということで納得してくれた。
我慢ができずにすぐ辞める自分もどうかと思ったが、やっぱり無理だった。
我慢して仕事が嫌いになるよりも、辞めて好きな場所を見つけたかった。
仕事を変えて数日で、梢は今度の仕事場は自分に合っていると感じた。
その感覚は、数ヶ月経っても変わらなかった。
このカフェは、梢の両親より少し年上の60代の夫婦の経営で、29歳になる娘もスタッフとして手伝っていた。
梢が入るまでは完全な家族経営で、他のスタッフは居なかった。
マスターとママは若い頃音楽をやっていて、同じバンドのメンバーだったらしい。
二人とも愛想が良く、お客さんからも人気があった。
夫婦仲も良くて、このカフェの仕事を二人が楽しんでやっているのが伝わってくる。 娘の唯は、身長155センチと小柄な梢よりは数センチ背が高く、落ち着いた雰囲気の女性だった。
顔のパーツが全部小さ目で、スッキリと整った顔立ちは母親によく似ていた。 京美人というのはこういう人の事かと梢は思う。
マスターは彫が深い顔立ちで色が黒く、外見的には女性二人とは対照的だった。
このカフェの三人とも、実年齢より幼く見える梢の見た目を「可愛い」と言い「明るい性格が接客向きで、よく働いてくれて助かる」と褒めた。
マスターもママも見た目通り明るく穏やかな人柄で、娘の唯も優しくて気さくで、それでいてしっかり者で頼れる人だった。
前の会社での煩わしい人間関係に疲れていた梢には、それが何より嬉しかった。
毎日朝10時から店を開けて、夜の9時まで営業。 梢が入るのは夕方の6時半まで。間に30分の休憩もあった。 平日休みの基本週6勤務で、一ヶ月の手取りは15万円前後。 まかない付きで食費が節約できるし、特に高価な物を欲しがる欲望もない梢の生活費としては十分な額だった。
この店は、8人座れるカウンターと4人座れるボックス席が3つ。珈琲や抹茶を中心に、甘い物や軽食のパンメニューもある。
土産物の陶器のコーヒーカップや皿、小物なども売っていて、カフェのメニューで出している菓子も売っていた。
季節ごとの店内の飾りつけ、メニューの変更なども一緒に考えさせてもらえたので、そういう事が大好きな梢は仕事に行くのが楽しみだった。
服装の規定はなかったけれど、何となく店の雰囲気に合う物を選んで着る。それもまた楽しみの一つだ。
京都は盆地独特の蒸し暑さで真夏は厳しい。
そんな暑い時期の7月に勤め始めて、やがて秋を迎え、冬を迎えた。
店のメニューも仕事内容もすっかり覚え、三人とは仕事以外でもよく一緒に過ごした。 常連のお客さん達とも親しくなっていった。
カフェでの勤務を始めてから半年経った時、楽しくやっている事をラインで親に伝えたら安心してくれた。
知り合いの居ない京都で見つけた、自分の居場所。 梢は、出来るならずっとここで働きたいと思っていた。
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