おくすりのめたね
@yrrurainy
前段
人が薬を飲む行為を、これほどまでにじっと観察したのは初めてだった。錠剤は2つセットのアルミ台紙がいくつも縦にミシン目で連なっているもので、綺麗にハサミで縦一直線に割られていた。こうすることで、錠剤の残骸を、まだもう片方がなくなっていないからという理由で置いておかなくていい、らしい。これを始めてから、薬を飲むのがおっくうでなくなったと彼女は言う。
一日一回、ミシン目でぱきりと割って、飲んで、錠剤を棄てる。あとには何も残らない。こういうタイプの薬を飲むときに必ずついて回る、「明日と今日」もしくは「昨日と今日」のセットがなくなる。
「薬漬けになってさ、薬の種類が増えると、時間の単位が、無駄に増えていくみたいで嫌なんだ」
彼女は小さい薬をぺろりと口の中に入れて、紙パックの野菜ジュースでちゅーちゅー流し込んだ。5錠とも、笑って飲んでいた。
「はじめは、身体に異物を入れなきゃいけないっていうのが、気持ち悪かった。まあ、異物とか以前に、毎日やることが増えるし、持ち物が増えるのって嫌だよね」
彼女は薬をまとめた巾着を、トートバッグの中に放り込んだ。
「でももう平気。薬が私を守ってくれる。化学物質がどうたらとかじゃなくて、毎日決められた簡単なことをする、ルーティンが決まっているっていうのは心地いいんだ。それにね、私はもう私を信用できない。ほんのすこしでも、私以外のなにかに私を支えて欲しい。私の身体の中身が私だけだなんて狂ってるし気持ち悪いしなんかやだ」
さっきから野菜ジュースをちゅーちゅー吸って、スカートから除く生足をぶらぶらさせながらだらだらと溢す。
「ねえ、もし、自分が自分でなくなる薬があったら、飲む?」
飲む。絶対に、即決で飲む。実際にそんな薬があるなら、世界中のどこを探してでも飲む。
「興味はあるけど、自分に戻ってこれないんだったら飲まないかな。効き目が切れるタイプなら飲むかもね」
ふーん、と彼女はパックを潰した。
「私は即決で飲むよ。世界中のどこを探してでも飲む。不老不死より数段面白い。だって不老不死は変化を止めるものでしょ? 私はこんな、効き目があるのかも分からないような向精神薬を飲むのはうんざりだ。もっと私を変えたい。私じゃなくなるまで
」
「なかなかにマッドだね」
そういえば未成年の喫煙か薬物乱用を防止するポスターに、「私は私をやめない」みたいな標語があった気がする。彼女は高校の制服を着ているわけだがその涙袋を強調したメイクではポスターのモデルにはなれそうもなかった。
「この程度なら、狂わない方がマシだわ」
そう吐き捨てて、彼女は立ち上がった。
「そろそろ帰る。今日はありがとうね、夕飯まで付き合わせちゃって」
彼女はおにぎりの包装のゴミの入ったコンビニ袋を縛って、トートバックに詰めた。
「いや、いいよ。なんかいろいろ大変だね」
夕飯をここで食べると言ったのには、家庭か何かの事情があるのだろうと踏んでいた。
「いや、私のわがままだよ。夕飯ここで食べるのは。君は、帰ってからちゃんと食べてね」
彼女に言われなくても、食事は母が用意してくれている。有り難いような、重いような。
そうして僕らは駅まで無言で隣同士歩いて、別々の方向の電車に乗った。
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